第063話 『臣従と隷属』④
「えーっと、話を聞いてくれませんか」
ジュリアの状態異常回復魔法によって覚醒した直後から、完全に戦闘態勢に入っている隊長以下8人の魔法使い――イステカリオ帝国所属の精鋭魔導部隊に対して、困惑気味にソルが声をかける。
「人に生まれながら妖精族どもに与する裏切り者の戯言などを聞く気はない!」
だが帰ってきたのは完全に冷静さを欠いた隊長の感情的な言葉と、無数の魔導弾である。
それは悉くルーナによる不可視の攻撃で相殺され、一撃たりともソルの元まで届かない。
とんでもないレベルアップをするまではルーナがなにをやっているのかすら見えなかったソルたちだが、今はルーナが超高速で魔力そのものを指弾の如く飛ばしていることが辛うじて見えている。
竜にしてみれば、人が息を吹きかけて寄ってきた埃を飛ばしている程度の感覚なのだろう。
同じレベルアップを経ても竜と人では戦闘力の彼我の差が拡大する一方ではあるのだが、ルーナが本気を出していない最低限の挙動であれば、なんとか捉えられるようにもなっているのだ。
「……しかし、ここまで酷いのか」
イステカリオの魔導部隊たちと比べれば、どれだけあの2人のエルフが冷静であったのかがよく理解できる。
自分たちが妖精族を蔑んでいる側でありながら、それに与したと看做した同族をよくもここまで悪し様に罵れるものだと思う。
言葉以上に、もしもソルたちがそれを防ぐ手段を持っていなければ死んで当然の攻撃を幾度も加えてきているのだ。
ソルの価値観ではすでに十分に『敵』認定である。
一言その意志を込めてルーナの名を呼べば、その瞬間に8人の高位魔法使いたちは痕跡一つ残さずこの世から消滅するだろう。
だが殺して当然の敵であれば、実験対象とすることに遠慮する必要もない。
それに今からソルが試したい新たなスキルの対象としては、先のエルフたちよりもよほど適しているとも言えるのだ。
「人には負けるとわかっていても戦わねばならない時がある! 今こそがその時だ! ただ存えることよりも大切なものがある事を、わが命を以て証明してくれる!」
――たぶん今じゃないと思う。
今自分がソルたちに負ければ愛する人や子供、忠誠を誓った主君が殺されるというのであれば、勝てぬまでも絶対に守るべき者たちよりも後には死なないという覚悟は理解できなくもない。
だが妖精族に味方をしているというだけで、絶対に勝てない相手に挑んで死ぬのはただの無駄死にだと思うのだ。
「うーん」
今まであまり意識したことなどなかったが、自分がエメリア王国に生まれたのは幸運だったのかもしれないとソルは初めて思った。
同じ人であり、暮らしや教育レベルにおいては高位冒険者であるソルたちよりも間違いなく上であろう魔導部隊の8人は、生まれた国が――そこで幼少時より叩き込まれた教育が違うだけでここまで価値観を異にするのだ。
彼らにしてみれば、妖精族に与した裏切り者を前に見て見ぬふりをすることなど、帝国軍人として絶対にできない恥ずべき行為なのだろう。
冗談ではなく、己が命を懸けられるほどに。
イステカリオ帝国の教育とはそういうものなのだ。
そして人がなにを正義と褒めそやし、邪悪と断ずるかは、その人間がどのような教育を受けて来たのかに大きく左右されざるを得ない。
人の意志をそれほどまでに染める手段に、ソルは正直なところ恐怖を感じる。
つまりこれから自分が使おうとしているスキルにもまた。
「っな――」
隊長が驚愕の声を上げたのは、寸前まで視界にとらえていたソルの姿を俄かに見失ったが故のものだ。
見失う寸前に全身から魔力の光を噴き上げたソルは、魔力で強化されている隊長のみならずソルたちを囲むようにして機動していた他の7人全員、そのすべての知覚から完全に消失した。
レベルが3桁に至ったソルが意識を戦闘状態へと移行すれば、膨大な生成量となっている内在魔力が吹きあがり自動的に全身を飛躍的に強化する。
まだなんの訓練も積んでいないソルたちでさえ、8人の精鋭たちが止まって見えるほどの機動力と、人間離れした物理攻撃力、耐久力を発揮できるのだ。
レベルではるかに上回る事さえできれば、能力に恵まれなかったただの人でも『能力者』に勝てるという、レベルを上げて物理で殴るの極致。
その単純な力の行使によって、隊長を含めた8人の魔法使いをすべて一撃で戦闘不能かつ意識を失わない程度に叩き伏せたソルである。
最初にルーナに意識を刈り取られた時と同様、自分が誰になにをされたのかを理解できている者はただの一人としていない。
常時展開しているはずの魔法障壁が、薄硝子1枚ほどの役にも立たずにただの拳骨に砕き割られているなどとは想像もつかない。
「くっ、殺せ!」
わけも分からず倒れ伏し、意志の力では自分の躰をどうにもできなくなっている隊長が、それでも意志だけは曲げぬとばかりに吐き捨てる。
この状況ですら命乞いをしないということは、ソルからはどう見えたとしてもその考え方がこの隊長の根幹をなす柱であることは間違いない。
だがソルは――『プレイヤー』のスキルはいとも容易くその柱を圧し折ってのける。
「話を聞いてくれませんか」
「わかった、聞こう」
最初と寸分違わぬソルの言葉に、地に伏したままの隊長は真摯な声で応えた。
あたかもそうすることこそが、自分にとってもっとも正しい行動であると確信しているかの如く。
いやあたかもではない、実際にそうだと確信しているのだ。
ソルの行使した能力によって、確信させられている。
「……なにが、起きたのですか」
「後で説明するけど、たぶんめちゃくちゃ引かれると思う」
隊長のあまりの豹変ぶりに、今現在でも相当引いているフレデリカである。
それはフレデリカだけではなく、この場にいる全員がそうだ。
ルーナも驚いた表情を浮かべているし、なによりも悔しそうに地面に転がっている他の7人の部下たちこそが最も驚愕している。
だが付き合いの長い副長はもちろん、部下たちの誰から見ても隊長が変節したようには見えない。
勝者に対して堂々と、ただ敗者としての分を弁えながら聞くべきは聞き、言うべきことはいいながらソルと「国家間の戦闘における勝敗後の駆け引き」を行っている。
そこには自らの命を惜しんだ怯懦は存在せず、国際的な定石に基づいて敗者としてできることを国のために、部下たちのために粛々と遂行している責任者の姿があるだけだ。
今の隊長から消滅しているのは、狂信と偏執だ。
それは隊長が突然、「ソルにとっての」いい人に変じさせられたが故のことだとは、本人ですら気付けてはいない。




