【Case:04 黒女】1
六月の半ばの休日に、県民大会が開催される。まだ市役所に入って二か月の脩だが、誘われて市役所の剣道部として出場することになった。中学生のころから大学生のころまで剣道部だったし、今も民間の剣道場に通っている。週に一・二回なので、だいぶ腕は落ちているが。
市営の武道場が会場だ。体育館やグラウンドが併設され、県民大会のほかの競技も多数開催されている。体育館ではバスケットボールが行われていたはずだ。グラウンドでも競技をしていたと思う。
「脩か。久しぶりだな」
「先輩」
脩もお久しぶりです、と挨拶を返す。声をかけてきたのは、中学から高校にかけての部活の先輩だった。つまり、剣道部。
「ほんとに戻ってきたんだな、お前」
防具を付けた姿をじろっとみられ、脩は苦笑してうなずいた。大学院まで行ったのに戻ってきたの、とはよく言われる言葉だ。
「戻ってきました。拓夢先輩は警察でしたっけ」
「ああ」
しばらく会っていなかったのでまた聞き情報なのだが、間違っていなかったようだ。つまり、趣味の延長のようになっている脩とは実力が違うはずだ。
「先輩がいる時点で勝てない気がします」
「一応警察だからな。一般人に負けちゃまずいよな」
確かに。
花森拓夢は精悍というよりは強面の男だ。日本人男性として珍しいくらい精悍な印象である。体格もよい。だが、常識人だ。そして、面倒見がよくややヘタレで、いい人な中身で、ギャップ萌え、と女子生徒たちが騒いでいた。つまり、よくもてていた。
そんな拓夢だが、剣道も強かった。脩もいい線いっていると思うのだが、この先輩には片手で足りるほどしか勝ったことがない。聞けば、県警剣道部から二チーム出しているそうだから、一チームしか出ていない市役所チームとは選手層が違う気がする。
「拓夢くーん。頑張って」
近くの観覧席から声がかかって、拓夢と、ついでに脩もそちらを見た。見たことのある顔だった。
「あら、向坂君も出てるのね。頑張って」
市民課の音無だった。上にある観覧席から、拓夢と脩相手にひらひら手を振っている。
「……芹香のこと、知ってるのか」
「市役所内で会ったことがあります。うちの課に依頼に来たんですよ」
そう答えてから、同じことを拓夢にも言えることに気づいた。
「先輩も知り合いなんですね」
同じ大学だったとかだろうか。それとも、もっと単純に考えて。
「彼女だよ」
変にごまかさず、憮然とはしていたが拓夢はそう答えた。脩も「なるほど」とうなずく。予想は当たっていた。
「よくあんな美人捕まえましたね」
「うるせえ。お前こそ、女のとっかえひっかえやめたのかよ」
「とっかえひっかえなんてしたことないですが」
確かに、よく女性に声をかけられたりはしたが、これまで付き合ったことがあるのは三人だ。とっかえひっかえではない、と思う。しかも、すべて告白されて、振られている。
馬鹿な話で旧交を温めている間に、拓夢の出番が来たようだ。と言うことは、ほどなく脩も試合が始まる。待機しなくては。また、と手を挙げて、脩は拓夢と別れた。
結局のところ、脩たちは三回戦で負けた。結構健闘した方だと思う。寄せ集めのチームにしては。警察はいくつかチームを出していて、拓夢のチームは決勝まで行った。さすがである。
「まあ、俺たちも頑張ったよ」
「いつもよりは勝ち進んだな」
という周囲の先輩方の主張である。とびぬけて強くはないが、弱くもない。そんなレベル。
「向坂君」
武道場を出たところで、音無が駆け寄ってきた。拓夢と話していた気がしたのだが、放置してきている。
「え、音無さん?」
「なんでお前」
この県大会出場のための練習を通して仲良くなった先輩たちが口々に言うが、関係なしに音無は脩に話しかけた。
「今、外のフィールドで俐玖がライフル射撃やってるの。一緒に見に行かない?」
「行きます」
