【Case:12 呪詛】3
子育て支援課の窓口に行くと、すでに小柳と保健師が待ち構えていた。
「よく考えたら、夏木さんでもよくない?」
「夏木さんに聞いたら、イベントの調整で半死半生なの」
「そう……」
観光振興課である以上、忙しい時期と言うのが存在するのは仕方がない。夏が最も繁忙期だとは思うが。
小柳の運転で公用車を出す。除雪されているとはいえ、少し滑って俐玖も保健師もヒヤッとした。
「ところで、どこまで行くんですか?」
「駅西のあたりよ。三軒回るから、よろしくね」
保健師がにこやかに言った。四十歳前後の彼女はベテラン保健師で人当たりもよく、住民から好かれているが、英会話などは苦手だ。かといって、俐玖も専門用語がわかるわけではない。たまにこうして連れ出されることもあるが、役に立っているのかわからない。
「相手も専門家じゃないんだから、結局かみ砕くのよ。そうだと思えば、鞆江さんの通訳は問題ないわよ。一般的な会話レベルなんだから」
と、その保健師に言わせればそう言うことなのだ。小柳に俐玖を連れて行こう、と言ったのは彼女らしい。
そんなわけで、順番に三家庭回る。保健師の言う通り、俐玖が通訳に入るとよく話してくれる気がした。正直、気持ちはわかる。俐玖も帰国した当初はほとんど日本が話せず、なかなか意思疎通ができなかったものだ。保健師が質問し、俐玖が通訳し、小柳が必死で記録を取っている。
「なんで鞆江さんのメモ、全部英語なの……」
「英語で話してたからじゃないかな」
さすがの俐玖も、英語を話しながら日本語を書くのは難しい。通訳しながら俐玖も簡単にメモを取っていたが、後から見たら全部英単語が並んでいた。自分でもびっくりである。
「小柳さんの記録でいいから、後で貸してちょうだい。一応、鞆江さんのも預かっておこ」
保健師は柔軟にそう言って二人からメモを回収した。三軒とも今のところ大丈夫そうだったので、庁舎に戻ることにする。
「お付き合い、ありがとね。連れ出しておいてなんだけど、仕事の方は大丈夫だった?」
「大雪でキャンセルになったので、結果的に大丈夫ですね」
「外に出るのも危ないものね」
「そんな中、出勤しなければならない私たち……」
「行政だからね」
そんな会話をしつつ、そろそろ市役所に到着すると言う頃、俐玖のスマホが鳴った。電話がかかってきたのだ。見ると、地域生活課の番号だ。
「すみません」
一言断ってから電話に出た。相手は汐見課長だった。
『鞆江さん、お疲れ様。そろそろ市役所に到着するかな』
質問と言うより、確認だった。汐見課長は俐玖が知る限り最も強い千里眼を持つが、それだけでは説明できない洞察力を発揮していると思う。裏の職員駐車場の方に入ったところだった。
「そうですけど、どうかしましたか?」
何かお使いでも頼まれるのだろうか、くらいの気持ちで尋ねると、汐見課長はいつも通りの口調で言った。
『いやね、今、表の来客駐車場に花森君が入ってきたはずなんだけど、彼の持っているものを庁舎内に入れたくないんだ』
やたらと抽象的な頼み事だったが、汐見課長がそう言うのならそうなのだろう。
「わかりました。探してみます」
『お願いします。神倉君と向坂君もそっちに向かってるから』
危険物を確認するとき、この二人の組み合わせであることが多い。神倉は呪物などの知識があるし、脩はそう言ったものの影響を受けないからだ。
「すみません。私、ここで」
「本業の方? わかったわ。お付き合い、ありがと」
「ありがとう、鞆江さん」
これから公用車を車庫入れしなければならない小柳は真剣な表情だったが、保健師は朗らかに手を振ってくれた。俐玖も一礼して後部座席から降りる。公用車用の駐車場から来客用の駐車場はそんなに離れていないが、除雪されているとはいえ足元が溶けた雪でとられて歩きづらい。
