第045話 『全なる竜』④
『全竜』
もともと竜種にそんな種族は存在しない。
千年以上前には各種属性竜や特殊な能力を持った唯一個体も数多く生息し、世界に溢れる外在魔力を取り込んで駆使できる魔導器官を備えた魔導生物たちの頂点として竜種は君臨していた。
だが現代に竜の生存は確認されていない。
一頭たりともだ。
大陸に数多存在する魔物支配領域の領域主の中にも竜種は確認されておらず、迷宮の最奥には棲息しているのではないかと推測されてはいるものの現代の人には確認する術がない。
神話や英雄譚、御伽噺の中だけに存在を許されている幻の最強生物。
それが現代における、竜という存在の立ち位置なのだ。
それでもなお実在していたことが疑われていないのは大国が国宝として保持するいくつかの竜武装の存在と、なによりも大陸最北端に存在する巨大な竜の遺骸――山と見紛うような竜骨が遺されているが故だ。
ではなぜ強大なはずの竜種が、現実世界から姿を消してしまうことになったのか。
その原因を『全竜』を自称するルーナ――ルーンヴェムト・ナクトフェリアはすべて己が喰ったがためだと言い放った。
『捕食した対象の能力を得る』という異能を宿した唯一種であろうルーナがすべての竜を喰ったということは、つまり存在していたすべての竜の力をルーナは得ているということになる。
それゆえに自ら全竜――『全なる竜』を名乗り、その名に強いこだわりを持っているのだろう。
なぜそんなことをする必要があったのか。
そのすべての竜の力を宿して挑み、それでも敗れてあの空間に封印されることになった敵とは、本当に『勇者救世譚』で語られるように『勇者』だったのか。
今はまだ、ソルにはなにもわからない。
あるいは千年前の真の歴史は、『勇者救世譚』によって騙られているのかもしれない。
「さあやろうか。我が主殿は貴様に絶望を与えることを望んでおられる。数百年に渡ってちみちみと人を喰らい、その精を漁って身に付けた力を存分に揮うがいい。すべて砕いて最後に喰らってやろう」
だが今ルーナはそんなことはお構いなしに、分身体とはいえ己に宿る力を惜しみなく全開している。
千年に渡る封印から解放してくれた主のために、己が全力を揮えることが心の底から嬉しいのだ。
転移で人を潰す程度では、竜の闘争本能を満足させることなどできるはずもなかったのだ。
すでに『転移』を行使して城塞都市ガルレージュの上空、巨大な城壁よりもなお高い位置に移動し、あたりまえのように浮遊している状況。
当然ソルだけではなく喰らうべき敵も、ついでにアランもこの場へ移動させている。
そのままアランだけが墜落していかないのはルーナの慈悲でもなんでもなく、主が後で用があるだろうと判断しているが故だ。
それにしても素っ裸のままで連れてくるのは結構ひどいとソルは思う。
まあ「まず服を着なさい」というタイミングなどなかったのは確かだが。
アランが嫌う間抜けさを極めたような絵面が、自分の短い人生の締め括りになるのはさぞや不本意なことだろう。
この期に及んでまだ、今日が自分の人生最後の日になると自覚できていないかもしれないが。
「竜種というだけで強いつもりか、遥か昔に滅びた種の末裔風情がえらそうに。その形で御伽噺の『邪竜』を騙って全能気取りとは片腹痛い。膨大な魔力が御自慢のようだが、力とは、強さとは単純な暴力だけではないと思い知るがいい!」
フィオナの姿と声に、いかにもな角と翼、尻尾を生やし、魅惑的な躰の曲線を黒い魔力で覆った淫魔は自分の力で空中に浮いている。
大口をたたくだけあって『転移』や『浮遊』程度であれば、驚愕に値しないだけの力を持っていると見える。
さらりと「数百歳程度」などとルーナは見下していたが、強大な魔族である淫魔がそれだけの歳月を生き、人を喰らい精を集めたのだとすればその強さは相当なものだろう。
少なくとも現代を生きる冒険者たちがどうにかできる相手ではない。
だがそんな淫魔であってさえ、ルーナが吹き上げている魔力に対しては膨大だと認めるしかないほどのモノらしい。
確かにソルも「壊れたかな?」と思うほどおかしなM.Pの数値だったが、なにが恐ろしいと言って今のルーナはまだ『プレイヤー』の判定ではレベル1に過ぎないということだろう。
「悪くない口上だ。おもしろい、貴様が見下した単純な暴力だけで我は戦ってやろうか」
そういうとルーナは己の能力のひとつを発動させた。
それと同時、ソルがあの空間で目にしたルーナの巨大な真躰を魔力で形成したものが顕現する。
本物ではないという証拠に、その姿には両の角も目も、巨大な両翼も健在だ。
