第086話 『聖戦』③
『プレイヤー』の仲間として高速強化を行われた150人もの超越者たちが、25のパーティー単位で12の人造天使たちへと襲い掛かろうとしている。
その誰もがこの千年間、人には許されていなかった「空を駆ける」という超常を、浮遊魔法を付与されたことによって当然のこととしている。
一人だけレベルの桁が違うフレデリカが先行、単騎で1体に突撃をしており、段違いの速度を誇るため最初に接敵した。
現在の『連結者』であるグレゴリオⅨ世はまだ自失したままだが、敵性存在が戦闘態勢で接近してくれば自律して迎撃行動を行うあたり、さすがは逸失技術兵器というべきだろう。
だが追尾性のある閃光を幾筋も撃ち出すが、空を蹴り飛ばして自身を弾くかのように高速機動するフレデリカを捉えきることができない。
自身の20分の1程度の大きさしかないフレデリカにあっさりと懐へ飛び込まれ、防御も回避も間に合わない状況に追い込まれる。
実際は人造天使の周囲に常時展開している防御空間をフレデリカによって割り砕かれてもいるのだが、ガラスが砕け散るようなその音と視覚効果が周囲に拡散するよりもはやく、致命の一撃を喰らった。
「えーい!」
フレデリカが気の抜けた可愛らしい掛け声とともに巨大な人造天使のその頭部、天使像そのもののような美しい顔を、振りかぶった右腕で殴りつけたのだ。
ちなみにこの掛け声も天然ではなく、『拳撃皇女アンジェリカ』を真似てのものである。
だがその一撃の威力は尋常なものではなく、誰も聞いたことの無い爆発音のようなモノを発生させて、空に浮かんでいた人造天使を一瞬で地表へと文字通り叩き墜とした。
最初のなにかが爆発したかのような打撃音に続いて衝撃波音響が連続して発生し、直後に巨大質量が地に叩きつけられる轟音が響き渡る。
瞬間的な巨大地震が発生したようなものだ
相当な距離があるにもかかわらずその一瞬の縦揺れと衝撃波だけで『神軍』の前線は大きく乱れ、前に出ていた聖教会の教会騎士団とイステカリオ帝国軍には少なからぬ犠牲が発生している。
神旗も軍旗も薙ぎ倒され、人馬が吹き飛ばされて阿鼻と叫喚がこだまする。
より近い距離に陣を構えているエメリア王国軍に一切の乱れが発生していないのは、3万の全軍が全竜の結界内におかれているからだ。
150人の攻撃隊のようにそこから出なければ、ソルと全竜が動き出すまでは一切の被害を被ることはない。
だが今の衝撃で死ねた、あるいは負傷して状況を把握できなくなった『神軍』側に身を置いている者たちは、あるいは運が良かったのかもしれない。
「ば、バカな。バカな、バカな、そんなバカな!」
「ああああ……天使様が……天使様、なのか? アレが?」
状況を確認できる位置にいて無事だった者は見てしまったのだ。
フレデリカの一撃で彫刻のような美しい天使の仮面が破壊され、その下に隠されていた本当の人造天使のその顔を。
地に半ばめり込み、高所から落とされたマネキン人形のごとくありえない方向へ四肢を歪めている姿は奇妙だが、それだけで敬虔な信徒たちがここまで動揺したりはしない。
いや神の力を具現化した天使の敗北には動揺はするだろう。
だがそれは自身の命を失うことと神が敗北することへの恐怖であり、今のような己の信仰そのものを揺るがされるような恐慌とは質を異にする。
巨大な人造天使たちが機械だったのならばまだ良かった。
だが地に叩き墜とされ、確実に死んでいるとわかるその姿はどう見ても人のものなのだ。
それも特段美しくも醜くもなく、街を歩けばそこらを歩いているようなありふれた隣人のようにしか見えない。
だが大きい。
見慣れたモノがただ並外れて巨大になるだけで、一定の不気味さや奇妙さを漂わせることになるのはなぜなのかはわからない。
ただ確実に、人はそれを怖いと感じてしまう。
それが魔物や動物ではなく、自身と変わらぬ人ともなれば、その違和感は魂の根源から震えてしまうような嫌悪、拒絶を生み出す。
天使らしい超然とした静かな表情の仮面をかぶっていてくれたからこそ、巨大なヒトガタに恐れを感じずにすんでいたのだ。
その正体が巨大なだけの人だと知れば、天使様などと崇めてはいられない。
そこらのおっさんのような人造天使のその顔は、フレデリカの一撃によって無残な撲殺死体とまるで変らない有様になっている。
大戦の経験はないとはいえ幾度かは戦場にその身を置き、魔物に喰われる仲間を見たことも一度や二度ではない教会騎士や帝国兵たちだ。