即答した。鞆江が狩猟免許を持っている話は何度か聞いたが、そもそもライフル射撃から発展したもののようだ。狩猟はライフルではなく、散弾銃だった気がするけど。
六時からの打ち上げには合流すると告げて、剣道の役場チームと別れた。少し距離のある競技場へ向かいながら、脩は尋ねた。
「拓夢先輩も行くんですね」
「弟が出てんだよ。……まあ、俐玖とも知り合いだけどな」
「あら、お友達でしょ」
音無がふふっと笑う。拓夢は顔をしかめたが、反応を見る限り、鞆江と仲が良いのではないだろうか。
音無によると、そもそも音無は鞆江に拓夢を紹介されたらしい。大学の時だそうだ。音無とは高校が一緒だったと聞いたことがあるが、拓夢は鞆江とどこで知り合ったのだろう。脩は中高と拓夢と同じ学校だが、鞆江を見た覚えはない。
「あたりまえだろ。あいつ、実家は織部町だぜ」
「……そういえば、そんな話を聞いた気がしますね」
歓迎会の時に聞いた気がする。市外なら、中学校が違うのは当然だ。
「俐玖は北夏梅市の射撃場に通ってたからな。俺の弟も同じ射撃場で、俺もたまに迎えに行ったりとかしてたから、顔見知りになったんだよ」
鞆江や拓夢の弟のような子供は珍しかったから、この二人が仲が良かったそうだ。その流れで拓夢も仲良くなり、大学で一緒になった時に鞆江を共通の友人として、拓夢と音無が出会った、とのことらしい。
「俐玖が留学してる間、親友はいないし心配だしで、よく話してたのよねぇ」
懐かしそうに音無が笑う。鞆江の心配を一緒にしているうちに、付き合うようになったようだ。そんな先輩のなれそめ話を聞いていると、会場に到着した。
「あ、兄さん、音無さん。……と、誰?」
駆け寄ってきた背の高い青年が拓夢の弟のようだ。なんとなく顔立ちは似ている気がするが、強面の兄よりも優し気な顔立ちをしている。
「俺の後輩の脩。俐玖の同僚らしいぞ」
「えっ」
弟君が驚いている間に、拓夢は脩に弟を紹介してくれた。
「弟の和真だ。射撃競技に出ていた」
一応、民間企業の実業団に入っているそうだ。と言うことは、かなりの腕であるはずだ。室内射撃場でライフル射撃の競技を終えたところなのだそうだ。
「ここではクレー射撃。俐玖さん、ライフル射撃にも出てたんだけど」
和真はそう言うが、そもそも秀にはライフルとクレーの違いもよくわからないのだが。統括している協会が違うらしい。そうなのか。
現在行われているクレー射撃は、空中に飛び出してくる皿状の的を打ち落とすものだ。射撃、と聞いて想像するものはこれか円状の的の中心を狙うもののどちらかだろう。ちなみに後者がライフル射撃で、俐玖はこちらの方が得意だそうだ。
「あ、俐玖だわ」
会話は男たちに任せて競技場を見張っていた音無が開始場所に立った女性射手を示して言った。なるほど。いつもと髪型が違うが、あの立ち姿は多分鞆江だ。姿勢がよく、体幹が強いのがわかる立ち方なのだ。
開始の合図が鳴ると、的が次々飛び出してくる。次々と破砕されていくので、弾が当たっているのはわかるが、その数が尋常でない。取りこぼしなどほとんどない。
「……あいつ、いつ殿堂入りするかと思って見てんだけど」
「ええっと、今年で三回目? 殿堂入りはないと思うけど」
「学生時代から、いつも表彰台だったものね。選手層が薄いからだって本人は笑ってたけど」
拓夢、和真、音無の会話を聞いて、脩は一つ思い至った。
「鞆江さん、射撃の名手なのでは」
「なのでは、というか、そうだな。市役所じゃなく、警察に入ればよかったのにな」
「警察は知らないけど、MI6から勧誘を受けたことがあるって聞いたわ」
MI6って、イギリスの諜報機関では? ジェームズ・ボ〇ドが所属しているところ。音無のぶっちゃけに対し、和真は首を傾げた。
「そうでしたっけ? 俺は陸軍って聞いた気がするんですけど」
「どっちからももらってるんじゃないか」
拓夢が肩をすくめてそんな結論を出した。鞆江が自分から言うとは思えないので、二人ともどこからか聞いたのだろうが、真偽を確かめても答えてくれなさそうではある。
