【Case:12 呪詛】1
呪詛、と言っても私の話なのでぬるいです。
そして、今回から俐玖視点です。
鞆江俐玖です、と名乗ると、どっちが名前? とよく言われる。ちなみに、本名の鞆江ヘンリエッテ俐玖です、と名乗っても同じ現象が起きる。鞆江、という名字が珍しく、どちらかと言うと女性の名前に使われがちだと知ったのは、俐玖が日本に来てからだった。
母親がダブル、いわゆるハーフである俐玖はクォーターになる。国際的にはミックス、と言った方がいいだろうか。外見は黒髪黒目なので、比較的日本人なのだが、髪も目も青みがかり、肌も日本人にしては白い。そのちょっとした差から、中学時代はいじめを受けたものだ。尤も、俐玖が内向的だったというせいもある。外国人が全員陽気だと思ったら大間違いだ。
そんな俐玖だが、高校に入って親友と呼べる相手ができた。もともと進学校で、さばけた性格の人が多い学校だったので、俐玖は中学ではなく高校の友人の方が多い。尤も仲良くしてくれたのが、同じ北夏梅市役所に勤める音無芹香だ。そして、俐玖は今、彼女に拝まれている。
「と言うわけで俐玖、今日泊めてほしいの!」
「泊めるのは構わないけど」
芹香がこうして俐玖の部屋に泊まりたい、と頼み込んでくるのは初めてではない。何なら、俐玖の部屋には芹香が泊まるとき用のセットがあるくらいだ。泊まっていく理由は様々で、残業で遅くなりすぎたとか、飲み会で帰るのが億劫だとか、彼氏と喧嘩したとか、さまざまであるが、今回は。
「よかったぁ。この大雪でバス止まっちゃったのよね」
「まあ、この雪ならね」
そう。外は今、大雪なのだ。大雪警報が出ている。現在二月で、この地域はこの時期にドカッと雪が降ることが多いのだ。警報が出ているため、市役所は関係部署の職員が待機することになっている。小さい子供のいる親などは帰ったものもいるが、ほとんどがまだ在庁している午後七時半である。
「実際問題、みんな帰れないわよね? 電車は動いてるのかしら」
芹香は家の位置的に、バスで帰った方が近いのだ。電車でも帰れないわけではないと思うが。
「電車の方が先に止まったって聞いたけど。私たちは多分、もう一時間もしたら解散になるけど、確かに公共交通機関が止まってるんだから、帰れないよ」
「帰宅難民と言うやつね」
大真面目な俐玖と芹香の会話を聞いて、幸島が楽しそうに笑い声をあげた。
「二人とも真面目だよなぁ。可愛い。明日、藤咲に自慢しとこう」
「自慢する意味が分かりません」
藤咲は先に帰宅している。彼女は確かに、夫より女性が好きな疑惑のある人だが、幸島が自慢する意味が分からない。
「鞆江、そう言うところが天然なんだよ」
「可愛いじゃないですか」
芹香が横から抱き着いてくる。いいにおいがした。
内線電話が鳴る。俐玖の目の前にある電話だ。
「はい、地域生活課、鞆江です」
『ああ、鞆江? 夏木だけど、災害対策室まで来られる? 発信する情報の英訳確認してよ』
「夏木さんがいれば十分な気がしますけど」
『いいから来なさい!』
一方的に言われて、通話が切られた。しばらく無言で受話器を見つめた俐玖は、おもむろに立ち上がった。
「災害対策室に行ってきます」
「おい、きりいいところで戻って来いよ」
幸島がひらひらと手を振って見送ってくれる。芹香も一緒に事務室を出た。市民課に戻るそうだ。
「俐玖も大変ねぇ。通訳したり、熊を撃ちに行ったり」
「いつも熊を撃ってるみたいに言わないでくれる」
撃つのは熊だけではない。鹿とか、猪とか。いや、そう言う問題ではないか。芹香は俐玖の返しを聞いて笑った。
「そうね。今度、ウィンタースポーツしに行きましょうね。スノボとか、スケートとか」
「どちらかというと、スケートの方が好みかな」
「言うと思った。でも私、スケート滑れないのよ~」
「知ってる」
笑って一階に行く芹香と階段のところで分かれた。俐玖はこのまま三階に上る。
「遅い!」
災害対策室の事務所に入ったとたんに、女性の声で怒られた。電話をかけてきた夏木だ。できる女風のきりっとした美女で、俐玖より六歳ほど年長だったはずだ。ただ、きりっとしているが、ハイヒールを履いても俐玖より背が低い。
「すみません。というか、夏木さんって観光推進課ですよね」
そう。ここから電話をかけて俐玖を呼び出したのは間違いなく夏木だが、彼女は観光推進課の人間だ。
「あんたもよく別の課の仕事に駆り出されてるでしょ。私もあんたほどじゃないけど、英語ができるからね」
「なるほど」
こういう大雪や大雨、台風など災害級の気候のとき、北夏梅市ではSNSなどを通じて住民に情報を出す。防災無線も流す。その際の外国語訳は俐玖や夏木など、他課の職員であっても語学に堪能なものがチェックするようになっている。
