表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/93

【Case:01 人数が合わない】3









 ちょっと変わった部署だと言っても、すべてがその課内で完結するわけではない。外に出ていることも多いし、ほかの部署とのかかわりだってある。脩は日下部に案内されて、どの書類はどこの課に行くか、と実地で説明されていた。正確には、起案書をどの順番で回すか、調査に行くときにどうやってほかの部署から協力を得るか、という方法を教わっているわけだが。


「こちらは市民課です。最近は厳しくて個人情報を簡単に教えてくれないので、ちゃんと書類にのっとって請求してくださいね」

「わかりました」

「あ、別に敬語はいいですよぉ。あたしのほうが年下だし」

「そうですか? でも、仕事上では先輩なので」


 もしかしたら、そのうち崩れるかもしれないが、しばらくはこれで。日下部は「まじめ!」と目を見開いた。


『すみません』


 声をかけられた。おそらく住民であることはわかるが、なんと言われたのかわからなかった。それは、話しかけてきた男性が話したのは、日本語ではなかったからだ。ついでに英語でもない。近い言語ではありそうだが。


 市役所職員とわかる名札を下げた脩と日下部が反応したので、まくし立てるように話しかけられるが、すべて外国語でわからない。脩はアメリカに留学していたことはあるが、それでカバーできるものではない。しかし、おそらくフランス語らしい、と言うことはわかった。


「ちょ、ちょっと待ってください! えっと!」


 市民課から廊下に出てすぐのロビーにいるので、市民課に戻れば外国語を話せる職員くらいいるだろう。プチパニックになっている日下部に声をかけようとしたが、その前に彼女が手を振った。


「あっ! 俐玖りくさーん!」


 ちょうど正面階段を下りてきた女性職員に手を振る。同じ課の鞆江だ。鞆江俐玖、と言うのが彼女の名である。ほかの課の職員と話していた彼女は、日下部に呼ばれて駆け寄ってきた。


「どうしたの、麻美」


 ちなみに麻美は、日下部の名だ。


「この方が御用らしいんですけど」


 と、日下部は男性を示す。一目でヨーロッパ系とわかる顔立ちだったからか、鞆江は流暢な英語で話しかけた。


『どうかされましたか?』


 男性は驚いたようだが、すぐに別の言語が返ってくる。やっぱりフランス語な気がする。

 鞆江も驚いたように何度か瞬きした後、英語ではない言語でその男性に応じた。いくらかやり取りし、男性は嬉しそうに「Merci beaucoup!」と鞆江の手を握って大げさにシェイクし、手を振って先ほど鞆江が示した方へ歩いて行った。


「ありがとうございます、俐玖さん! 英語でした?」

「明らかにフランス語だったよね。Merciって言ってたでしょ」


 苦笑気味に鞆江は日下部に言った。日下部は唇を尖らせ、「フランス語なんてわかりませんよぅ」と言った。まあ、大学まで行っていれば第二外国語で習う程度だな。


「すみません、鞆江さん。英語なら俺にもわかったんですが」


 脩がそう言うと、鞆江は「別にいいよ」と首を左右に振る。


「よくあるからね」

「よくあるんですか?」

「俐玖さんは六か国語が話せるマルチ……えっと」

「マルチリンガル?」

「そう! それなんです!」


 なぜか日下部が得意げだ。と言うより、今日話していて思ったのだが、日下部の語彙の少なさが気になる脩である。


「どっちかと言うと、ポリグロットだと思うわ。それに、フランス語は本当は、役所に届け出てないしね。聞かれたのが第二駐車場への行き方で助かったわ」

「あ、そういうこと聞いてたんですねぇ」


 日下部がぽん、と手を打った。なんとなく三人で歩き出す。地域生活課へ戻る道だ。


「鞆江さんは何語が話せるんですか?」


 好奇心で聞いてみた。やはり日下部が先に答える。


「日本語と英語とドイツ語、あと……えっと、なんでしたっけ」

「ん」


 と、鞆江は首から下げた名札兼身分証のIDカードを見せてくれた。多言語話者として、英語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語が書かれている。しかし、これに日本語を合わせても五か国だ。


「六か国語目はなんです? フランス語?」

「いや、ラテン語」

「ラテン語を話せるのって、バチカン市国の聖職者だけじゃないんですね」


 その言いように日下部が噴出した。めちゃくちゃ笑っている。いや、自分でもちょっと変なことを言ったな、と思ったけど。


「まあ、否定はできないけど、某漫画の古代ローマの女性研究者だって話してるじゃない」

「そうですけど」


 というか、そういうの読むのか。


「鞆江さん、頭いいですもんね!」

「頭がいい人っていうのは、宗志郎そうしろうみたいな人のことを言うのよ」


 腕にしがみついてきた日下部にそういいながら、鞆江は課の扉を開けた。


「というか、普通に戻ってきたけど、よかったの?」

「あっ」


 脩と日下部は同時に声を上げ、顔を見合わせた。まだ説明の途中だった。


「そこー、入るか入らないか、どっちだよ」


 ツッコみを入れてきたのは神倉だ。鞆江は肩をすくめて先に入ってしまった。脩と日下部も続く。


「あのー、帰ってきちゃいました」

「と言うことは、まだ全部回ってないのね。ま、いいわ」


 さばさばと千草が言った。すみません、と言いながら席に着く。


「ほい、決裁。あと、青い桜の被害総額。良かったら再計算してみてくれ」

「わかりました」


 神倉からファイルを預かり、言われたとおりに確認していく。そして、今日も背後は騒がしい。


「請求書、請求書知りませんか!?」

「ヴァルプルギスぅ? まだ先の話!」

「俐玖さーん。総務課から通訳依頼!」

「翻訳アプリを使って下さーい」


 まあ、ちょっとしたことでいちいち呼び出されるのは鞆江も困るだろう。実際、すごい勢いで文章がつづられている。

 今日も今日とて、課内の半分くらいの人がいなかった。相変わらず来宮はいないし、幸島と汐見もいない。と言うより、下っ端ばかり残っているという微妙な状況である。目の前の脩と神倉の席の間にある電話が鳴った。脩が電話をとる。


「はい、北夏梅市地域生活課、向坂です」


 どこへ行っても電話の取り方はほぼ一緒、と教えられた電話の取り方である。「地域生活課」が言いづらい以外はシンプルで覚えやすいフレーズだ。


『すみません、あの……うちの父が変、なんですが』


 名乗らずに急に始まった用件だが、市役所にかかってくる電話ではよくあるらしい。


「変、ですか?」

『ええ……急に壁に向かって話しかけたり、人が変わったように暴れだしたり……』


 それは医療の範疇なのでは、と思いつつ一度電話を保留にして神倉に話しかける。


「神倉さん。住民の方からお電話なのですが」


 ざっくりと説明すると、替われ、と言われたので電話を替わる。まだこういう対応はできない……。


「……鞆江」

「なんです?」


 電話を切った神倉に話しかけられ、脩の背後で鞆江が椅子後と振り返るのがわかった。


「突然壁に話しかける、人が変わったように暴れだす、部屋の隅に女の人が立っていると言う……これらから導き出されるのは?」

「……何らかの精神障害でしょうか」

「と、思うよなー……でも、明日来るっていうから、日下部、調書頼んだ」

「はぁい」


 日下部の返事が聞こえた。神倉は「明日、課長っていたっけ」と汐見課長の予定を確認している。なかなか面白い職場だと、二日目にして思う次第だが、ほかの部署もこんな感じなのだろうか。










ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


脩は順応力高めです。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