正面に回ると、ちょうど拓夢とバディの沢木が庁舎に入ろうとしているところだった。沢木が持っている、あの箱が問題のやつか。
「拓夢! 待って! 入らないで!」
「ああっ!?」
駆け出しながら叫んだ俐玖に、聞いたことのある声だったからだろう。拓夢が怪訝な声を上げてこちらを見た。柄が悪い。走ってきた俐玖を見て、「お前、足元悪いんだから走るんじゃねーよ!」と尤もなツッコみを入れる。止まってくれたので俐玖も歩くのに切り替えようとしたのだが。
「あっ」
速度を緩めようとしたら雪に足を取られた。ずるっと滑り、持ち前のバランス感覚で顔面から突っ込むことはなかったが、膝と両手を地面についた。痛いし濡れた。
「何やってんだよ、お前は!」
近くまで来た拓夢が俐玖を助け起こした。拓夢に支えてもらって立ち上がりながら、「ありがと」と礼を言う。
「おう。お前、運動神経いのに抜けてるよな」
「大丈夫ですか?」
箱を持った沢木も心配げに寄ってきた。思わず、彼の持っている箱に目が行く。小さめの段ボール箱にさらに木箱が入っている。
「お前が呼び止めたの、これのせいか?」
「うん」
「じゃあ、マジモンなのか」
拓夢が不気味そうに言うと、沢木がちょっと自分から箱を離した。
「拓夢さん。あ、俐玖も」
庁舎の中から脩と神倉も出てきた。スラックスとコートの袖がずぶ濡れの俐玖を見て、二人は怪訝な表情になった。
「俐玖、どうしたんだ?」
「……転んだ」
「お前、なんでたまに抜けてんの?」
神倉があきれたように言った。
「いや、慌ててましたし……」
とりあえずけがはないので俐玖のことはおいておき、問題の箱である。
「うわぁ。本物だな。課長の千里眼に引っかかるわけだぜ」
神倉が嫌そうに言った。そのまま脩に言う。
「向坂、お前が持て」
「ええ? 本物なんですよね。さすがに嫌なんですが」
「護符張っておくからお前なら大丈夫!」
脩は嫌そうにしながらも、神倉が護符を張った段ボール箱を沢木から受け取った。沢木はほっとした様子だ。怪異に巻き込まれることはあっても、怪異の影響を受けることはほとんどない脩は、こうした運び役に適している。本人は嫌だろうけど。
「護符を張ったからといって、中に入っても大丈夫なんですかね?」
拓夢が神倉に尋ねた。確かにそうだ。護符で仮に封じているとはいえ、もともと汐見課長が『入れるな』と言うほどの代物なのだ。入れて大丈夫なのだろうか。
「ん。ひとまず、対策をした状態で中に入れるなら問題ないな。課内で今頃、佐伯さんが結界張ってるぜ」
「……俐玖」
神倉の言い分がよくわからなかったようで、拓夢が俐玖の方を見た。俐玖は首をかしげる。
「神倉さんが大丈夫だと言うのなら、大丈夫だと思う」
「お前、こういうの専門じゃねぇのかよ」
「違う。超自然科学だよ」
「文化史じゃないのか?」
拓夢との言い合いに脩から突っ込みを入れられ、俐玖ははっとした。そうだった。俐玖はなぜか超能力などに関する論文の方が有名だが、本人が専攻していたのは文化史である。
「……そうだった」
「しっかりしろよ。で、大丈夫なんだよな?」
「大丈夫だよ」
渋る拓夢を庁舎内に入れる。俐玖は転んだためにぬれた服を着替えるために、一度ロッカーのある更衣室へ向かった。汚れることもある仕事なので、着替えは職場においてある。コートは軽く水気を取って干しておくしかないが、袖口が濡れたカーディガンとブラウスを脱ぐ。ついでに膝もついたのでスラックスも着替えた。
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