――いや単純な暴力って、これで殴るだけで城塞都市壊滅するよな……
ソルはその魔力の塊を見て、驚くよりも呆れた。
城塞都市で夜更かししていた連中は、今頃空を見上げて大騒ぎしていることは間違いないだろうと思う。
都市上空に巨大な竜が顕れたようにしか見えないだろうから、無理もないことだが。
とはいえさすがに相当の魔力を必要とするらしく、ものすごい勢いでソルの表示枠に映されているルーナのM.Pが減少していっている。
だがルーナの膨大なM.P総量を0にするまでには相当の時間を必要とするだろう。
この状態から使用する技だの能力だのにどれだけM.Pを消費するのか次第とはいえ、モノの数分で解除されてしまうということはなさそうだ。
それにいざとなればソルの『魔力回復』も『再使用時間キャンセル』も適用できるだろうから、このモードで一日中戦闘することすら可能かもしれない。
デカすぎるので迷宮では使えなさそうだが、魔力を巨大化ではなく高密度化の方へ振れば行けるか。
「馬鹿にして!」
淫魔にしても流石に想定外が過ぎたのだろう、強者としての振る舞いをする余裕が消し飛んでいる。
千年以上生きている存在でなければ『竜』の強さとは全て記録からの情報に頼るしかない。
そのとんでもなさゆえに眉唾だと、捏造だと、自身が今の世界で絶対者だと思いあがれるだけの強さを備えている者ほど思ってしまうのかもしれない。
だが自身もそう発言していたとおり、暴力で勝てないのであれば搦手を使うまでだと判断したらしい。
フィオナの姿を真似たその魅力的な瞳に魔力が走り、猫の瞳の如く変化したそれが強い光を発する。
だが――
「ははは嗤わせるな。竜に『邪眼』だの『魅了』だのが通じるわけがあるまい。まさかそれが貴様の言う、単純ではない力とやらではあるまいな!」
ルーナは腕を組んでふんぞり返ったまま、ハナで笑い飛ばした。
そのまま雑に右腕を振り上げ、そのまま淫魔へと叩きつける。
それだけで淫魔が纏う膨大なH.Pの三割ほどとともに城塞都市外まですっ飛ばされた。
「くっ」
そのまま殴られ続ければ持たないと判断したらしく、自らも『転移』を発動させてルーナよりも高い位置を取る。
その位置から無数の光線を放射状に発し、それらはルーナとソルに殺到するだけではなく城塞都市ガルレージュへ向かっても光の雨のように降り注がんとしている。
「っは!」
だがルーナは慌てることなく、己が遥か頭上に顕現している己の真躰、その竜の咢から幾重にも回転する魔法陣を伴った極太の光線を撃ち出し、それらすべてを薙ぎ払った。
おそらく掠っただけでガルレージュの城壁はもとより、山岳ですら抉り取られるだろう。
あまりの彼我の戦力差を叩きつけられ、淫魔の表情にもはや余裕などない。
余計なことを口にすることもなく、今いる位置からルーナに背を向けて高速飛翔を以て逃走を始めた。
「なんだもう逃げるのか? ははは、竜と接敵しておいて、ただ飛んで逃げられるわけがあるまいが」
だがほどなく不可視の壁に激突し、派手に弾き返される淫魔を見てルーナが嗤う。
ルーナを中心に常時展開される球形結界は、ルーナがよしとした者以外を外には逃さないし、外からの侵入も許さない。
竜と――いわゆるボス級と戦闘を始めたが最後、逃げることはできないのだ。
殺すか、殺されるかしかない。
だが絶望に染まった淫魔の目に、希望の光が天より降り落ちる。
遥か天空より俄かに月を隠していた曇天の雲を消し飛ばしてルーナを狙ったその光は、目標に着弾すること能わずルーナの球形結界に阻まれて四方八方へと霧散して掻き消えてゆく。
上空からの光、その最後の残滓が尽きたタイミングでルーナは虚空を睨みつけ、先の巨大光線をその視線の先へと撃ち放った。
「黙ってみていろ『聖教会』 撃ってきたら撃ってきただけ貴様らの虎の子である『攻撃衛星』を墜としてやる」
そう吐き捨ててルーナは視線を再び絶望した淫魔へと戻した。
たった今ガルレージュの遥か上空、大気圏をも超えた位置に浮遊していた、『聖教会』が管理する逸失技術の塊、『攻撃衛星』のひとつが砕き落とされたのだ。
そのことを知る者は、『聖教会』の教皇庁最奥でそれを操作していたオペレーターたちだけなのだが。
「ふん、つまり貴様は『聖教会』の手の者ということか。は、やつらが淫魔――魔族を飼うとはな」
冷めた目で怯える淫魔を睥睨しながらルーナが呆れている。
どうやらソルの想定以上に、淫魔の背後にいた組織は大物らしい。
世界宗教から密かに監視されていた事実を知って、ソルは少しげんなりしているのだが。