鞆江が優勝したのを見て、拓夢は「あいつ、やっぱり殿堂入りした方がいいんじゃねえの」と言った。三連続の優勝らしい。鞆江が出れば優勝をかっさらっていくレベルに達しているようだ。
「それ、平等の精神に反してないかしら」
「音無さん、法学部?」
「いいえ。私は文学部よ。英文学が専門でね」
と言われた。鞆江も文学部だったから、大学時代も一緒にいたのかもしれない。
「俐玖ぅ~!」
競技が終わって銃を担いだ鞆江に、音無が手を振った。髪をお団子にまとめ上げた鞆江が驚いたように駆け寄ってくる。
「芹香! 拓夢に向坂さんまで。なんで?」
こてりと首をかしげる。和真は同じ射撃競技に出ていたので、いても特に驚きはないらしい。
「こっちの競技が終わったからだよ。おめでとう。いつ殿堂入りするんだ?」
「ありがとう……殿堂入りするとは聞いていないけど」
苦笑気味に鞆江は拓夢に言った。生真面目な回答だったが、拓夢の冗談だということは理解できるらしく、肩をすくめた。
「鞆江さん、すごい! かっこいい!」
まっすぐに感想を伝えると、はにかんだ鞆江が「ありがとう」と微笑んだ。仕事中のクールビューティーな感じとちょっと違うこのはにかんだ様子が可愛い。
「和真はどうだったの?」
「あ、三位でした……俐玖さんには全然及ばなくて」
「十分だと思うけれど。別にうまくても狩猟くらいにしか役に立たないし」
「そんなことないです! かっこいいですし!」
「ありがとう」
ふふっと鞆江が笑って和真を見上げる。和真は真っ赤だ。脩は音無と話し込んでいた拓夢に、思わず声をかけた。
「先輩、和真君は」
「見ての通りだな」
「ですよね」
見ての通り、和真は鞆江のことが好きなのだろう。今年新社会人と言うことは、鞆江より三つばかり年下だろうか。狙えない年齢差ではないと思うが、鞆江の反応は明らかに弟を見るような対応だった。脩に褒められたときとの反応の違いを見ればわかる。
「こういうことに関しては俐玖も鈍いのよね~。自分がそういう感情を持たれるはずがないって思い込んでると言うか」
音無が頬に手を当ててため息をついた。「付き合って」と言われて「どこに?」と素で返すタイプらしい。そういう人間、小説の中以外でもいたんだな。日本語が母語ではない、という範疇を越えている気がする。
「和真も女に免疫無ぇからな。この組み合わせは成立しないんじゃねぇの」
「拓夢君も大概だったと思うけれど?」
「うるせぇよ」
仲良さそうなカップルから少し距離を取る。それに気づいた音無が苦笑し、鞆江と和真の方へ突撃していった。
「俐玖! 打ち上げとか計画してるの?」
「え? ああ……特に計画していないけど」
射撃は個人戦であるため、脩のような打ち上げは予定されていないらしい。
「拓夢君はチームで打ち上げなんだって。だから、俐玖は私と行きましょ」
「いいね。でも、着替えてからね」
「もちろん。和真君もどう?」
「あ、いや……俺は職場の人たちに誘われてて」
そちらも大事だ。それに、この仲良し女性二人の間に男一人は気まずい。図太いと言われる脩でも気まずい。
「そういえば、拓夢や向坂さんはどうだったの? 試合、終わってるよね?」
思い出したように尋ねられ、脩は「三回戦で負けましたよ」と苦笑した。拓夢も苦笑して「お前だけならもう少し行けただろうけどな」と言った。鞆江は目をしばたたかせて脩と拓夢を見比べた。
「向坂さん、強いんだ」
「強ぇぞ。脩は。ちなみに俺は準決で負けた」
拓夢は同率三位だ。これについては「まあ順当ね」という鞆江の意見だった。去年も見ているのなら、そういう反応にもなるだろう。
鞆江と音無が更衣室に向かう。男たちだけ残り、こちらも解散になった。一応頑張ったので、おいしいものが食べたいと思う。
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