【Case:02 分祀の社】1
地域生活課の課員はキャラが強い。そんな中になじんでいる自分が不思議な感じがする今日この頃である。脩が正式に配属されてきてから二週間ほどたっていた。四月末だ。今日までの間にヴァルプルギスの夜事件などがあったが、脩は関与していない。日下部や笹原とお留守番をしていた。かなりの人数が出動したが、結局、解決しなかったそうだ。
「ま、対処療法しかないわな」
と机の上でうなだれたのは神倉だ。一応、脩の手元にまで報告書が回ってきてはいるので、概要は知っているが、読む限り、学生たちの大騒ぎなのだが。
「ヴァルプルギスの夜は北欧でよくみられる、まあ、最近では一種の祭りだよね。ドイツでもやってるんだっけ。魔女がサバトを開くって話だけど、鞆江」
「……まあ、魔女の集会の夜って言われてるけど……」
幸島に話を振られた鞆江は眉を顰めつつ、可動式の椅子をくるりと回して体ごとこちらに向いた。
「もともと、霊や悪魔が集まってくるから、夜の間ずっと火を焚いている……という風習じゃなかったかな。現代は春を祝う祭りのはずだけど」
そうなのか……言葉は聞いたことがあるが、内容は初めて聞いたかもしれない。
「鞆江さん、詳しいですね」
「一応、専門外だよ。こういうのは宗志郎の方が詳しいんじゃないの」
「専門外だな。ストーンヘンジとかなら語れるが」
脩の隣の来宮も椅子ごと振り返った。鞆江はいとこの夫である来宮を名で呼んでいる。この二人に血のつながりはないが、なんとなく兄妹のようなやり取りをするな、と思っている脩である。
「ちょ、ちょっと待ってください! えっと、Wait a minute!」
焦った調子の日下部の声が鞆江と来宮を呼んだ。
「来宮さん、鞆江さん! え、英語!」
日下部の叫びに、鞆江と来宮が目を見合わせた。数秒にらみ合った後、鞆江が日下部と変わって受話器を取った。なめらかな英語が聞こえてくる。
「向坂も英語は話せるんだっけ。鞆江や来宮がいなかったら、お前に回すな」
幸島がのんびりとそういうので、「日常会話レベルなんですが」と一応反論してみる。海外旅行に行って困らないくらいには話せるが、専門的な詳しい話はできない。
「いいんだよ。滅多にかかってこないし」
どっちだ。
「あのー、すみません」
入口から顔をのぞかせたのは、教育委員会事務局の職員だった。ドアを開けた瞬間に鞆江の怒涛の英語が聞こえたのか、目を見開いている。
「お疲れ様です。どうしました?」
日下部が立ち上がってにこやかに話しかけた。来客の対応はたいてい日下部が担っている。時と場合によっては鞆江や神倉であることもあるが、二人は不在なことも多いし、鞆江の場合はなぜか意思疎通ができないことが多々ある。
「あ、お疲れ様です。相談したいことがあるんですけど」
「わかりました。こちらへどうぞ」
日下部がその職員を打合せ用のテーブルに案内する。来宮が脩にささやいた。
「お前も行ってこい。受付くらいできるだろ」
「わかりました。行ってきます」
来宮の教育方針は問題がある気がする。鞆江の教育係も来宮が担ったらしく、彼女を教育できた実績はあるようだが、それは鞆江の理解力が高かったからではないだろうか、と言う気がしないではない。
話を戻して。教育委員会事務局生涯学習課の長谷川主事とおっしゃった。脩たちよりも少し年上、二十代後半であるらしい。
「うちが管理している総合体育館なんですが、最近、不可解なことがよく起こるんです」
「不可解? というと?」
脩は聞き返した日下部が『不可解』の意味を分かっているのか少し心配になった。鞆江もいつも心配していたが、日下部は語彙力が少ないのである。高卒だと思ったらよく知っている方だと思うが、正直、ドイツ育ちの鞆江よりも語彙が少ない気がするのだ。
長谷川主事から話を聞いたところによると、体育館の照明が突然落ちる、ちゃんと設置したはずのバレーボールのネットが外れている、片付けてあった椅子が外に雑多に並べられている、練習中にチームメイトが一人増えている……などがあったらしい。
