【Case:03 落とし物】3
「こんにちはぁ」
ひょっこりと地域生活課に顔を出したのは、脩と同年代の女性だった。可愛い。あでやかな黒髪にぱっちりとした目元、口元には笑みが浮かんでいて人好きのする感じだ。市民課の窓口で見たことがある。
「あ、音無さん、こんにちは」
「こんにちは、麻美ちゃん。俐玖はいないのね」
「大学図書館に資料を借りに行ってるんですよぉ。もう戻ってきますよ」
待ちますか? と問われた音無は待つことにしたようだ。ちょこん、と開いている鞆江の席の隣の椅子に座る。日下部と音無は書棚越しに話をしている。楽しそうだ。
がらがらと台車を押して、大学図書館に資料を借りに行っていた鞆江たちが帰ってきた。幸島とともに行ったのだが、ケースいっぱいに資料が詰め込まれている。
「持ちます。どこに置けばいいですか?」
「ああ、すまん。ミーティングルームの机に置いてもらえるか?」
「わかりました」
脩が立ち上がって手伝いに名乗り出ると、資料の詰まったケースを持ち上げようとしていた鞆江が引いた。さすがに持ち上げられないと思ったのだろう。たぶん、それは正しい。幸島と二人でケースを置く。
「おかえり、俐玖」
「セリカ。どうしたの?」
鞆江が音無と話している声が聞こえる。何やら見せているようだ。それを聞きながら資料を置いた脩に幸島は言った。
「なんかいいよな。女の子が集まってわいわいしてるの」
「……この前、藤咲さんも同じようなことを言っていました」
「……旦那より女の子の方が好きな疑惑、あるよな……」
それはちょっとわかる。藤咲はよく日下部や鞆江を「可愛い」と眺めている。ちょっとした変態である。見た目普通に見えるので、落差がひどい。
「なんですか、これ」
怪訝な日下部の声に意識を持っていかれる。脩も幸島も女性陣の元へ向かった。
「どうした?」
幸島がのぞき込むと、鞆江が「芹香が持ってきたものなんですけど」と封筒に入っていたらしいそれを見せてくれる。市民課での忘れ物だそうだ。
「イヤリング? 落とし物だって言ったな?」
幸島が触らないように気を付けているのを見て、脩も触らない方がよいと判断した。少し離れたところからその落し物のイヤリングを眺めた。
「邪眼除けか?」
「だと思いますけど。イヤリングにするのも珍しいし、意匠としても珍しいですね」
こちらも触らずに鞆江が言った。脩はイヤリングを見る。アニメなどで見る魔法陣的なものがアルミの細工で作られている。
「身を守るもの、とどう違うんですか?」
日下部が尋ねる。邪眼除け一点突破なのが不思議なようだ。脩はそんな考えにも至らない。
「中東の邪視よけのアミュレットに、青い円の中に黒い円が描かれたものがある。それと、ヨーロッパの方に行くと目玉が護符になっていることが多い。それに近いかな」
「……魔法陣じゃないんですか?」
「私たちにもそう見えるから、ちょっと困ってる」
鞆江が眉尻を下げたところで、脩は手を挙げた。
「はい。邪眼とはどういうものでしょう?」
視線が脩に集まった。それから鞆江に視線が向けられる。彼女は少し首をかしげてから口を開いた。
「邪眼、邪視、魔眼……いわゆるイヴィル・アイのこと。視線で人を呪ったり、殺したりできる眼のことを言う。ええっと……バジリスクとか、そういうの」
なるほど、とうなずいた。バジリスクは目が合うと死ぬ、と言われている。某世界的魔法ファンタジーで得た知識だが。だが、そういうのはもちろん存在しない。
「どちらかと言うと、催眠術的な意味合いで使われることが多いように思う。けれど、魔眼と言うのは実際に存在はしていて、日本には、おそらく世界最高レベルの魔眼を持つ女性がいるわ」
「水無瀬だな。大学が一緒だったんだよ」
「そうなんですか。話を伺ってみたいですね……まあ、その水無瀬さんのお兄さんが書いた論文があって、そのお兄さんが言うには、水無瀬の魔眼は完全な魔眼だというの」
「? どういう意味でしょう?」
「何かの魔術的な要素のない、純粋な『眼』の力だ、ということね。彼女の魔眼は千里眼だけれども、正直なところ、私はこの千里眼が魔眼に分類できるかわからない」
