第029話 『新体制』⑥
ソルはお世辞ではなく、リィンのそういう女の子というか、将来の奥さん、最終的には母となることを夢見て身に付けてきた各種技能を高く評価している。
孤児だったソルには、リィンが確信的にソルだけに見せるそういったいわば家庭的な雰囲気というやつがかなり効果的なのだ。
ルーナとしては絶対の主が一定以上の敬意を持っているであろう相手に、ぞんざいな態度を取る従僕など赦されるはずもないと理解している。
よってルーナはリィンに対して強く出るわけにはいかないのだ。
同居に対してもソルが歓迎している以上、異論を唱えることも出来ない。
極論、ソルに「リィンが1番で、ルーナは2番目な」などとさわやかに下衆な宣言をされたとしても、「押忍」としか言えないからこそ従僕であるとも言える。
それに竜とはいえ女性体であるルーナは、さらっとソルが口にした「も」の意味くらいは理解できる。
そんな他愛ない一言で思い切り赤面しているリィンの態度に対して無頓着なところも含めて、己の主が天然なのかすべて計算ずくなのか、俄かには測り切れないルーナなのである。
「なんか結婚もしてないのに、一気に子供もいるご家庭みたいになるねえ……」
「若いお母さんって、憧れです」
「……つまり我が子供か」
呆れたように、あるいはどこか羨ましそうにジュリアが嘆息し、その発言にリィンが意味不明なテレを見せている。
若い母になるためにはまず妻に、妻になるためにはまず恋人にならねばならないし、子供を授かりたかったら一緒に暮らしてひとつ布団で寝ていればコウノトリが運んできてくれるというわけではないのだが。
それにその子供ポジションは、たとえコウノトリシステムこそが真実だったとしても、コウノトリが運んでこれるような代物ではない。
だがあろうことか『全竜』たるルーナは、側室どころか子供扱いされているのだ。
確かに人の家族としてみれば、ソルとリィンが若夫婦で、ルーナが子供と看做されるのは当然とも言えるだろう。
いやいくつの時の子供だよという突っ込みは避け得まいが、あくまでも疑似家族ということであればその役どころに不満を言える立ち位置ではいろんな意味でない。
「邪竜サマも形無しね」
「ぬう……」
安心したように笑うジュリアの表情から、実はずっと隠していた緊張と心配が抜けている。
とんでもない力を持った存在が突然現れたことに、ごく普通の人間として脅威を感じずにはいられなかったジュリアである。
だがこんな風に「女としての他愛ない、あるいは深刻極まりないハナシ」ができる相手なのであれば、安心してもいいかなと思えたのだ。
――まあ英雄サマは色を好むって、大昔から相場は決まってるしね~。
ソルはまだ、そっち方面に目覚めていないだけなのかもしれないのだ。
ただでさえとんでもない能力を持っていることに加え、本当に人など相手にもならない強大な竜を従えることになったソルは、間違いなく英雄と呼ばれる立場まで駆け上がるだろう。
もしくは人の世界を絶望に突き落とす、悪魔となるか。
どちらにせよ望んだ相手だけではなく、望まぬ相手からもすり寄って来られるようになることはまず間違いない。
であればまだ、恋敵がとんでもない美少女一人しかいないうちに行動を起こすというのは悪くない判断だとジュリアはリィンの決断を是としている。
それがルーナという、どうやら冗談ではなく人の世界を滅ぼせる存在を縛る、ソル以外の鎖になってくれればいいとも思うのだ。
ジュリア自身は昨夜宣言したとおり、幸せな結婚をして穏やかに暮らす所存である。
ソルがこうなった以上、相手と自分の意志以外にそれを阻害する要因は溶けて消えたと見てもいいだろう。
自分は本当に恵まれているなと、人知れずソルに感謝しているジュリアなのだ。
「ソルさんよ、登録は済ませたけど、この子らの装備はどうするよ? 冒険者ギルドが貸し出そうか?」
間違いなく室内の空気をうかがっていただろうスティーヴが、このタイミングで扉の外から声をかけてきた。
――ああこの子たちもいたわねー、そう言えば。
盾役の男の子と、魔法攻撃役の女の子はソルを信奉している様子ではあるが、そっち方面の心配はなさそうだ。
おそらく二人は幼いけどそれゆえに強い信頼で想い合っているのがわかる。
ただ自分と同じ回復役の女の子が冒険者ギルドで鉢合わせた際、リィンと自分を見て一瞬だけ浮かべた表情は、嫉視と値踏みだった。
それをソルの前では完全に消すことも当たり前のようにこなしている。
最初にこの部屋に入った時も、スティーヴに連れられて戻ってきた今も、ソルの役に立つことしか考えていない、純真無垢な少女にしか見えない。
――この子はちょっと厄介そうねー。まあリィンとルーナちゃんなら問題ないか。3人ならまだまだ少ないほうだろうし。
狂信とも言える依存と、己自身すら対価に含めて絶対の庇護者を失わないように行動せんとする実際的な思考。
それが共存している上に、今はまだ栄養不足で半減しているが女性としての魅力も相当なものをエリザは備えている。
――ソル君も大変だけど、下手に男の子を加えるよりハーレム体制で行った方がいいのかもねー。
「ありがとうございます、スティーヴさん。この子たちの装備はこっちで今からすべて揃えますから大丈夫です。それで昨日のバジリスクの素材を卸す先、どの程度自由が利きます?」
「核魔石や眼球、角といった魔導器官系はさすがに国に卸さんわけにはいかねえな。だが爪、牙、骨とか部位魔石であればなんとでもなる」
「助かります」
ソルはスティーヴと冒険者ギルドの根幹業務に関わるような会話を平気でしている。
それはリィンやジュリアにしてみれば今に始まった話ではなく、任務や依頼をこなして報酬を受け取るだけではなく、自分たちが狩った魔物の素材をどこに卸すかの制御に関わることによって、ただ客としてだけではなく有力な店と関係をソルは築いているのだ。
金をいくら積んでも、ただ客としてでは手に入らない武器や防具。
それを『黒虎』として入手できるようにするために。
その伝手を、今度は新しい仲間たちに提供するのだろう。
――スラムの子たちに、それは有効よね。
ジュリアもリィンと同じく、極幼いころからソルと一緒に成長してきた。
いいな、と思ったことが一度もなかったと言えば嘘になる。
『癒しの聖女』とまで呼ばれるようになった自分の力を与えてくれ、魔物との戦闘においては何度も奇跡を見せてくれた。
ジュリアにとって自慢でもあるが同時にコンプレックスでもあった自分の女としての色気にしても、照れはしても生々しい視線や感情を向けて来ないソルと一緒にいるのは居心地が良かったのも事実だ。
でもそれ以上に、ずっとどこか怖かったのだ。
すべてが演技のように思える瞬間がたまにあり、それは今でも正直なところ変わらない。
今まさにスラムの子たちにしようとしていることを目の当たりにしたときなどに、それをより強く感じる。
実は昨日の夜、『黒虎』から抜けると宣言した瞬間にも感じていた。
――いっそ小賢しくこんなこと考えずに、私もリィンと恋敵になってた方が楽だったのかもね。
君子のつもりで危うきから距離を置いていたら、世界はえらいことになってしまいましたという可能性もあるかもしれない。
まあそのあたりはリィンと、手ごわそうなこの子に任せるしかないよねと割り切るジュリアなのである。