専門用語などになると訳すのは難しいが、住民に伝わる程度の英訳なら問題なくできる。SNS用の文章をチェックして大丈夫だ、とうなずく。
「鞆江さん、中国語は?」
「できませんよ……」
いかな俐玖と言えども、未履修の言語は範囲外である。俐玖が話せるのは、主にヨーロッパ系の言語だ。
「そうか。じゃあ、読み原稿の方のチェック頼む」
災害対策室の係長に原稿を渡されて、訳が正しいか確認し、より話し言葉になるように添削していく。
「夏木さん、こっちも見てください」
「あんたがオッケーなら、それでいいと思うんだけど」
そう言いながらも夏木はチェックしてくれた。いい人だ。いわゆる姉御肌の引っ張って行ってくれるタイプの人なので、俐玖とは相性がいいのだと思う。
夏木も大丈夫だろうと言ったので、放送原稿はそれで通った。さらに要点を書きだした警報文を確認させられ、俐玖と夏木はお役御免になった。
「私らはそろそろ解放されるかしらね。普段通りなら一杯やっていかないって誘うところなんだけど」
どうにも言うことがサラリーマンのおじさんっぽい夏木であるが、妙齢の美女である。
「どう考えても、店、やってないですよね」
「そうよね。遭難しちゃうわ」
そう言って夏木は肩をすくめた。遭難しちゃうは大げさだが、立ち往生する可能性は高い。本当にみんなはどうやって帰るつもりなのだろう。
「じゃあね、鞆江。気を付けて帰るのよ」
「はい。夏木さんも」
観光振興課も一階にあるので、やはり俐玖は階段で分かれる。地域安全課に戻ると、すでに半分が帰宅していた。
「おかえり、鞆江さん。上から許可が出たから、帰ろうか」
汐見課長がにこにこ笑って言った。彼と幸島、宗志郎の三人が残ってくれていたようだ。
「音無が一緒に帰るんだろ。俺が送ってくわ。来宮は気を付けて帰れよ」
幸島が言った。幸島は徒歩だが、宗志郎は車なのである。というか、この状況で車で帰っても大丈夫なのだろうか。朝から五十センチ近く積もっているように見えるが、道路はともかく、家の前などは除雪されていないのでは。
「芹香」
「あ、俐玖、幸島さん」
市民課を覗くと、こちらもほとんどが帰宅したらしい。俐玖が「遅くなってごめん」と言うと芹香は笑って気にしていない、と言う。
「泊めてもらうしね」
「そうだった」
「ほんと、仲いいよな」
幸島が微笑ましげにそう言って三人で役所を出た。その瞬間、寒さが押し寄せてきた。
「うーっ、寒ぅ!」
「鼻冷たい……」
いつもなら十分程度の道のりを二十分近くかけて歩き、アパートに到着する。同じく徒歩の幸島と別れ、エントランスに入る。幸島も市役所の近くに住んでいるが、少し戻らなければならない。
建物の中に入り、外気が遮られただけで少しマシになる。三階の俐玖の部屋に入って明かりをつけた。
「俐玖~。暖房付けるよ」
「ご自由にどうぞー」
芹香が勝手知ったるとばかりに部屋に入ってエアコンのスイッチを入れる。もう一つ電気ストーブはあるが、これをつけるとほかの家電が使えなくなる。ブレーカーが落ちかねない。
「晩御飯どうする? もう九時だけど」
がっつり食べるには遅いが、何か食べないとおなかがすいている。エアコンをつけた上に勝手にテレビもつけた芹香が振り返る。
「簡単にできるものでいいわよね~。うどんとか?」
「シチューの仕込みならしてあるけど」
あとルーを溶かすだけだ。
「それ、カレーにはならないの?」
「ルーがない」
というわけでシチューになった。炊いた米もないので、芹香がフランスパンを切り始める。
「今日は普通のシチューなのね」
芹香が、俐玖が普通に市販のルーを溶かすのを見て言った。彼女がそう言うのは、去年、彼女が泊まりに来た時にアイリッシュシチューを作ったことがあるからだ。俐玖の母方の祖父の家の味を再現してみたが、結構うまくいったと思っている。
「俐玖ってドイツの家庭料理も、アイルランドの家庭料理も作るわよね」
「まあ、レパートリーの一つではあるよね」
パンを切った芹香がサラダを作り始める。と言っても、レタスをちぎったり、トマトを切ったりするだけだ。
俐玖の母が日本料理だけではなく、ドイツやアイルランドの料理も作るので、自然と俐玖も覚えた。本場ではないので、代用の物も多いし、どうしても日本風の味付けにはなるけど。
「そう言うの見てると、面白いわよねぇ。だからたまに俐玖のところに泊まりに来るの、楽しみなのよ」
「たまに?」
月に二度ほど泊まっていくのは、たまにに入るのだろうか。頻繁ではないのは確かだが。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
アイリッシュシチューって、銀〇伝で初めて聞いたなぁ。




