【Case:04 黒女】2
県大会の翌日も普通にお仕事である。休みを取っている者もいるが、ほとんどが出勤である。休みの藤咲は空手の大会に出ていたらしい。今日も脩よりも早く出勤していた日下部は卓球に出ていたと言っていた。一応、ベスト8まではいったそうだ。結構強い。
「鞆江さんのライフル射撃も見てきたな」
「ええー! いいなぁ! あたしも行きたかったんですけど、時間が一緒だったのですよねぇ!」
日下部は頬を膨らませながら言った。静かな競技会場であったが、写真くらいとっておくべきだったか、といまさら思う。音無が撮っていた気がするけど。
今日は始業時間間近になってから、鞆江と来宮が一緒に来た。仲が良く、実際に親族ではあるが特段血のつながっているわけでもないこの二人は、一緒に出勤してきた。鞆江が来宮夫妻の家に泊まったのだろうか。
「珍しいわね、一緒に出勤って」
課長補佐の千草が苦笑気味に尋ねた。鞆江がむっとしたように言う。
「朝から宗志郎から電話がかかってきたんですよ。昨日大会で疲れてたのに」
「これでも夜が明けるまでは待ったんだぞ。お前だって来たじゃないか」
「しつこく電話を鳴らしてきたのはそっちじゃない」
むすっと唇を尖らせながら鞆江が言う。今の夜明けは六時前だ。人によっては起きているかもしれないが、早い時間には違いない。
「仕方ないだろ。こっちは深夜から怪異とにらみ合いだぞ!」
おかげで来宮は寝不足なようだ。寝不足な来宮と鞆江で、お互いに遠慮がないので険悪になっている、という状況らしい。
「そんなこと言われても、私は怪異の専門家ではないのだけど」
「俺には退魔の力がないだろ。子供だっているんだ」
「そうだけど、あれは宗志郎についていたのだから、心配することないよ。朝までにらみ合ってたなら、そのまま出勤してくればついてきたと思うよ。家についていたわけではないもの」
「そういうことは早く言え!」
「言ったところで、来宮はそういうの、わかんないから結局鞆江を呼びだしただろ。ほら、二人とも機嫌直せって」
ぱんぱん、と手をたたいて幸島が締めた。隣の席の鞆江に「そんなにむくれるなよ」と言い聞かせ、来宮には「後輩にあたるんじゃねーぞ」と注意した。
「幸島さん、マジお母さん」
「誰が母さんだ」
にこにこと日下部がのたまう言葉にもツッコみを入れ、今日も幸島は忙しい。指導員の来宮は確かに機嫌が悪いが、それくらいで動じる脩ではなかった。
「仲良しですね」
兄弟げんかだ。血がつながっていないはずだけど。
「うるさい」
既視感があると思っていたが、どうやら昨日会った拓夢と似ているようだ。鞆江が二人と仲が良いのも、なんとなく納得できることとなった。
幸島が聞き取り調査したところ、どうやら来宮が家族と暮らしているマンションに怪異が現れたそうだ。深夜に来宮がこちらを見つめている怪異に気付いた。髪の長い女だったそうだ。
「貞子みたいな?」
脩の問いはスルーされた。
黒髪の隙間からじっとこちらを見つめているのがわかったが、眼窩がない。これは怪異案件だと思い、鞆江に電話をしようとしたが、深夜二時。起きているはずがない。起きていたとしても、そんな時間に電話をしたら怒るに決まっている。
そんなわけで、来宮は夜が明けるまでその女とにらみ合いをしていたらしい。六時前に妻が目覚めてきたが、彼女は何も見えない。来宮はここで鞆江に電話をかけた。寝起きで不機嫌だった彼女は、なんだかんだで六時過ぎに来宮家にやってきてその女に対して対処した後、来宮家で朝食をとって来宮と一緒に出勤してきたらしい。仲良しか。
「対処って、なにしたんだ?」
「夜が明けた時点で、その怪異自体が弱まっていたから、結界を張ってきただけです。宗志郎の家は、定期的に魔除けを入れ替えないとだめかもしれません」
「何? お前んち、鬼門にあんの?」
「むしろ南東向きですが」
鞆江の報告に、幸島が来宮にたずねた。来宮によると、違うらしい。脩は斜め後ろに座る鞆江にたずねた。
「鬼門って何ですか。よく聞きますけど」
「艮の方角、というね。いわゆる北東のことで、ここから鬼が入ってくる、と陰陽道では言われている。たぶん、神倉さんに聞いた方が詳しいと思うけど」
