【Case:10 凌雲荘の怪】1
なぜかわからないが、クリスマスのころは怪異が多い。人が動けば、それだけ怪異が生まれる、と言うことのようだが。その忙しいさなか、俐玖は来年度発行されるパンフレットの英語訳に精を出していた。いや、彼女自身が翻訳しているわけではなく、翻訳されたものをチェックしているのだが。本来の仕事である怪異対応の合間にやっているので、さほど進んでいないような気がするが。
「鞆江さん、仕事抱えるのもほどほどにしなさいよ」
地方全国計五誌の新聞から情報を抽出しながら汐見課長が言うと、俐玖は「では課長から断りを入れてください」と言い返す。確かに、下っ端から言ったところで通らないことも多い。
「うーん、そうだねぇ」
脩も含めて英語話者は役所内にもいるが、ネイティブな人は少ない。俐玖だって、本人に言わせれば英語のネイティブであるわけではない。
そうは言いながらも、俐玖は脩の妹・梢に英語を教えていた。兄の脩では難しかったが、同性の俐玖は梢と『英語で世間話をする時間』なるものを取っているらしく、たまに梢から「今日、俐玖さんとこんな話をしたんだけど」と言われるようになった。たまに解釈が怪しいものもあるが、おおむね意思疎通できているようだ。そして、日常的に使うようになると上達してくるものである。
「今日は忘年会の行先を教えてくれたんだけど、県内の温泉街にある凌雲荘であってる?」
たまに、こうして梢は脩相手に答え合わせをしてくる。答えられないことも多いが、これは答えられる。
「そうだな」
肯定すると、さらに日程を確認され、それにも頷く。ちゃんと理解していたことに梢はほっとした様子を見せた。
「というか、俺に確認せずに、その場で俐玖に確認したらいいんじゃないか?」
「そうなんだけど……時間がたってから不安になってきたの」
むっと梢が頬を膨らませる。以前のようにザ・思春期です、と言うような言動はほとんど見せなくなったが、まだやや脩に対してあたりがきつい気がする。父に対するよりはましだが。
「役所の忘年会って、温泉に行ったりするんだ。泊りがけ?」
問いかけてきたのは大学三年生の弟の透だ。来年には大学四年生、そして社会人になる予定なので、こうして脩や父に話を聞いてくる。
「ああ。一泊二日だな」
「じゃあ、俐玖さんの浴衣姿撮ってきてよ。見たい」
梢が主張してくる。それは難易度が高くないか。
「俐玖の写真を、俺が? ドン引きされる未来しか見えないんだが」
「一緒に写ればいいじゃん」
思わずなるほど、と思ってしまったが、そう言う問題ではないだろう。しかしまあ、集合写真くらいは撮るだろうし、その写真でいいだろうと考え直す。
「……梢、俐玖のことが好きだな」
「好きよ。ちょっと天然入ってるけど、お姉ちゃんがいたらこんな感じかなって」
脩は透と顔を見合わせて苦笑を浮かべた。梢は三人兄弟の紅一点だ。途中、梢の思春期が入ったとはいえ、仲のよい方だと思う。それでも、年代の近い同性がいるのはまた違うらしい。梢の対応に俐玖や麻美を当てた汐見課長の判断は間違っていなかったのだ。
そんな家族との会話を思い出しつつ、脩は旅館・凌雲荘にいた。どうせ一泊するのだから、と車で来て、お客様駐車場に案内される。途中、脩は神倉と鹿野を拾ってきていた。二人は車を持っておらず、鹿野の方はバイクで来ようか迷っていたらしい。
どうしても仕事柄、すぐに出動できるメンバーを決めておかねばならず、今回は来宮と藤咲だ。来宮はそもそも下戸であるし、藤咲は子供が小さいので、忘年会だけ参加して帰るつもりのようだ。お泊りメンバーに入っていなかった。
一泊なので当然、部屋割りがあるが、男性陣が二部屋、女性陣が一部屋で、脩は一緒に来たこの三人で一室になっていた。ちなみに、幹事は持ち回りのようだが、今回音頭を取っていたのは佐伯と神倉だった。
「苦手なんだよなぁ、こういうの。次は向坂だな」
「俺は別にかまいませんよ」
部屋の畳の上で伸びながら言う神倉に、脩は苦笑する。脩は仕切ったりするのが得意なわけではないが、苦手でもない。
「鹿野さんはこういうの、そつなくこなしますよね」
