日本史 超概略「明治維新~明治憲法発布」
二人は10分ぐらいの休憩を取ってから、続きをはじめた。
[本部分も『Wikipedia』内、『日本の歴史』および『明治』を参考にして製作しております]
・明治維新~大日本帝国憲法発布
明治維新は、外国から見て"革命"といわれるほどの大激変だった。日本という国が武家政治から再び天皇親政の政治へと移る時代の中で、戊辰戦争や西南戦争などがあり、最終的には鎌倉時代から江戸時代へかけての支配階級たる士族は、政治の中枢部分から消えていった。天皇親政ということもあり、さまざまなことを考慮した結果、東京へ奠都することになった。現在の法律上、正式に"遷都"つまり、首都が律令や法律に従ってうつされたのは平安京が最後であり、東京は、京都[平安京]から天皇が政治的な問題で出向いているという格好になっている。国境が確定したもの、この明治維新のさなかであり、北海道と当時琉球王国と呼ばれていた沖縄県を日本国領として国際的に承認させた。
その後、天皇親政を執行するということを至上命題としつつ、立憲主義として憲法を取り入れることを決定した。明治8年、 "立憲政体の詔書"が発表されると、前に公表されていた"五箇条の御誓文"などによって、憲法研究が始まった。白羽の矢が立てられたのは、現在のドイツであるプロイセン帝国だった。立憲君主制として存在していたプロイセンは、日本が眼剤している政治形態と似ており、中心軸に据えることが最適とされた。他方、イギリス、アメリカ、フランスなど立憲体制を敷いている欧米諸国を回り、憲法や法整備などを進めていった。
そして、明治22年2月11日、"大日本帝国憲法"が、天皇から臣民[国民]に向けて制定したということを交付させた。このような形態の憲法を、"欽定憲法"という。
「どう?」
「いや、どうって言われても、なんだかいろいろ混ざっちゃってるし……」
ざっと目を通した桃子が指摘する。
「守られてるのは順序ぐらいじゃないの?」
「いいんだよ、中3の生徒が作ってるんだから。それより、ささっと本文に入ろう」
伊野上は、別のページを開くと、大日本帝国憲法の中へ入っていった。