自称似非陰陽師な神倉だ。今は仕事中で席にいないけど。自分では謙遜しているが、結構ちゃんと修行を受けてきたらしいので、知識はあるはずだそうだ。
「そういうのってどうするんですか? 藤の花を飾るとか?」
「それは例の鬼を斬るアニメ? みんな、どうしてすぐそんなの思い浮かぶの?」
「ていうか、鞆江さんもよく知ってますね」
映画やドラマ、アニメなどをよく見る人なのだそうだ。本もよく読むと言っていた。ゲームはほとんどしないそうだ。
「私自身に払う力はないから、対処法になるけれど、塩を盛るとか、ヒイラギを飾るとか。宗志郎の家には勾玉を置いて結界を張ってきたけど」
結界って普通に張れるのか。
「朝から大変でしたね」
「早起きが苦手で……」
「なるほど」
脩は決まった時間に起きられるタイプだが、鞆江は朝が苦手なタイプらしい。どれだけ早く寝ても、朝早く起きれるとは限らないらしい。
こういう怪異関係は過去の事例が今後の参考になることも多いらしく、来宮と鞆江のこの一件も報告書にまとめられた。だが、この件はこれで終わらなかった。
それから二日ほどたった日、外線を受けたら警察署からだった。生活安全課からのようだ。課長に話があるようだが、課長は県庁に会議に行っている。ので、課長補佐の笹原に代わった。
「ここって警察からも電話かかってくるんですね」
「よくあるぞ。ストーカーかと思ったら怪異だったとか、怪異が凶器隠してたとか」
向かい側の神倉に言われてさすがの脩も驚いた。と、同時に笹原が電話を終えた。
「今日、来宮君と鞆江さんは?」
「来宮は課長と会議ですよ」
「そうだった」
忘れていたらしい笹原に幸島が突っ込む。日下部によると、鞆江は総務課に決裁を取りに行ったらしいので、そのうち戻ってくるだろうとのことだ。
「いやいや、どこで捕まってるかわかんねぇぞ。電話しろ電話。スマホ持って行ったか?」
持って行っていた。幸島に言われて日下部が電話を掛けると、普通に総務課で話をしていたようだ。すぐに戻ってきた。
「警察からなんだけど、誰かに見られている気がする、っていう相談が女子大生から入ったんだって。市内実家暮らし。ほかの家族は認識していない。その女子大生によると、自分の方をじっと見ている影が見えるそうなんだけど、これ、君が対処した来宮君の一件に似てない?」
そう言われて鞆江は笹原の走り書きメモを見せてもらっていたが、日本育ちではないが古文に堪能な彼女でも、解読できなかったようで口頭説明が続いた。
「一応、警察が調べに入ったそうだよ。盗聴器の類はなし。尾行者もなし。ストーカーよりは怪異が近いだろうってことで、こっちに話が回ってきたんだ。鞆江さんも一緒に来てくれると助かるんだけど」
女子大生のところに、四十代のおっさんが一人で行くわけにはいかない。鞆江がいなければ、日下部や佐伯など、他の女性職員を連れて行っただろうが。
「なぜ俺も一緒なんでしょう」
「最初に電話を取ったからでは?」
笹原に連れ出されたのは鞆江だけではなく、脩もだった。年が近い人間が多い方がいいであろうことはわかる。それを言うなら十九歳の日下部が一番年が近い気がするが、若い女性二人を四十代おっさんが連れているのも絵ずら的にどうなのだ、と言うことで時点で脩が連れ出された。
市役所から三十分から走った住宅街に、その家はあった。制服を着た男女の警察官が二人、家の前で敬礼していた。
「お疲れ様です! 担当橋本です」
「同じく、道上です!」
やや年かさの女性が橋本、脩よりいくらか年上の男性が道上だそうだ。脩たちも自己紹介して、家の中に入る。表札は木下となっていた。
大人数で現れた脩たちに、木下家は面食らっていた。両親と娘の三人。弟もいるそうだが、部活で不在だそうだ。
「うーん。できれば弟さんの話も聞きたかったけどなぁ」
のんびりと笹原が言った。笹原はどちらかと言うと、日下部と同じ事務処理担当者だ。だが、こうして現場に来ることもあるらしい。そういえば、出がけにもう一人の課長補佐の千草にやたらと心配された。曰く、天然ばっかりだけど、大丈夫? だそうだ。
