【Case:05 境界】2
「……式神?」
「どちらかと言うと、呪術で戦う漫画の某呪法では」
脩と村橋があっけにとられてつぶやく。神倉は「もっと言うことないんですか」と微妙な表情であるが、幸島は気にしない。
「よし。颯、においの違うものを探してくれ」
「颯、幸島さんの言う通りにするんだ。あちらとこちらの違いを見つけたいんだ。できるか?」
漠然とした命令にも犬、もとい颯はバウッ、と吠えて了承を示したようだ。賢い犬だ。いや、式神なんだっけ。
「よし、行け!」
神倉が号令を出すと、颯がかけていく。犬なので、山道だろうと軽々だ。人間にはついていけないので、ここで颯の戻りを待つことになる。
「ちなみに、犬じゃなくて狼だぞ、颯は」
「ああ、そうなんですね」
てっきり犬だと思っていた。なぜだろう、と考えたところ、見た目が日本の国民的アニメーション映画の山犬に似ているからだ、と気づいた。
「ていうか、そこじゃないですよね! 今の何!?」
村橋が驚いて叫ぶので、普通はこんな反応なのか、と思った。脩もだいぶ地域生活課に染まってきているのだと気づいた。
陰陽師の元へ修行へ行かされたのだという神倉は、通常の陰陽術よりも生き物を使役する能力に秀でていた。まあ、陰陽術は範囲が広いので、そういう術も学ぶことができたということだ。ゲームで言うテイマーのような能力らしい。
颯は、狼と言っても本物の狼ではない。そんなことしたら動物虐待で捕まるだろ、と神倉に真顔で言われた。颯は妖に近い狼なのだそうだ。つまりそれは例の山犬なのでは?
神倉が使役しているのは狼の颯と、鷹らしい。それ以上は使役できない、脳が焼き切れる、と言っていた。幸島の解説によると、神倉が使役獣を札に封じているのは陰陽術の一種だが、それを使役するのは精神干渉の能力に近いのだそうだ。つまり、超能力。それを調べたのは鞆江なのだろうなぁと思った。
「なんで向坂君は納得できるんですか? どこに納得できる要素がありました?」
向坂が新人だと知っている村橋が疑問を投げかけてくる。そう言われても、脩にもそういうもんだと思っている、としか答えようがない。脩はこうした怪異の案件にいくつかかかわってきたが、本人が信じている、と言うよりはそれが仕事だから関わっているのだ。そういうものである、と飲み込んでいるに過ぎない。
「村橋さん。世の中には理解できないもんがいっぱいあるんだよ。そう言うのを飲み込んで、大人になっていくんだぜ」
「俺もう三十五ですけど!」
言い聞かせるような幸島の言葉に、村橋が全力でツッコむ。だが、そこではないと思う。
そんな不毛なやり取りをしている間に、颯が戻ってきた。上流から駆け下りてくる。やはり狼と言うより、犬に見える。
「よーしよし。なんか見つけたか?」
わしゃわしゃと神倉が颯をなでまくる。颯がわふん! と鳴いた。
「……狼、なんですよね?」
「鳴き方は犬っぽいよなー」
使役している本人である神倉にまで言われている。尤も、脩たちのイメージの中の狼と乖離しているだけ、と言う可能性はなくはない。
「上の方に何かあるみたいですね。俺、行ってみようと思うんですけど」
そんなに高い山ではないが、人の手が入っていないので上流に向かうとなると結構大変だ。獣道を行くことになるし、何より熊が出ない保証がない。
「わかった。機材もあるし、体力もないし、俺は車で上流向かうわ。向坂と村橋はどうする?」
脩は村橋と顔を見合わせた。
「俺は神倉さんと一緒に行きます」
「向坂!」
「おう。気をつけろよ。なんかあったら連絡くれ」
神倉の感動したような声は、平常営業の幸島の声にかき消された。幸島は村橋に声をかけると、機材を持って道路の方へ上がっていく。幸島たちが回収してくれるとわかっているから、安心して上流へ向かえる。
「ああ、でも、熊が出るんでしたっけ」
「猪も鹿も出るぞ。でも、颯がいるからな」
神倉が颯の頭をなでると、颯はやはり「わふん!」と鳴いた。これで犬ではなく狼なのだ。しかも、神倉が使役している妖に近い獣なので、大概の動物は遠巻きにするらしい。よって、颯と行動していればそんなに危険ではない。
「いや、でも、向坂が一緒に来てくれて助かったわ」
颯が一緒とはいえ、さすがに一人で川沿いを上っていく気にはなれなかったらしい。そして、幸島がついてきてくれないのはわかっていたから、脩か村橋に来てほしかったのだそうだ。
「怪異相手では役に立てませんが、体力はありますから」
「お前、いいやつだよな」
しみじみと神倉が言った。あと、脩もこの川の色がどこまで続いているのか興味がある。
道が整備されているわけではないので、上流へ向かうのはなかなか大変である。木や岩が進路を邪魔をして、回り込むこともよくあった。そして、十五分もあるけば神倉の息が上がってきた。途中で休憩をはさみつつ、まだ川の色が青いので上っていく。颯も軽やかに駆け上がっていく。
