第033話 『禁忌領域』①
「親父さん、相変わらず自分が客商売だって自覚ないよね」
カフェ・テリアのあった華やかな中央大通りからは外れ、外壁よりの工業区域へソルたちは移動している。
店舗と工房を兼ねた古い造りの建物が軒を並べる中、勝手知ったる様子でそのひとつへ入ったソルの、苦笑いしつつの一言目がこれである。
それもそのはず、店に入っても「いらっしゃいませ」の一言すらなく、隠すつもりもないいびきが店内に響いているときたら、起きてもらうことと合わせて一言ぐらいは言いたくなっても仕方がないだろう。
「あぁ? お、ソル坊じゃねえか! えれぇ久しぶりだなおい。つーかもうこれ以上の装備は無理かなあ、なんて泣きごと言ってやがったから、もう来ねえモンかと思ってたぜ」
そのソルの声に反応して大きないびきが止まり、いかにもな答えが返される。
一見すれば雑多な品揃えではあるが、見る者が見ればそれとわかる妙な整理と整頓はされていることが伺える、武具店らしい武骨な店構え。
意外ときちんと掃除はされているらしく、古い建物だが不潔な感じは一切しない。
その最奥のカウンターで、まるでやる気のなさそうに昼寝をしていた髭の親父が面倒くさそうにのっそりと体を起こした。
それはソルが接客に値する相手だと看做されているからだ。
この手の店で名前ばかりか声まで覚えられているというのは、ソルがこの店にとってかなりの上客だということに他ならない。
そうでなければこの髭の親父は平然と昼寝を続行していただろう。
この初老の親父は城塞都市ガルレージュの高名な武器職人ガウェイン・バッカス。
こう見えて数少ない魔物素材を鍛え上げて武器、防具とすることが可能な名工である。
ソルが指摘した通り、武具屋であっても客商売であることに変わりはない。
だがこの手の店――魔物と戦うことを生業とする者が自身の命を預ける特殊な武器や防具を扱う店にとって、その格を決めるのは接客の丁寧さや店の豪奢さ、清潔さではない。
売られている武器防具の実効性能のみが、その店の揺ぎ無い評価となるのだ。
ガウェインの愛想が少々悪かろうが、相応しくないと判断した客を店側が追い出そうが、値付けが素人から見れば目玉が飛び出しそうなものであろうが、まったく問題にはならない。
そして店の宣伝は、その武器に命を預ける冒険者たちが勝手にしてくれる。
たった2年でA級まで駆け上がったパーティー『黒虎』の御用達武具店という事実は、ガウェインが昼寝をしている程度では揺るがない信頼を他の冒険者たちに与えるのだ。
だがそんなガウェインがソルの名ばかりか声まで覚えているのは、そういった広告塔として得難い存在だからという理由だけではない。
ガウェイン自身がそう口にしたとおり、ソルとはお互いが客だとも言える関係を築けているが故だ。
つまり特殊な武器の素材となる魔物素材をソルが店側に提供し、店側は仕上がった武器をソルへ提供するという相補関係が成り立っているのである。
ソルとスティーヴの裏での繋がりが、普通の冒険者ではできない魔物素材の横流しを可能にしているというわけだ。
ソルが言っていた泣き言とはつまり、『黒虎』として狩れる魔物の上限が見えてしまっていたからに他ならない。
「ははは。いやちょっと状況が変わりまして」
「A級昇級が内定していたパーティーを解散させておいて、それをちょっとってなぁ剛毅なハナシだな、ええおい?」
「相変わらず耳がはやいですね」
「たりめえだろ」
ソルの返事ににやりと笑ってガウェインが返した言葉に、ソルは苦笑いするしかない。
当然『黒虎』だけではなく高位冒険者に多くの顧客を抱えるこの店であれば、ほぼ一日もたっているのに解散の情報が耳に入っていないことなどありえないのだ。
だがガウェインにしてみれば、パーティーの核となる『盾役』と『回復役』がいつもと変わらずソルにくっついてきていることを確認できた時点で、解散となった大筋のところは読める。
ソルの能力の正体など聞かされていなくても、自分が鍛え、整備も請け負っているリィンの装備を見ていれば、どんなとんでもない戦闘を繰り返しているのかは嫌でも理解できる。
その盾役が惚れたの腫れたのだけで、噂通りの「パーティーのお荷物」に付き従うはずがない。
冒険者稼業というのはそこまで生温いものではない。
それもたった2年でA級昇格を果たせるほどの厳しい戦場に身を置いている者が、それでも揺るがない信頼を寄せ続けている相手はお荷物どころか本当の意味でのリーダーだろう。
魔法系は専門外なだけに回復役のことはそこまでは理解できないが、このガルレージュでは知らぬ者とてない『癒しの聖女』もほぼリィンと同じ様子とくれば、『黒虎』の中核はソルなのだと阿呆でも理解できる。
だからこそガウェインは、顧客の冒険者たちのソルに対する評価をそのままその冒険者の評価にしていた。
たとえ阿呆にだって使いこなせて金を出せれば己の鍛えた武器は売るが、掛売などは断るし懇意にしようなどとも思わない。
どんな世界でも相手の力を根拠なく侮る者は、長生きなどできないのだから。
詳細のわからない『黒虎』解散の話を聞いたときには我ながら似合わぬ心配もしたが、こうやって3人が揃っているところを確認すれば、まずは安心してからかいのひとつも出ようというものなのだ。
「で、なんだ今日は。討伐したバジリスクの素材を確保できる算段でもついたってのか?」
「流石ですね。アタリです」
ソルを苦笑いさせたことで自分でもなんの留飲を下げたのかわからぬまま冗談めかして話を振ると、さらりととんでもない答えが返ってきた。
「なんだ? マジで言ってんのか? そんなもん儂に加工させて構わねえのか? 素材のレベルさえ高けりゃ、ソル坊の目ん玉が飛び出すような装備を造ってやるぜ?」
「言いましたね?」
使い込まれた一枚板のカウンターに身を乗り出して食いつくガウェインに、ソルは常にない挑発的な笑顔で答える。
つまりこれは与太話などではなく、確実にバジリスクの素材が回ってくるということに他ならない。
となればここからは商売の話ということになる。
ガウェインは速やかに自分の頭を職人モードに切り替えた。
「ただし間違いなく目立つぞ? そりゃもうかまわねえのか?」
百年単位で魔物支配領域の主であったのがバジリスクだ。
その素材を使って武器や防具、魔道具を創り上げることができるというのは武器職人にとって何物にも代えがたい。
その機会を逃すつもりなどさらさらないがあくまで商売である以上、顧客の望みを無碍にもできない。
ソルは常々、一定以上目立ちたくないと話していた。
A級すら視野にいれていたB級パーティーのメンバーなのだから当然目立つ。
それも王立学院を卒業してたった2年でとなればなおのことだし、そもそも『黒虎』は全員が『奇跡の子供たち』として初めからある程度名が売れていた。
少なくともこのガルレージュにおいて、ソルの名も顔も知らない者の方が少数派になることは間違いない事実だ。
それが今さら目立ちたくないなどと言えば本来はお笑い草だが、どうやらソルには明確な基準があったらしい。
冒険者としてパーティー単位で目立つことはそれほど問題視していない。
その中での「お荷物」として知られることを歓迎している節すらあった。
つまり冒険者ギルドと特殊なルートを築いていることや、有能な武器職人に専用の武器を鍛えてもらっているというような、組織的な動きとして目立ちたくないという意味だったらしい。
ガウェインにはそのあたりの機微はよく理解できないのだが。