「ええっと……?」
わからなくなってきた。どういうことだろう。
「そも、邪眼や魔眼、と呼ばれるものは、視線で相手を呪ったり、術をかけることができる眼のことを言うよね。その対象は多くの場合、人であるわけだ」
「ああ、はい。そうですね」
これはなんとなくわかった。むしろ、日下部がわからない顔をしているのが気になる。
「千里眼は、対象が人ではないわ。遠くにあるものを見る、ESPの一種であると思うのよ。ほかにも、未来視、過去視なんかも魔眼扱いされるけれど、これらもESPに分類できると思う」
「つまり、邪眼とは?」
「広義の意味で、目に関する能力が邪眼と呼ばれるのだと思う。それが呪いであっても、千里眼であってもね。また、見えないものが見える力も魔眼と呼ばれるかな。汐見課長の見鬼なんかもそうだね」
見えざるものを見る力。脩たちが霊感、などと呼んでいる力だろう。鞆江の説明を聞いていると、一口に霊感などと言っても、いろいろ種類があるのだな、と思える。
「サイ能力と魔法の境界線はあいまいだから、私と水無瀬博士の考えが違っていてもおかしくはないのだけど、件のイヤリングは、対象を人とした、呪いなどの邪眼に対する魔除けだよね」
「だろうなぁ。千里眼避けても仕方ないもんな。透視能力の一種だから、着替えが覗かれる、とかその程度」
幸島がうんうんうなずいている。外見が年齢不詳なのでギャップがすごいのだが、言っていることはおっさんだ。四十手前だったと思うが、これでいいのだろうか。そして、女子二人はスルーしているので、日常茶飯事なのだと知れた。
「つまり持ち主は、誰かに呪われると思っていた……と言うことでしょうか」
脩が何とか絞り出すと、どうだろうね、と鞆江。
「どちらかと言うと、魔眼の知り合いがいるのではないかな。それを避けるためにこれを持っていた……まあ、想像の域を出ないけれど。一つ、確かに言えるのは、この邪眼除けは魔術として機能している、と言うことね」
えっ、と視線がそのイヤリングに向かった。どこをどう見れば、そういうことがわかるのだろうか。デザインは奇妙であるが、脩には普通のイヤリングに見えるのだ。
「……鞆江さんには何が見えてるんですか?」
「私は見えている、というよりは、感じ取っている、と言う方が近いけれど」
言いたいことはなんとなくわかった。目で見ているわけではない、と言うことだろう。
「あたしも、触らない方がいいと思います。直感です!」
「こういう時の日下部の勘は当たるからなぁ」
堂々と勘だ、と言い張った日下部に、幸島は苦笑してうなずいた。彼女の直感も一定の信用を得ていることがわかる。
「では、どうするんですか?」
尋ねると、鞆江が「芹香が来るまで現状維持かな」と言ってイヤリングに触れずに封筒にそれを戻した。
音無がやってきたのは、昼休憩の後半ほどの時間だった。窓口である市民課は、昼休憩はローテーションを組んでいるらしい。音無は鞆江の席で堂々とお弁当を開く。
「で、どうだった?」
にこにこと尋ねる音無に付き合ってお茶を飲んでいた鞆江は首をかしげて、「どういう返事を望んでるの?」と応じた。鞆江はかなり天然が入っていると思う今日この頃である。
「私の目から見ても、明らかにおかしいのよ~」
おっとりと音無は言いながら卵焼きを食べている。鞆江は「まあ、おかしいけども」と眉をひそめた。
「落とし物って言ったけど、カウンターの上に落ちていたのよ。窓口のみんなに聞いて回って、わかるだけ住民の方にも確認してみたのだけど、誰のでもないっていうし」
そこまでなら、なにも不思議な話ではない気がするが。
「で、透明な袋に入れて、落とし物ボックスに入れておいたのよ。でも、一週間たったし窓口に置くのはやめて奥にしまおうかなって思って手に取ったら、ばちって」
「……」
鞆江が無言でイヤリングの入った封筒をのぞき込んだ。不用意に触れなくて正解だったらしい。
「で、これは俐玖の案件だなーっと」
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