「向坂、体力あるな……」
「いや、俺もきついです」
息も絶え絶えに神倉が言う。立ち止まって休憩し、水を飲む。颯が楽し気に周囲を駆けまわっているのが恨めしいくらいには脩もきつい。体力はある方だが、山登りに慣れていないのだと思う。熊狩りに参加しているはずの鞆江は大丈夫だろうか。
そして、暑い。七月だから当然ではあるのだが、暑い。熱中症にならないといいが。
もうしばらく上ったところで、颯が「わふん!」と鳴いた。川が分かれている。普通の透明な水の方は右手から合流しており、青い水の方は左手のさらに上流から流れてきている。
「……神倉さん、こういう場合は? 青い方を追えばいいんですかね」
「いや……川を渡るの、危ない気がする」
脩としてはわたってその先まで見に行ってみたい気もするが、経験のある神倉の意見の方が正しいだろう。脩は素直に「わかりました」とうなずいた。
車で近くまで来ているはずの幸島に連絡を取って、合流することにする。山の中でもちゃんと電波は通じていたが、脩と神倉が道路に戻る方が大変だった。
「どうだった?」
「途中で川が合流してたんですけど、川を越えないと青い方の水を追えなかったんですよね」
「で、渡らなかったのか」
「はい」
「賢明だな」
幸島にも支持され、神倉がホッとしたように息を吐いた。村橋が「どうしましょう」と眉をひそめている。飲料水になる川ではないが、農業用水としては使われているようなので、できれば何とかしたいらしい。やっぱり産業振興課の仕事のような気がする。少なくとも、農林水産部の仕事ではないだろうか。水道課は建設部に分類される。
最初にも一応調べたのだが、もう一度タブレットで航空写真を確認してみる。木々に隠れて川がほとんど見えないが。
「多分、こんな感じで川が流れてるんだよな……」
幸島がタブレットの写真に川の流れと思われるものを書き込んでいくのを見て、村橋がはっとした。
「ちょっと待ってください。どこかに河川図があったはず……」
そう言って水道課のタブレットからわかるだけの河川図を出してくれた。幸島が見比べながら描きこもうとする。
「なんで変なところだけアナログなんですか」
重ね合わせればよかろう、と言うと幸島と村橋にタブレットを渡された。じゃれついてくる颯の相手をしていた神倉ものぞき込んでくる。許可を得て村橋のタブレットのデータを幸島のタブレットに移し、重ね合わせる。完全には合致しないが、おおよその流れがわかるようになった。
「向坂、機械に強いんだな……」
むしろ幸島が得意ではないことにびっくりした。彼は専門が化学であるらしく、機械はもともと専門外らしい。
「まあ、これくらいなら。俺も専門外ですけど」
「年代の違いってことか。若いっていいな」
「俺もできませんけど」
神倉と脩は三つか四つほどしか離れていないので、それほど学習環境に差があるとは思えない。興味があるか、センスがあるかの違いだろう。
それはともかく、川の上流の流れがわかった。先ほど、脩と神倉が確認してそれ以上追うのをあきらめた上流への道。青い水が流れていた方の川は、そのあとは一本で分かれていなかった。
「この水源まで行きたいな」
「こっち側からだと、川を渡らないといけないんですよね」
幸島と神倉が相談を始める。颯が単独で乗り込めないか、と幸島が尋ねたが、颯も川を越えて境界を越えてしまうと、何があるかわからないらしい。神倉の力が及ばない範囲になるので、支配から外れてしまう可能性もあるようだ。
「誰なら確かめられるんだ? 課長?」
「えー……どうでしょう。課長なら境界が本当にあるかは確認してくれると思いますけど」
「……ドローンを飛ばしてみるとか」
脩が現代的な意見を言うと、「おお」と幸島と神倉が手をたたいた。
「でも、飛ばせる奴いないな」
「俺、免許は持ってますけど」
借りてくればドローン自体は市役所にあるはずだが、飛ばすにもいろいろと制限があるので現代的ではあるが現実的ではないかもしれない。
「あ~……回り込むか? いや、あっち側の山、今熊狩りしてんだっけ」
半分独り言を幸島がつぶやく。確かに、分かれた川を追うために回り込むことはできるが、今熊狩りをしている山を通らなければならない。少なくとも、今日は無理だ。まだ熊が見つかったとも、今日の捜索は終了したとも言われていない。一応熊鈴をつけているが、それでどうにかなる問題ではない。
「……一応、もう一回川見とくか」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
呪術〇戦のあれですね。あれではなく、普通に式神の方が近いですね。




