【Case:06 影法師】8
その日は鞆江は迎えに来た母親とともに織部町にある実家の方へ帰って行った。鞆江の母は明らかにハーフだとわかる外見をしていて、どちらかと言うと恵那に似ていた。
金曜日はさすがに休みだったため、脩は来宮と範囲指定の結界を確認しに行った。おそらく、すでに解決していると思うが、念のためだ。犯人が捕まっているわけではないので、警察としても警戒を解けないのだ、と拓夢が苦笑していた。
土曜日、脩は警察署にいた。鞆江がストーカーにあった現場にいたから、事情聴取をされたのだ。金曜日のうちに鞆江がある程度答えていたので、それに付け加えるだけでよかった。
ちなみに、この時に鞆江からパーカーが返ってきた。洗濯もしてあって、そこまでしなくてもいいのに、と肩をすくめた。
二件同時進行だったため、少々忙しかったが、週明け水曜日には報告書の体裁が整っていた。そしてその日の終業後、脩は居酒屋にいた。
「それでは皆さん、お疲れ様でしたー」
音無が音頭を取って乾杯である。すぐさま拓夢が突っ込みを入れた。
「一番関係ないよな、お前」
「そうね。でも、この中でほかの誰が音頭を取るっていうの?」
勝ち誇ったようにふふん、と鼻を鳴らし、音無がふんぞり返る。拓夢は肩をすくめてジョッキに口をつけた。こんな感じで振り回されているのだろうな、と思うと微笑ましい。が。
「なんで俺はここにいるんだろう」
終業時間直後に音無が地域生活課にやってきて、脩と鞆江を連れてこの店まで来たのだ。拓夢も呼び出されたのだと思われる。
「まあ、お前は芹香よりはかかわってるぞ。つーか、俐玖、お前は脩に感謝しておけよ」
「わかってる。さすがに反省してる……」
一週間ほど前に拓夢が言った通りになった。無事だったがちょっと痛い目にあって、鞆江も大いに反省したらしくテンションが低い。いや、テンションが高い鞆江が想像できないので、いつもこんなものだったかも。
「たっぷり反省しておけよ。犯人、マジで変態だったぞ。聞くか?」
拓夢がそう言うので、一応聞いてみた。鞆江のストーカーは、あのアパートの鞆江の一階下に住んでいる学生らしい。一度、鞆江に声をかけられたことがあり、そこから好意を持ったらしい。
「全然覚えてない」
「だろうな。鍵を拾ってもらったらしいぞ」
「わからない……」
本気で困惑しているように見えるので、本当に覚えていないのだろう。鞆江は記憶力がいい方だったはずなので、彼女の中でいつも自然に行なっていることなのだろうと思われた。
その後、彼は鞆江を観察していたそうだ。挨拶をしたら挨拶が返ってきたため、鞆江の方も自分に好意を持っている、と思い、妄想が爆発して付き合っていると思い込むようになったそうだ。
「ええ……何それ」
「普通に気持ち悪いわ」
女性陣に不評である。当たり前だ。脩が鞆江でも気持ち悪いと思うと思う。と言うか、一人の社会に出た大人として、挨拶をされたら普通、挨拶を返すものだ。まったく特別なことではない。
後をつけ、隠し撮りをし、生活音を聞いて妄想をしていたらしい。彼から事情聴取をした刑事は、延々と『プレイ』の内容を聞かされてげんなりしていたそうだ。その内容は聞かないことにした。青くなった鞆江が首を左右に振ったからだ。
「むう、気に入らないわね。私の前でどんなに乱れるか語ってやりたいわ」
「芹香も悪ノリしないで」
音無が隣の鞆江の腕に抱き着く。男女で向かい合っているため、合コンっぽくなっている。
「……話、続けるぞ」
どうぞ、と音無を腕に引っ付けたまま鞆江が言う。若干顔が赤くなっているので、音無は酔いが回ってきたのかもしれない。まあ、恋人の拓夢がいるから大丈夫だろう。
そんな生活を一月以上続けていたわけだが、ある時、脩が鞆江を送ってきた。いつもの拓夢や、来宮とは違う男の登場に、ストーカーは脩が鞆江に横恋慕しているのだと思い込んだらしい。もしかしたら恋人に間違われたかな、と思っていたが、まさかの横恋慕疑惑だった。ストーカーの中では、自分と鞆江がつきあっているのである。
そこで、焦ったストーカーは鞆江を手に入れようと妄想を実行に移そうとした。ざっくり説明すると、こういうことのようだ。
「俐玖を好きになるって、見る目はあるけど、これはだめね」
「普通に口説いても俐玖は気づかないだろ。大いに反省して、自分がそれなりにもてることを自覚しろよ」