娘さんは舞衣さんといった。彼女が異常に気付いたのは、一週間ほど前だという。
「大学まで、バスで通ってるんですけど。バスを降りて家まで歩いているときに、もしかしてつけられてる? って」
「姿を見たことは?」
「ありません」
振り返ったこともあるらしいが、誰の姿も見えなかったそうだ。なので、思い込みだろうと思った。けれど。
「それでも、いるんです。部屋に鏡があるんですけどそれに……映ってたんです」
長い黒髪。落ちくぼんで見えないはずの目が、まっすぐにこちらを見ているのがわかった、と。舞衣は恐怖に悲鳴を上げたそうだが、舞衣にははっきり見えている鏡の中の怪異も、家族には見えず、直に見ても見えなかったそうだ。鏡越しに舞衣にしか見えない。
部屋に一人で入るのが怖くて、今は母親と一緒に寝ているそうだ。鏡は箱に入れて納戸に片付けられているという。
「舞衣さんに霊感があるということですかね」
「どうだろう。少なくとも、宗志郎の家の怪異は、私にもはっきり見えたのだけど」
特徴としてはやはり、来宮の家に出たものと似ている。いや、どちらも聞いただけだから、脩にははっきりしたことが言えないが、聞いた印象の話だ。
ひとまず、舞衣の部屋と、問題の鏡を確認させてもらった。まず鏡からだ。厳重に封をされて納戸にしまわれていた鏡は、量販店で普通に売っている普通の全身鏡だった。写真を撮って一通り調べたが、特に不審な点はなかった。
続いて舞衣の部屋だが、さすがに女性の部屋に脩たちが入るのは憚られたので、鞆江と女性警察官の橋本が二人で調べた。橋本がざっくりした見取り図を描いてくれる。
「普通のよくある部屋ですよね」
八畳の普通の部屋だ。ベッドは部屋の入り口から見て奥側、鏡はベッドの方を向いてドアの隣に置かれていた。その隣には洋服箪笥。鏡に映って見えていたのだから、ベッドの上あたりに見えていたことになる。もちろん、鞆江も橋本も確認してきているが、別に何も見えなかったそうだ。
鏡も普通の鏡に見えた。鞆江と笹原が解体してお札のようなものを探したが、特段、何も見つからなかった。物自体は普通のものに見える。
「舞衣さん。最近、変わったことをしませんでしたか?」
「か、変わったこと、ですか?」
年の近い女性の方がいいだろう、と言うことで鞆江が舞衣に話を聞いていた。
「変わったこと、というか、いつもはしないことでも構いません。普段は買わないブランド物を買ったとか、初めて行った神社でおみくじを引いたとか」
その程度の変わったことでいいのか、と思った。それくらいなら、いくらでもあるだろう。
「ええっと。おみくじは、引きました。ちょっと遠いんですけど、縁結びで有名な神社で」
ああ、と鞆江はうなずいた。わかったようだ。脩もその神社は知っていた。舞衣の両親は何も言わなかったが、父親は複雑そうだ。
「それから、ライブを見に行きました。変わったものを買った覚えはないんですけど……」
挙げられた中ではおみくじが怪しいだろうか。鞆江がさらに聞き出すと、持ち物にこれと言って変わったものもなく、先日、いつもと違う道を通って通学したりしたが、それくらいだそうだ。
「あのぅ、これで何かわかるんでしょうか」
舞衣が恐る恐る尋ねてきた。鞆江はちょっと首をかしげて言う。
「持ち物はおそらく、関係ありませんね。鏡も普通のものです」
「じゃ、じゃあ、どうして……」
「もう少し調べてみなければ、確かなことは言えません」
どちらかと言えば理知的な容貌の鞆江にクールに言われ、舞衣は黙り込む。やや突き放したような言い方になってしまったのは、鞆江も気づいたようだ。少し考えてから、「気やすめですが、お守りを置き、結界を張っていきましょう」と言った。普通の人にそんなことを言っても怪しいだけだ。
「警察の方でも、パトロールを強化します。少し離れたところですが、不審者の目撃情報があるのは事実なので」
橋本も安心させるように微笑んで言った。対人能力は橋本の方が上な気がする。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
きりのいいところで切っているのですが、ちょっと長めですね。




