第026話 『新体制』③
「主殿、そこを疑われては我としても哀しい。我は主殿の命令には必ず従うし、勝手なことをするつもりもない。万が一我がしでかしてしまいそうな時は、主として厳しく躾けてくれればありがたい」
だがそんな二人の妙な空気に、さも心外だと言わんばかりにルーナが口を出してきた。
ルーナにしてみれば、そこは自信満々で己の主には「大丈夫だ、問題ない」と答えてほしいところだったのだ。
もとよりルーナは己の絶対の忠誠をソルに証明するためであれば、どんな要求にもこたえる所存なのである。
夜伽も愛玩動物扱いもどんと来いというものである。
正しい意味などよく理解できていないが。
ふんすとばかりに鼻息荒くふんぞり返るルーナを見つめる己が主人とその知人の表情は、それでもなぜか晴れないままである。
ルーナのいう絶対の忠誠を信じ切れていないということが、ありありと伝わってくる。
心外もここに極まれりというやつだ。
「? 我は主殿に自ら真名を告げ、主殿は最初にその名を呼んでくださったからこそ我が絶対の支配者なのだが……」
確かにあの地獄から救ってもらうためだったとはいえ、『全竜』である己が初めて真名を告げ、その名を最初に呼んだ主にここまで信頼されていないというのは竜としての沽券にかかわる。
――まさか主殿は我が偽りの真名を告げたとでも思っておられるのか……
竜にとってそんなことをするくらいなら殺された方がマシなのだが、自分はあの地獄から救われるために己の矜持も尊厳もかなぐり捨てた駄竜であるからには、そう疑われるのも仕方がないのかもしれない。
とはいえ、さすがに悲しくなってルーナはしょんぼりしてしまった。
「え? 真名ってそんな意味があるの?」
「は? 主殿はそんなことも知らずに我が真名を呼んだのか!? ひどい!!!」
だがソルが驚いた表情で口にした言葉は、あの地獄から救ってくれた主に身も心も捧げると誓っているルーナとしても思わず詰ってしまわざるを得ないものだった。
――りゅ、竜の真名をなんだと思っておられるのか!
「え? あ、ご、ごめん?」
我知らず涙目になって睨んでくるルーナに、本気で慌てた様子のソルが謝る。
とはいえなにがひどいのかを理解できているわけではない。
ソルにしてみれば本名『ルーンヴェムト・ナクトフェリア』、愛称『ルーナ』という程度の認識だったのだ。
別の意味があると理解したところで、それは結婚式での誓いの言葉のような儀式的なものだろうとしか思えない。
すでに竜が存在しくなって長い世の中で生きてきたソルはもちろん、知識であればソルよりもずっと上であるスティーヴであっても、ルーナの言うマナという響きが『真名』――その名を最初に呼んだ者が竜の存在そのもの、魂ですら支配する主になる言霊なのだと知っているはずもないのだから。
今の人類にとってそれは、『完全に失われた知識』というやつなのだ。
だが捧げた乙女の純潔を踏みにじられた少女のようにぐすぐすしながらルーナが語るその内容を聞いて、速やかに土下座の態勢に移行せざるを得なかったソルである。
主従であっても、いや主従であるからこそ疑ってはいけない聖域というものは存在する。
そこを蔑にしていては、信頼関係など築けるはずもないのだ。
だが悪気はなく無知ゆえの事なので、なんとか御赦しをいただきたい所存のソルである。
「人が失ってしまった知識ってのは、俺らが思っているより結構多いのかも知れねえなあ……」
「……ハイ」
スティーヴも自身が初めて聞いた、今の世の中からは失われてしまっている『竜の知識』に素直に感心している。
あるいは聖教会の禁書などには残っている知識かも知れないと思うと、それを知っただけでもう自分が「背教者の一味」と看做されても仕方がないのだという事実に苦笑いせざるを得ないスティーヴである。
もっともソルが初手でそうなるように立ち回ってくれたことに感謝こそすれ、逃げ出そうなどとは思わない。
これはスティーヴがたとえ脇役だとしても、間違いなく後世に語られる物語の舞台に上がれるということに他ならないからだ。
たとえそれが、未来において逸史、禁書の類にされるとしても。
そんな機会をみすみす逃すくらいなら、髪を白くしてまで冒険者ギルドという組織で出世しようなどとは初めから思ったりしない。
「とにかく俺はそのお嬢ちゃんを冒険者登録すりゃいいんだな。ソルと二人でパーティー登録もしておく。パーティー名はどうするよ?」
「パーティーではなくクランを立ち上げようと思っているんです。僕たちのパーティー名はまた後日考えます。クランの名称は『解放者』でお願いします」
「……その心は?」
「最初は片っ端から魔物支配領域を解放していく予定なので」
「そりゃまた大きく出たな……」
本当にそんなことが可能なのであれば、まさに『解放者』という名は相応しい。
「昨日のA級昇格任務級程度であれば、移動してルーナが一発殴ってそれで終わりですよ」
「昨日?」
「バジリスクを倒したんだ」
「? 雑魚ですね」
分身体であっても邪竜様にとってバジリスク程度、地上で縄張りを主張している図体だけがデカい雑魚に過ぎないらしい。
「…………移動手段はギルドで用意させていただきます」
「よろしくお願いします」
英雄譚の脇役になるべく前向きに職権を乱用しようと決めたスティーヴが軽く振った会話に返された答えは、想像以上にとんでもない内容だった。
ここまでがすべてソルの壮大なハッタリでないのであれば、多少の職権乱用による優遇など冒険者ギルド本部から「英断」として褒めそやされることになるのは間違いない。
そもそもが冒険者の等級とは、それに応じてギルドが特別扱い致しますよという宣言のようなものなのだ。
A級昇格任務を日にいくつもこなすような破格の冒険者ともなれば、神話や伝説の時代には存在したというS級が復活しても不思議ではない。
もしも本当にガルレージュ周辺の魔物支配領域がすべて解放されるようなことになれば、国家間のパワーバランスも劇的に変化することになるのは自明の理だ。
今の世界の常識を覆す冒険者の存在は、この大陸に存在するすべての権力者たちから注目を集めることになるだろう。
事と次第によっては、人は再び古の大魔導時代の繁栄を取り戻すことができるかもしれないのだから。