付き合いの長い音無と拓夢なので、言いたい放題だ。鞆江は「モテはしないけど、気を付ける」とわかっていないなりに気を付ける発言をしたので、たぶん大丈夫だろう。
「脩もありがと。疑うようなこと言ってごめん」
何のことかと思ったが、さんざんストーカーなんていない、と言ったことのようだ。脩は苦笑した。
「別に気にしてないな。けど、先輩の言う通り、俐玖は自分が思っているよりモテるし、美人だと思って行動した方がいいと思う」
若い女性の一人暮らしだ。気を付けすぎて悪いことはないだろう。三方から説教され、鞆江はちょっとむくれつつも「わかった」とうなずいた。本当に、無事でよかった。
「向坂君は俐玖が美人だと思うのね」
言葉尻を取り上げて音無が突っ込んでくる。少し迷ったが脩は「そうですね」と肯定した。音無が「そうよね」とうなずく。
「私の親友は美人なのよ」
「そうだとしても、芹香ほどじゃないよ」
この論争は果てしないので、鞆江が無理やり切り上げようとする。拓夢も話を変えた。
「こっちも聞きたいんだが、俐玖が消滅させた影法師のやつは? なんかわかったか?」
「もう消滅しちゃってるからね……最初のころと比較もできないし、はっきりしたことは言えないけど、やっぱり血を吸収して力をつけていたんだと思う」
脩が報告書にまとめた件だ。脩は書いただけで、分析したのは鞆江と来宮だ。
「対象の選択理由は? 四人目は少年だっただろ」
「……若い血を狙っていたとか」
「適当すぎるだろ」
ツッコまれて、鞆江は肩をすくめた。
「実際にわからないんだもの。こういった都市伝説的なものは発生根拠がないのも多いから、苦手だよ」
なるほど。納得の理由である。鞆江は歴史学系の担当だから、そうした過去の資料に載っていなければお手上げなのだろう。結局、報告書に書いたこと以上のことはわからないのだ。
「向坂君は? どう思ってるの?」
音無に尋ねられ、脩は困ったように首を傾げた。
「俐玖にわからないことが、俺にわかるはずないじゃないですか」
「脩」
咎めるように鞆江が脩を呼んだ。いや、自分を卑下しているわけではなく、本当にわからないのだ。別方向からわかることもあるが、今回の件は本当についていっただけである。
「警察としては、もう少し様子見だな。犯人が捕まったわけじゃねぇから」
ここが警察の苦しいところだ。怪奇現象は、証拠が残らないことが多々ある。
だんだん近況の話になっていき、音無の頭が揺れだした。拓夢が音無のグラスをお茶にすり替える。
「芹香、もうやめとけ。お前、家結構遠いだろ」
時間はそれほど遅くないので終電に乗れない、などと言うことはないだろうが、これだけ酔ったそぶりが見られれば心配にもなる。だが、音無はふふん、と笑って隣の鞆江に抱き着いた。
「いいもん。今日は俐玖の家に泊まるもの」
「えっ、そうなの?」
鞆江の了承を得る前だったようで、鞆江自身が驚いた顔をしている。拓夢も「まあ、それならいいけど」とよくあることらしいのでうなずくが。
「待ってください、ストーカーがいたところですよ」
思わずツッコみを入れると、鞆江に「私、今住んでるんだけど」と半眼で言われた。音無も、「犯人捕まってるものねぇ」とからりと笑う。
「気持ち悪くないんですか?」
「気持ち悪いのは犯人自身だね。別に盗聴器とか仕掛けられてたわけじゃないみたいだし」
「引っ越しとか」
「すぐに物件は見つからないし、面倒くさいじゃない」
「本音!」
確かに、セキュリティーもそこそこちゃんとしているし、立地もいいアパートだ。それに、引っ越すのが面倒くさいのもわかる。それに、お金もかかる。
「建物自体に問題があるわけじゃねぇから俺も止めないが、なんかあったら言えよ。ストーカー男の親御さんが警察に苦情入れてきてるからな」
「本当にいるんですね、そういう親……」
話には聞いたことはあるが、本当にいるものなのだな。
その日、本当に音無は鞆江の家に泊まっていった。次の日は鞆江の服を借りて出勤したらしい。いつもとちょっと雰囲気が違う、という話が地域生活課にまで入ってきた。
ちなみに、脩と拓夢は小学校から高校まで同じなので、家が近い。女性二人を送った後、一緒に帰ることになった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
キリがいいので、連載を一旦停止します。続きが全くないので…。できるだけ早く再開できるといいな、と思っています。




