【Case:05 境界】1
その話を持ってきたのは水道課だった。もともとは産業振興課から話が回ってきたらしい。山間の川の水がおかしいという。
「それって産業振興課の管轄じゃないんですか」
「山地の管理はそうですね。一応、飲み水にも使われている川で、水質調査を行ったので」
と言うのが水道課の話だ。実際のところ、管轄は微妙らしい。だが、今産業振興課はクマが出たことで大わらわなのだ。クマを探しに山地に猟友会が入っており、地域生活課からも鞆江が動員されている。すごく嫌そうな顔で「山狩りか」とつぶやいて出て行った。
「一応、見に行って写真を撮ってきたんですけど」
ほら、と水道課職員の見せてくれたタブレットをのぞき込むと、なるほど。ちょうど真ん中で普通の透明な水と明らかに自然ではない青い色のついた水とが分かれている。本当に、きれいに川の真ん中で分かれているのだ。どういう仕組みだろう。
「水質には異常がないので、こちらの案件かな、と……」
「んー。調査はしてみた方がよさそうだけど」
と、脩の後ろからタブレットをのぞき込んだのは幸島だ。ほかの写真も見せてもらい、受付用紙を書いてもらうことになった。
「ありがとうございます。よかった……」
ほっとした様子の水道課職員に、幸島は「お前も一緒に調べに行くんだぞ」とツッコみを入れた。丸投げさせる気はないらしい。
「って言っても、こっちで動けるのは」
幸島が室内を見渡す。脩も本日のみんなのスケジュールを確認した。汐見課長、笹原、日下部は会議で使用する資料の作成中、課長補佐の千草と来宮はすごい勢いで資料をめくりまくっている。このチームには鞆江も参戦していたのだが、現在熊狩りだ。佐伯と鹿野は以前行った調査の経過確認であるので、不在。藤咲は子供が熱を出して早退した。
「神倉ぁ。行くぞ」
「やっぱり俺!」
半泣きになりながらも神倉は立ち上がって準備を始める。
「向坂も行くぞ。課長、二人連れて行きますね」
「わかったよ。気を付けてね」
顔を上げずに汐見課長が言った。その目はずっと資料を見比べて数字を追っている。
「日下部さん、ここの計上、間違ってるよ」
「あ、はぁい!」
別の資料を作っていた日下部が声を上げてデータを確認する。ちなみに、議場でもペーパーレス化が進んでおり、今は紙資料ではなく一人一台タブレットを持ちこんでおり、そのタブレットにデータがすべて入っている状態だ。書記だけはノートパソコンであるが。
「あの、行く前に一つ」
「なんだよ」
水道課職員がそっと手上げて注意を引いた。幸島が首をかしげる。言いづらそうに水道課職員は言った。
「実は、問題の川が流れている山の近くの山で、熊狩りが行われています」
「……マジで?」
「その場合って入っていいんでしたっけ……」
神倉と脩の問いが被って、二人は顔を見合わせた。立ち入り禁止になっているのでは? と思ったが、山が違うので立ち入り禁止ではないらしい。禁止区域が広がったら、撤収するしかないので、産業振興課にも連絡を入れておく。
「行かないって選択肢はないんですね」
「こういうのは早めに対応を見せとかないといけないからな」
神倉がため息をついた。クマが出る山の近くに行くのが嫌なのではなく、そもそも山歩きが苦手らしい。
「もうちょっと体力がいるなぁ」
「十分だと思いますけど」
普通よりは体力があるのではないだろうか。後ろ向きな発言の多い神倉も、県民大会に出場していた。確か、卓球だったと思う。
「おら、そこ。行くぞー」
幸島に呼ばれて、脩と神倉も彼に続いた。水道課職員、村橋主査の案内で現場に赴く。運転は脩だ。普段はほとんど運転しないのに、職場で運転技術が磨かれつつある。
