第028話 『新体制』⑤
「でしたら私も一緒に住みます。ソル君が目指すような迷宮や魔物支配領域に私ではついて行けないことは自分が一番よくわかっています。ですからお家でお留守番して、お料理やお掃除、お洗濯、その他いろいろすべてを担当させてくれませんか?」
強い意志を感じさせながらも、どこか決死の風情で縋るようにリィンが言葉を絞り出す。
「……ダメですか?」
見た目に反して気の強いリィンが、涙目になって消え入るような小さな声で懇願する。
重い女と思われたくなくて、田舎で健気に待つという選択をしたリィンである。
それはある意味ソルを甘く見ていたというか、そうそう一人になったソルが女の子に引っかかることなどないという、妙な信頼に基づくものだったのだ。
実際、半ば以上本気だったフィオナの誘いに対して、性欲や自分がいい女に相手をされているという見栄よりも、間違いなくいろいろと面倒くさくなることを厭ったのがソルである。
リィンの侮り、あるいは信頼はそう外れていなかったとも言えるのだが、ルーナのような存在とこれからずっと一緒に暮らすとなれば話は変わってくる。
自分よりも随分幼いとはいえとんでもない美少女だし、その正体が本当に竜だというのであれば人間としての常識など関係ないだろう。
――角とか、特徴的な目とか、おおきな尻尾とか……確かに普通の亜人さんや獣人さんじゃないことだけは確かですよね。
なによりも同じ女性として、ソルに心の底から懐いているというのが伝わってくる。
その上逢ってまだ丸一日もたっていないはずなのに、ソルがすでに身内のように扱っているというのはかなりの強敵である。
これから年単位で迷宮の攻略や魔物支配領域の開放を進めていけば、あっという間に青年と幼女ではなく、似合いの二人になってしまうだろう。
そもそもソルの竜好きを、幼馴染であるリィンはよく知っている。
竜でありながら美少女などと言うチート持ちと、二人きりで過ごさせている場合ではないのだ。
「いいの!?」
「――え?」
だが形振りなど構っていられない。自分でも相当に図々しくてみっともないと自覚している無茶な要求に対して、ソルがその表情に浮かべたのは想定外の喜色だった。
「正直助かる! 僕は料理も苦手だしすぐ部屋を汚くするし、ルーナの世話とかどうしようって実は悩んでたんだ。リィンが一緒に暮らしてくれるというなら願ってもないよ!」
「え、あ、そ、そうですか……」
確かに料理や掃除洗濯で己の価値を語ったのはほかならぬリィン自身ではある。
だが隠すつもりもなくソルへの好意を伝え続けてきたリィンとしては、その他いろいろの方に反応してもらえないのはなかなかに物悲しい。
断られるどころか喜ばれたのは素直に嬉しいが、こんな反応ならまだ「流石にリィンと一緒に住むのは無理だよ」などと照れられて、近くから通い妻をする方がよかったのかもしれない。
正直隣で必死で笑いをこらえているジュリアにも、本気で喜んでいるらしいソルにも釈然としない感情を持ってはいる。
だがなにが一番釈然としないかといえば、それらすべてをひっくるめて結局喜んでしまっている自分のお手軽さに対してなのかもしれない。
だが間違いなく今までよりチャンスは増えるし、危険人物と二人きりにする時間を減らすことに成功したことも事実だ。
迷宮や魔物支配領域で夜を過ごすことは避け得まいが、そんな危険な状況でおかしなことになる可能性は低いはずだ。
少なくともルーナが今少し成長するまでは、ソルの朴念仁を信用してもいいはずだ。
そう信じたい。
リィンはもとより遠慮するつもりなどない。
だがそれはルーナを敵とみなし、つねに険悪な空気を醸すこととは一致しない。
それは悪手でしかないからだ。
最終的な結果がどうなるにせよ、自分がいることでソルの暮らしがより良いものに、居心地のいいものにできなければ、生涯を共に暮らすことなどもとよりできはしないのだ。
そもそもソルの夢を叶えるために絶対に必要だという、リィンが望んでも手に入らなかった立場をルーナはすでに確立している。
リィンとしては見た目が幼いからと言って、油断や遠慮などしている余裕などない。
そもそも本来はただの村娘が、『勇者救世譚』のラスボスである邪竜サマに油断とか遠慮するなどなんの冗談だという話でもある。
ルーナはとても邪竜とは見えない可憐な美少女だが、転移を直接体験したリィンにしてみれば、伝説級の魔法をあっさり使う大魔導士級の実力者がそんな見た目をしているという事実が逆に妙な説得力を生んでいる。
「この者も一緒に住むのか?」
「そうですよ。お姉さんはソル君の幼馴染のリィンです。よろしくねルーナちゃん」
だからソルに不安そうに尋ねたルーナに、にっこりと微笑んでリィンが答える。
殺し合いであればともかく、色恋沙汰においては戦闘能力など総合的な戦力の一要素に過ぎないのだ。
それが想い人の夢を叶えるために必須だという圧倒的アドバンテージ程度、物心ついた頃から共にいるという幼馴染パワーでなんとかしてみせる。
某界隈では幼馴染=負けフラグだなどと言われていようが、そんなことはリィンの知ったことではない。
現時点ではまだ、女としての総合的な戦力では自分の方が僅かとはいえ上だとリィンは冷静に判断している。
普遍的、客観的なスペックとしてではない。それではすでに勝てまい。
だがリィンにとっては最も重要な、対ソルに特化した戦力としてはおそらくあっている。
どれだけルーナが美少女とはいえ、ソルであれば抱き付かれようが一緒に風呂に入ろうが、幼い妹扱い程度で動じることはまずありえない。
一方でソルのリィンに対する感情に恋愛要素的なものはないことなどこれまでで嫌というほど思い知らされてはいるが、少なくとも抱き付けば赤面することは確認済みだし、一緒に風呂に入ろうなどと言えば大いに慌てるだろうことは想像に難くない。
まだソルは誰かを本気で好きになったことがないだけで、そういう方面にまったく興味がないわけではないことは王立学院での生活から『黒虎』時代にかけて確認済みなのである。
そしてリィンはジュリアと二人で呑むたびに、わりと本気でたきつけられていたのだ。
ジュリア曰く「好き→そういう関係」に拘らなくても、「そういう関係→好き」も思っているよりも成立するし、相手が未経験であればその確率はより上がるのだと。
相手に明確な想い人がいるのでもない限り、「今好かれていない」という事実など、行動しない理由にはならないのだと。
なりふり構っていられなくなったリィンは、一緒に暮らす約束を取り付けたことによって今まで棚上げしてきた最終手段を取ることも厭わない所存なのである。
一方でソルにしてみれば、ルーナの正体を知ってなお「ルーナちゃん」呼びをナチュラルにできるリィンはすごいなあなどと、わりと呑気なことしか考えていないのだが。
あとまずは今晩にでも兎肉のシチューをつくってもらおうだとか、そんな程度だ。
「ルーナ、リィンの料理はどれも絶品だぞ。僕と違ってしっかり者だから、家の事とかお金の事とかも任せておけば安心だ。ルーナの服なんかも僕じゃ不安だったけど、リィンがいてくれるなら任せておけばいい。ルーナももっと可愛くしてもらえるぞ」
「……よろしくお願いします」
ルーナとしてはしおらしく、リィンに対して頭を下げるしか選択肢など残されていない。