「軍でもあったからな」
むしろ、積極的にみんなをまとめる訓練があるそうだ。いわゆる指揮官訓練のようなものだろう。宴会の幹事とはちょっと違う気がするが、それでも、段取りなどに慣れているということなのだと思う。
陸軍からの転職と言う異色の経歴を持つ鹿野だが、さすがに詳しいことは機密事項で答えてくれなかった。ちなみに、射撃の腕で俐玖がスカウトされたという話だが、真偽は結局不明のままだ。鹿野によると、そういうことはないわけではないらしい。
少し早めについていたので、先に温泉にも入りに行った。神倉が脩と鹿野を見て「俺も鍛えてみようかなぁ。ジムとか……」と少ししょげていた。脩は今も剣道を続けているし、鹿野は元軍人だ。比べる対象が悪いと思う。
ちなみに、温泉につかりに行ったら、汐見課長がすでにいた。超マイペースに一人でやってきたらしい。
温泉を上がり、夕食会上に行くと、すでに来宮と藤咲が来ていた。脩たちは浴衣だが、二人は私服だ。
「二人とも、浴衣に着替えます?」
神倉が一応確認すると、二人とも断った。ちょっと浮くかもしれないが、すぐに外に出られる格好がいいそうだ。まあ、確かにこの時期浴衣で外に出るのは寒い。
次に千草の車に乗り合わせてきたという女性陣が合流し、最後に汐見課長がやってきた。別に長風呂をしていたわけではなく、先に旅館に入ってしまったので、同室になる笹原と幸島を待っていたのだ。忘年会とはいえ、全員集まるのはすごいと思う。このご時世、飲み会などない、という会社も多いだろうに。
「では皆さん、羽目を外しすぎないように」
という汐見課長の注意事項と音頭を聞いて開始となった。旅館あるあるだが、会場が広くて向かい側がちょっと遠い。汐見課長は固定席だが、他はくじ引きで場所を決めた。
「私、なんで野郎の中にいるのかしら」
「野郎って言うなよ。公正なくじ引きだぞ」
「そうは言ってもねえ」
藤咲と神倉だ。庁舎内の事務所では席が離れているのであまり話しているところを見ないが、年が近い二人は割と気さくな会話をする。そして、夫より女の子が好きな疑惑のある藤咲は、一人だけ周りが男性で囲まれている。ほか四人の女性陣はほぼ固まっているので、藤咲の言いたいことはわかるが、こればかりは仕方がない。
「ESPの持ち主が多い時点で、公正とは言えないのでは」
珍しく口を開いたと思ったら、ツッコみを入れたのは鹿野だ。それに対し、「だが、くじ引きごときに能力を使うやつはいないんじゃないか」と、これは来宮。藤咲、見事に囲まれている。
「まあ藤咲さんは、後で席を変わってもらいに行けばいいよ」
「そうします」
笹原の妥協案に藤咲は真面目な表情でうなずく。幸島あたりに言えば変わってもらえると思う。こういう宴会では、最終的に席順が変わっているということはよくあることだ。
きゃあ、と歓声を上げたのは麻美だ。お酒が解禁されているので、彼女も梅酒のグラスを手に持っていた。
「……確かに楽しそうだな」
「でしょ」
神倉と藤咲の意見が一致した。すごくしみじみと言うので、脩は思わず笑ってしまった。
しばらくして脩はトイレに立った。同じタイミングで俐玖がトイレに立っていたらしく、廊下で遭遇した。
「そっち、楽しそうだな」
きょとんとした俐玖は顔色も変わっていないし、いつも通りに見える。
「そっちも十分楽しそうだと思うけど」
小首をかしげるしぐさが可愛い。先ほど鏡で自分の顔色を確認したが、いつも通りに見えた。しかし、多少は酔っているように自分でも思えた。
「どうかしたか?」
ふと俐玖が立ち止まったので、思わず脩も立ち止まった。彼女はじっと廊下の先を見つめている。電気が消されているのか暗く、先が見通せない。
と、思ったところでその異常性に気が付いた。おかしい。この廊下は、客室から宴会場に続く廊下で、脩たちがまだいる今、明かりが消されるはずがないのだ。それに、この途中にも宴会場は存在した。これだけ何の音も聞こえない、なんてはずはない。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
一か月に一章ペースで更新している気がする。




