第067話 『宴』③
「貴様が背教者の首魁か」
大国の王女であるフレデリカがあからさまに気を使い、立てている相手。
自分に対するフレデリカの強気な言動の原因が、ソル・ロックと名乗ったこの男であることくらいはイシュリーにも理解できている。
それが強者を味方につけたことによる増長などではなく、絶対者の信頼を損ねることを恐れたがゆえであることも、なんとなく察せた。
聖教会として何度も『治癒』を依頼したこともある『癒しの聖女』と、イシュリーでも名前くらいは知っている高位冒険者である『鉄壁』があたりまえのように付き従ってもいる。
なによりも九頭龍を倒したという変わった獣人族の少女が、完全に従属していることが一目見てわかるほどに懐いている。
美女ばかりを引き連れた、まるで御伽草子によくあるハーレム主のようだが、成し遂げた偉業はそこらの御伽草子や英雄譚など比較にならないほどのもの。
それだけの力を持った相手に、宗教的権威をかさにきて初手から偉そうにアプローチしたのが失敗だったことは明らかだ。
だが急に卑屈になるわけにもいかず、言葉遣いは背教者に対する厳しいものであれど、その口調と己の態度を素ではなく聖職者としてのものへとイシュリーは切り替えた。
イシュリーも伊達に司教枢機卿まで出世してきたわけではない。
出世した結果奢侈に溺れ聖職者にあるまじき体型になってしまってはいても、らしさを演出できないほど耄碌しているわけではない。
こう見えても若い頃は見目麗しい聖職者として名を馳せたこともあるし、人からよく見られる態度、仕草、口調というものはある意味職業病とでもいうべきレベルで身に沁みついている。
なにも交渉相手にはそんな小芝居など通じなくても、固唾を呑んで今の様子を見守っている民衆たちに通じればそれで十分なのだ。
それにフレデリカに任せずにソル自身がイシュリーとの問答に出てきたということは、なにか考えがある事は間違いない。
それが圧倒的な力を持った存在が、弁えずに偉そうぶっている聖職者を民衆の眼前で叩きのめしてやろうという、嗜虐的な理由でないことを祈るばかりである。
「妙ですね。僕は背教者ですか?」
はたしてソルの態度はごく穏やかなものだった。
イシュリーが貴様呼ばわりをし、背教者と断じているにもかかわらず。
つまり己の力に酔って暴虐を働くような輩ではない。
「聖教会が――神が定められた『禁忌領域』に許可なく足を踏み入れ、その領域主を勝手に討伐しておいて開き直るのか?」
イシュリーはまだ自分がリカバリー可能であることを神に感謝しながら、咎める内容でありながらも意外そうな表情を浮かべ、穏やかな口調でソルにそう問う。
「なにゆえの禁忌なのですか?」
「それは――」
言葉に詰まった風を装いながら、相手が自分の失地回復に協力してくれようとしていることを理解して、イシュリーは内心で安堵した。
敬虔な信徒である司教枢機卿に背信、背教を疑われた力持つ者が、その力を以って神の権威を踏みにじるのではなく、真摯に誤解を解こうとしている絵面を相手は構築しようとしてくれているのだ。
であればここからでも、イシュリーの最初の態度を「誤解とそれに基づく敬虔な信者ゆえの怒りと義務感」に持っていくことができる。
そのためには相手と息を合わせて、その展開を綺麗に演出しなければならない。
呼吸を合わせることこそがなによりも肝要なのだ、上手な舞踏も演技も――あるいは茶番も
相手の発言に己の台詞を被せるなどは論外で、敬虔な信者ではあれど聞く耳を持ち、広い見識と深い度量を持った聖職者だと思われる必要がある。
本当のイシュリーがどうなのかなど、この際は関係がない。
「人にはけして倒せず、むやみに手を出せば人の世界が終わりかねない。200年前の『国喰らい』の惨劇を二度と繰り返さず、息を潜めてでも人の世が存えられるようにと神が定められた絶対の規律。それが『禁忌領域』ですよね」
「……そのとおり、だ」
ゆえにこそイシュリーはソルの言いたいように言わせ、それがよほどおかしな発言ではない限り肯定する。
「ですが僕は倒しました」
「……」
――なるほど。
ソルが持っていきたい方向、耳を傾けている民衆に聞かせたい話の流れの大筋を理解して、ここは自分が口を差しはさむべき場面ではないとイシュリーは判断して沈黙を維持した。
表情も訝し気にしながらも、「確かに」という納得と理解の色もきちんと浮かべておく。
「これから僕は――僕たちはこのガルレージュ一帯に残された№01から№08の『禁忌領域』はもとより、すべての魔物支配領域を解放します。それはガルレージュ周辺だけではなく、各国が望むのであれば大陸中の魔物支配領域を解放に赴きましょう」
イシュリーの予測通り、今民衆が一番聞きたいであろう宣言を、ここでソルは明言した。
一国の王女に『奇跡』とまで言わしめた己の力をエメリア王国一国だけに限定せず、魔物に怯えながら暮らすこの大陸すべてにその福音を届けると約束して見せたのだ。
『聖教会』による異端審問に騒ぎを抑え、息を潜めて事の趨勢を見守っていた民衆たちがその言葉に対して爆発的な歓声を上げる。
それはそうだろう。
魔物に怯えて暮らすこともなくなり、肥沃な土地と知りつつも踏み入ることができなかった地上のすべてが人の手に戻るのだ。
飢饉で死ぬ者も、ある日忽然と消滅する村や町も、200年前のように領域主に蹂躙される国も、そのすべての悲劇が消えてなくなる。
それを喜ばない人間などいるはずもない。
この瞬間ソル・ロックとそれに付き従う者たちはすべて、少なくともこの場にいる民衆のほぼすべてを味方にすることに成功したのだ。
信仰や感情ではなく、ただただ圧倒的な利益を自分たちにもたらす存在として。