「先日、ついに人的被害が出まして」
けが人がついに出現した。バスケットボールのチームだったらしい。足を引っ張られた、と転んで足を折ったその青年は言った。彼が言った通り、足にはつかまれたような痕があった。
ほかにも、割れた蛍光灯の破片でケガをしたり、トイレのドアが開かなくなって閉じ込められたり、という被害が増えてきているらしい。思ったより凶悪なのではないだろうか。
「どうでしょうか。怪奇現象だと思いますか?」
長谷川主事にすがるように言われたが、日下部は首を左右に振った。
「まだわかりません。調査に伺いますので、調整をお願いします。あと、今まで起こった現象を思い出せるだけ書き出して提出してください」
「わかりました。よろしくお願いします」
長谷川主事は、帰り際にも英語で早口で話をする鞆江と来宮を見てぎょっとした表情になると、教育委員会事務局に戻っていった。
「日下部さん、どうだった?」
「うーん、あたしでは判断が付きません!」
きりっとして日下部が言った。脩も判断がつかなかったので何も言わない。笹原が日下部と脩がそれぞれ書いた受付表を見て、「うーん」とうなる。
「幸島さん、どうかな」
「人為的とは言い切れないですよね。いくつか気のせいなのが混じってるかもしれませんけど」
「じゃ、一応調査に行ってみようか。幸島さん、頼める?」
「了解です。日下部、受付表印刷かけてくれ」
「はぁい」
ちなみに、受付表は最近、タブレットに入力するように変わったらしく、日下部も脩もタブレットをもって話を聞いていた。そうしている間に、鞆江と来宮の会話も決着がついたらしい。
「私は外国人学校へ行っていきます」
鞆江はそういって藤咲とともに先に出て行く。この課では二人以上で動くのが原則なのだ。
「こっちは俺と神倉、向坂も行ってみようぜ」
と言うわけで、脩は初めて仕事で外出である。と言っても、近所の総合体育館だ。とにかくタブレットで写真を撮りまくれ、という微妙な指示を出された。
「せめて、必ず撮る必要がある場所を教えてください」
そう尋ねると、幸島からは外観と基礎部分、神倉からは天井、と言われた。ほかは、長谷川主事が上げてくるであろう一覧の中にある場所すべてだそうだ。
北夏梅市総合体育館は、武道館とグラウンドが併設されている。脩は剣道をしているので、何度かこの体育館にも来たことがあるが、社会人になってからは初めて訪れた。まあ、まだ社会人になって一か月しかたっていないが。
長谷川がまとめてくれた一覧に従って、脩はとにかく写真を撮る。幸島と神倉に言われた写真も撮った。
「向坂って、見える人?」
「見えるって、幽霊がと言うことですか。今まで見たことないですね」
見たとしても、気づいていない可能性もあるが。神倉は笑って「そのタイプかぁ」と言った。
「見えないと、まずいですかね」
市役所勤めでそんな特殊技能が必要になるとは思わなかったのだが。
「別にいいんじゃないか。課の半分くらいの人は見えないはずだし」
必須事項ではないのか。ちょっと安心した。その後も写真を撮りまくる。途中、神倉とバドミントンをしてみたりもしたが、特に奇妙な現象は起きなかった。
「うーん、でも機材にはちょっと反応あるんだよなぁ」
幸島が顔をしかめる。見ているのはタブレットだ。サーモグラフィである。何かはいるらしい。その時、明かりが落ちた。
「うっわ。言ったとたんにこれだよ」
「ブレーカーが落ちたわけではなく?」
「事務所の明かりはついてるぞ」
「本当ですね」
一分もたたずに明かりがまたついた。しかも、何度か点滅してから。幸島も神倉も、ついでに脩も平然としているが、長谷川は真っ青だった。
「ど、どうなんですか、結局!」
何とかしてください! と半泣きだ。担当する体育館がこれでは、泣きたくなるのはわからなくはない。少し考えこんだ幸島は「よし」とうなずいた。
「課長と鞆江を呼ぼう」
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