村橋の案内でたどり着いたのは、車で四十分の山間の集落だった。北夏梅市は、中心街は割と都会なのだが、そこを離れれば日本昔話か? というような光景が広がっていたりする。脩は北夏梅市の出身であるが、就職してから車でよく訪れるようになったので、このあたりのことはそれほど詳しくない。
「そこの川です」
と、崖ぎりぎりに設置されたガードレールから、その崖の下、川の方をさして村橋は言った。崖と言っても、せいぜい二メートルくらいだ。落ちたら上がれなさそうではあるが。
「うっわ。まじできれーに分かれてるな」
川をのぞき込んだ幸島がそう言うので、脩ものぞき込んだ。なるほど、写真の通り、ちょうど真ん中で透明な水と青い水に分かれている。青い水は絵の具を溶かしたような底の見えない青だ。
「……魚とか、どうしてるんですかね」
「透明な方で泳いでますよ」
村橋が脩の素朴な疑問に答えた。透明な水は、今脩たちがいる側の水だ。こちら側には泳いでいるらしい。
「では、青い方には何かあるんですね」
「空間的に隔絶されているのかもな。ほら、向坂も荷物持って」
「ああ、すみません」
川をのぞき込んでいた脩に、神倉が機材を手渡す。機材と言っても、最近は小型化が進んでいるのでそんなに大きくない。そして、一部脩も使ったことのある機材がある。そう思っていると、幸島に声をかけられた。
「向坂、こういう機材、使える?」
「俺、一応理工学部なんですけど」
「つまり?」
「人よりは得意だと思います」
「よし、覚えろ」
幸島がそう言って持っている機材の使い方を脩に教え始める。簡単に言うと、水質を測るための機材だった。ほかにもこまごまとした計測器がある。
曰く、超自然的な現象であることを証明するために、科学技術が必要なこともあるのだそうだ。若干矛盾している気がするが、言いたいことはなんとなくわかる。
「なのに、機械苦手だってやつ多いんだよ」
「すみませんね」
神倉が憮然として言った。幸島は肩をすくめると、脩に指示して川の水を測らせる。ひとまず、普通の方と青い方と、両方を。
「川を渡るなよ」
「向こう側の水、取りにくいんですが」
大きな川ではないが、反対側の青くなっている問題の水の方が汲みにくい。そう苦情を言うが、神倉も「ダメだ」と言うので、理由を聞いてみた。
「川は境界だ。死後の世界だって、三途の川を渡るだろ。何もないかもしれんが、用心すべきだ」
という幸島の慎重論に納得し、四苦八苦しながら脩は水を汲んで調べた。
「……全く一緒で異常がありませんね」
「だから言ったじゃないですか」
村橋が突っ込みを入れた。そうだ。水道課がすでに、一通りの化学検査をしているのだ。データを記録しながら、「一応、念のためな」と幸島はしれっとしている。まあ、データは多い方がいい。信ぴょう性が増す。
「……こっちから採取したら、同じデータになるんですかね。川越えて採取してみる?」
「それ、お前、自分でさっきだめだっつったじゃん」
神倉の提案に、幸島があきれたように言った。でも、と幸島が顎を撫でる。
「確かにこのままじゃ同じデータが出るだけなんだよな……早速科学的には手詰まりだ」
これまでの案件でも、課のみんなはデータが取れるものはあらゆるデータをそろえていた。それでも解明できなければ怪異、と言うことなのだろう。
「じゃあ、俺が調べてみます。こういうのは不得手なんですけど」
そう言って肩をすくめた神倉に、幸島が「頼む」とうなずいた。そう言えば、脩は何度か神倉と案件に関わったが、陰陽師(似非)だという彼のそう言った面を見たことがない気がする。
「それでもだめなら、戻って千草さんに占ってもらおうぜ」
「ですね」
うなずいた神倉が二度柏手を打った。手には札のようなものを持っている。それに息を吹きかけると、影が動いた。その影が瞬きするうちに生き物の形を作り、白い大きな犬に変化した。
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