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【Case:05 境界】3










 と言うわけで、撤収前にもう一度川を見ておくことにした。尤も、こちら側から見えるのは普通の色の川だけど。なので、見たところで普通の川だ。だが、明代地点を確認しておきたい、と言うのもまた事実のようである。

 体力がないのか運動神経がよくないのかわからないが、ごつごつした岩道に幸島が苦戦しているのを見て、脩と神倉が機材を持った。川に着くころには幸島は肩で息をしていた。村橋もきつそうだが、まだ元気そうに見える。


「幸島さん、大丈夫ですか」

「大丈夫じゃねぇよ……お前ら、元気だな」


 恨みがましく幸島は脩や神倉をにらんだ。二人は顔を見合わせた。


「元気ってわけじゃありませんけど」

「一応まだ二十代ですし」

「こっちはアラフォーなんだよ!」

「えっ、幸島さん、アラフォーなんですか」


 同じくらいだと思ってました、と村橋。幸島は三十八歳だそうだ。来宮より年上なのはわかっていたが、本当にアラフォーだった。


「その顔で三十八歳は詐欺だと思います」

「俺だって好きでこの顔なわけじゃねぇのよ」


 昔から童顔で、今でも二十代に間違われることがあるそうだ。脩も初めて幸島と話したときは、自分とそんなに変わらない年だと思ったものである。

 話を戻して、川である。幸島と村橋も現場を見て、これは川を越えるか回り込むしかない、という結論に至ったようだ。


「水源を調べてくるべきだったなぁ」

「どこかにあったと思いますけど」


 村橋が端末を調べ始める。脩は岩の上から川をのぞき込む。


「向坂ぁ。一人になるなよ、戻ってこい」

「はい」


 幸島に注意され、脩は立ち上がって彼らの元へ戻ろうとした。が。


「おっと」

「向坂!」


 神倉の焦った顔が一瞬見え、川の水に足が着いた瞬間、見えなくなった。


「……はっ?」


 声が出て、状況を把握した瞬間にざっと顔が青ざめるのが自分でもわかった。明らかに血の気が引いた。やってしまった。川に足を踏み入れたことで、境界を越えてしまったのだろう。それは脩にも判断できた。


「落ち着け……まず、連絡」


 心臓がバクバクしている。やることを声に出し、スマホを取り出す。


 ……圏外。


 この山の中は電波が通っている。よほど奥の方に行かなければ不通になることなどないはずだ。自分が通常の空間とは違う場所にいるのだと、嫌でも意識した。

 スマホを片付けて顔を上げる。ここまで来たら一緒なので、ひとまず川から上がる。いつまでも足を川の中につっこんでいるわけにはいかない。

 とはいえ、あまり動き回らないのが迷子になった時の鉄則だ。しかも、今回は脩の力ではどうにもならない事態に巻き込まれているのだ。神倉たちが脩が『こちら側』に足を踏み込む瞬間を見ているのだから、探してくれるはずだ。少なくとも、颯なら見つけてくれると信じている。

 近くの木に寄りかかる。すぐに動けるように、立ったままだ。早めに見つけてもらえると助かるのだが。


「……夕方か」


 夕日が山の木々を赤く染めていることに気づいた。まだ日が暮れるほどの時間ではないと思っていたのだが、いつの間にかそんなに時間がたっていたのだろうか。この時の脩には、時計を確認する、という意識が働かなかった。

 木から体を起こして周囲を見渡した時、はっと何かと目が合った。いや、目が合った、と言うのが正しいのかわからない。ただ、『何か』と目が合った、気がした。自分が見つめているものが認識できない。焦りと恐怖。このまま見つめていては、まずい気がする。


 パンッ! と破裂音が響いた。脩が驚いて瞬くと、一斉に鳥が飛び立つ音が耳についた。そこで、先ほどまで音が消えていたことにやっと気が付いた。


「向坂さん!」

「……鞆江さん」


 破裂音は銃声だった。鞆江が猟銃を放ったようだ。その音で、脩の意識が引き戻された。猟銃にロックをかけた鞆江が駆け寄ってくる。


「大丈夫!?」

「……大丈夫だと、思います」


 顔をのぞき込んできた鞆江にそう言って微笑むが、顔がこわばっていたと思う。じっと脩を見つめていた鞆江が「大丈夫そうだね」と苦笑を浮かべた。それからスマホを取り出し、どこかに電話をかけ始めた。


「あ、幸島さん?」


 相手は幸島のようだ。ふと自分のスマホを見ると、自分のスマホもちゃんと電波が通じている。先ほどの圏外は何だったのだ。


「向坂さん、見つけましたよ。このまま下山するので、迎えに来てください」


 幸島とやり取りし、鞆江が通話を切った。


「……鞆江さんも探してくれてたんですね。ありがとうございます」


 熊狩りの最中だっただろうに。もう終わったのだろうか。そう言えば、脩は鞆江がいるのと別の山にいたはずなのだが。


「今日の狩りはもう終わりだったからね。もしかしたら別の場所に飛ばされたかもって、幸島さんから連絡が来たし」

「あ、やっぱりこの山、俺が入った山じゃないですよね?」


 鞆江が一緒に来ている猟友会と合流するために下山しながら、脩が尋ねると、鞆江は「そうだね」と肯定した。


「向坂さんたちが調査に来たのは、隣の山だね」


 正確にはこの山も、鞆江が熊狩りに入った山ではないらしい。さらに一つ隣の山なのだそうだ。隣の山なのに、よく見つけてもらえたものである。鞆江を拝んでおくべきだろうか。


「俺、移動した記憶、ないんですが」

「境界を越えたんでしょ。連れて行かれなくてよかったね」

「ええ……」


 さらっと怖いことを言われた気がする。歩きながらざっくり説明されたところによると、やはり脩は川に足を踏み入れて、境界に片足を突っ込んでしまったらしい。そして、別の空間に足を踏み入れた。


「研究者によっては、本の隣のページに移動した、とか表現する人もいるけど」

「わかるような、わからないような」


 まあとにかく、その空間に足を踏み入れたら、入った場所に出られるとは限らないそうだ。県をまたぐこともしばしばなので、脩はそんなに移動しなかった方だ。


「結局、なんだったんでしょう。川の水の色が変わっていたことに関係はあるんでしょうか」

「うーん……私は状況を見ても聞いてもいないから何とも言えないかな」


 困ったように首を傾げられ、脩ははっとした。その通りだ。この話が来た時、鞆江はすでに外に出ていたし、現場をいるどころか話も聞いていないのだ。


「すみません」

「謝られるほどのことでもないかな」


 笑って言う鞆江が強い。話を変える意味もこめ、脩はさらに尋ねた。


「質問ばかりで恐縮なんですが、あちらで、何かと目が合った気がするんですが、なんだったんでしょう?」

「山の怪異かなぁ」


 その通りなのだが、鞆江はふざけているわけではなく、真剣だ。


「山って、霊が集まりやすいって言われるの。必然的に、怪異が起きやすくなる」

「ああ……神隠しとか、マヨイガとか」

「そうそう。人は自分では理解できないもの、自分たちにとっての脅威を神に例えたり、物の怪としたりするけど、そう言うのの一種かな」

「ええっと、物の怪だったんでしょうか」

「というより、まだ名前のついていない『ナニカ』かな。ちなみに、山の神は女神だから、男が好きらしいよ。向坂さんはかっこいいから返してもらえたのかもね」

「あはは……」


 反応に困って乾いた笑いが漏れる。鞆江が肩をすくめた。









ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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