鈍器で殴られ頭の形が変わって目玉が飛び出し、四肢が奇妙に捻じれている死体くらいで本来は動揺したりはしない。
だがそれが聖教会の誇る逸失技術兵器だと教えられていた人造天使、その中身ともなればあまりにも普通の人っぽさと、その巨大さがそれを見た者の正気を奪うのだ。
一方でフレデリカが自分たちより遥かな高みにいることは知っていても、一撃で人造天使を沈めた事実はエメリア王国の150人の戦意を高揚させるには充分だ。
フレデリカのように単騎では不可能でも、1体に対して2から3パーティーで挑めば十分に倒せる相手だと確信できたのだ。
大したことがないと思ってしまうのが全竜のあまりにも隔絶した戦闘力を知ったがゆえの麻痺ではなく、戦う力を持った者としての正確な分析だったと知れて安心したというのもある。
うっかり攻撃を喰らってもマクシミリアが展開してくれる『絶対障壁』が切れていなければ無傷で済むことも相まって、人造天使に獰猛に襲い掛かり始める。
技や魔法が飛び交い、一撃では無理でも無数の手数で人造天使たちを削ってゆく。
その際にも人造天使の仮面や鎧は砕け、ただデカいだけの人にしか見えない姿と、不気味な無表情を曝け出すことで『神軍』側の戦意と正気を奪ってゆく。
そもそも人造天使と150もの超越者が入り乱れる戦場に、手出しをできる戦力などこの場には存在しはしない。
そしてこのまま人造天使がすべて殺されれば、その天使を殺し得る力が自分たちへと向けられるのは自明である。
「これ……どうなるんだ、俺たち。どうされるんだ?」
「蹴散らされる。今から逃げても間に合わんな」
教会騎士とイステカリオ帝国の兵たちは半ば放心している。
エメリア王国が勝つ場合、聖教会とイステカリオ帝国に情けをかける必要などないことを理解できているので、絶望するしかない。
自分たちが勝った場合、エメリア王国をどうしてやろうと思っていたかを考えれば、どんな阿呆にでも自分たちの辿るであろう末路くらいはわかってしまうのだ。
「動くなよ! 一歩も動くな。軍旗は降ろせ。神旗は――揚げたままでいい。膝をついて頭を垂れろ。とにかく一歩もここから動くな」
一方でただ参戦しただけで後方に控えている汎人類連盟の国家に属する兵たちは、その指揮官が喚き散らすまでもなくその場に跪いている。
空を駆ける相手に今から逃げても逃げ切れるはずもない。
こうなった以上、エゼルウェルド王の親書に書かれていた内容を信じることしか助かる手段などない。
脂汗を流しながら、どうせ自分たちには手出しなどできない戦闘が終了するのを待つことしかできないのだ。
本陣のグレゴリウスⅨ世はそれどころではない。
最初の茫然自失から強制的に回復させられたのは、フレデリカによる人造天使への一撃が『連結者』であるグレゴリオⅨ世に感覚還元されたためだ。
人造天使が撲殺された感覚が、ほぼそのままグレゴリオⅨ世にも還元される。
だが物理的な損壊は共有しないので、死ぬほどの痛みを受けても死ぬことはない――死ねない。
ただ一方的に敵を蹂躙し、相手からの攻撃を歯牙にもかけぬはずの人造天使であればなんの問題もなかったが、互角あるいはそれ以上の敵と戦うとなっては、13体すべてとの『連結』は自殺行為でしかないのだ。
最初の一撃で半ば以上発狂し、泡を吹いて転げまわることしかできなくなったグレゴリオⅨ世は、その後12体がド派手な戦闘で削られていくに併せて陸揚げされた海老のように跳ねまわり、今も白目をむいたまま転げまわっている。
もはや二度と再び正気に戻れることはないだろう。
それを直近で見ているだけの教会騎士たちでさえ気が狂いそうな光景である。
だがほどなく1体、また1体と人造天使たちが地に墜とされ、空を飽和させていたあらゆる技と魔法の効果現象が消え去ってゆく。
静かになってゆく戦場で聖教会とイステカリオの兵たちは絶望し、他の国家の兵たちは親書の内容が履行されることだけをただ祈って固唾を呑む中、空に巨大な表示枠が顕れる。
誰もが見上げざるを得ないその表示枠には、厳かな表情をしたある聖職者が映されている。
『聞こえていますか、神の愛し子たちよ』
ガルレージュ大司教区を担当する、イシュリー・デュレス司教枢機卿。
一度は聖教会によって殺されかけ、今は一方的に「背教者」とされている彼が、慈愛に満ちた目とその声を以てこの場にいるすべての聖教徒――正しい神を信じる者たちに語りかけたのだ。




