第025話 『新体制』②
「……どういうことだ?」
だが意味を理解した上で改めて見れば、確かにこの少女はおかしいとわかる。
亜人、獣人が神様から『能力』を与えられないことは周知されているとはいえ、なにも見えないということはあり得ない。
スティーヴの目には、亜人であろうが獣人であろうが『森精霊』や『狼』など、人であれば『村人』と同等のものが見えるはずなのだ。
それがなにも見えない。
後ろに立っているソルが『プレイヤー』であることは、相変わらず見えているにもかかわらずだ。
「……スティーブさんでも見えませんか」
見えてくれれば簡単に済んだのだが、やはりそう簡単にはいかないらしい。
ソルの表示枠ですら主従関係が成立するまでは一切の情報を表示できなかったので、まあ半ば以上予想通りでもある。
「いやわかった。ソルの倍以上生きている俺でもこりゃ初めての経験だ。このお嬢ちゃんが見た目どおりの存在じゃないってことくらいは理解した。で、何者なんだこのお嬢ちゃんは?」
だがソルの想定以上に、スティーヴは驚愕していた。
己が人生をかけて築き上げてきた地位の根幹に『能力』は存在し、敬虔な信者とはとても言えないとはいえ能力を授かっているからには神様の存在を信じていないわけもない。
その力が及ばない存在が、尋常であるはずがないのだ。
人が「神様から」与えられた力が通用しない存在。
それは神をも凌駕しかねない存在だということを示唆しているとも言える。
つまりは神話や御伽噺、または聖教会の経典でのみ語られる、今ではすべて打ち倒され、もう存在しないはずの神と人の敵。
可憐で儚げな少女の姿をしていても、スティーヴの声に畏れが滲んでしまうのも仕方がないことだと言えるだろう。
「全竜――いえ、邪竜ルーンヴェムト・ナクトフェリア。その分身体……だそうです」
「――は?」
「いえ、けしてふざけているわけではなく」
「と言われてもだな……」
とはいえ流石に『勇者救世譚』のラスボスの名前を真顔で告げられても、なるほどそうかとはならない。
もはや中年後半に足を踏み入れているスティーヴとはいえ、当然彼にも純真無垢なる少年時代はあったのだ。
その頃に瞳を輝かせて何度も繰り返して『勇者救世譚』を聞き、勇者が打ち倒す場面には胸を熱くし、夜更けに目が覚めた時はもしも封印が解けてしまったらどうしようと震えたのが『邪竜ルーンヴェムト・ナクトフェリア』という恐怖の象徴である。
せめてソルのように、あの空間で無数の鎖につながれて封印を受けている真躰を見ているのであればまだしも、目の前の角と尻尾を生やした美少女がそうなんですと言われても、正直反応に困る。
だが――
「ルーナ」
「はい」
「っおわあああ!!!」
ソルが声をかけると同時に、ルーナは打ち合わせ通りに『転移』を発動した。
なんの前触れもなく強制的に自分が転移させられたスティーヴは、後でソルに黙っておいてくれと頼まなければならないような情けない悲鳴を上げてしまった。
――うん、突然されたらそうなりますよね。わかります。
自身はなんとか悲鳴を内心で収め、実際に声を出さなかったことがまだマシだったのだと少し安堵を覚えるソルの性格はなかなかのものだと言えるだろう。
突然目の前からソルとルーナと呼ばれている美少女が消えたわけではなく、自分の方が部屋の片隅へ壁を向いた状態で移動させられたのだとなんとか理解して、スティーヴは恐る恐るという様子で振り返る。
その目に映ったのは、当たり前のように宙に浮いているルーナの姿だった。
ついでのようにソルも一緒に浮かんでいる。
「今のはルーナが行使した『転移』で、浮いているのは『浮遊』です。ちなみに転移の対象人数に制限はなく、有効範囲は球状らしいです。浮遊については特に高度に制限はないんですって。ははは。僕はこの後、古の大魔導士のように空を飛んでみようと思っています」
口を開けて呆けた表情のまま、なにも言えなくなってしまったスティーヴにソルが説明する。
正直なところソル自身、いまだ慣れることができていないのだが。
「ははは、じゃねえが……わかった。すべてではないが納得した。というかするしかない。だけど一つだけ聞かせてくれ。大事な質問だ」
『浮遊』はなんらかのトリックだと疑うことも出来る。
『転移』も突然移動したのがソルとルーナの方であれば、まだなんとかそうだと疑うことができたかもしれない。
だが自分自身がなんの抵抗も出来ぬまま移動させられてしまえば、そんなどうやればいいのかも思いつかない大掛かりなトリックというよりも、伝説に伝え聞く『転移』魔法の実在を信じる方がまだ合理的だ。
そしてわざわざソルが説明してくれたことの意味が、スティーヴには理解できてしまう。
スティーヴが実際に体験したとおり、なにをされたかもわからないうちに強制的に他者を転移可能でその数に上限がなく、対象を捕捉して移動させる範囲が球形だという。
つまりは横だけではなく縦にも飛ばせるということであり、浮遊・飛翔能力など普通は持ち得ない人間にとっては必殺の攻撃となるということだ。
事実、昨夜そうやって5人の冒険者崩れは始末されたのだ。
その球形の大きさ次第で軍隊ですら一瞬で無力化されてしまうという事実は、それこそ神話や伝説に記されている『戦略級大魔法』の実在を突き付けられたのだとスティーヴには理解できてしまった。
ルーナと対峙した翼無き者は、常に必死の間合いに囚われているということに他ならない。
今の時代では飛翔魔法、浮遊魔法を行使できる高位魔法使いの存在などスティーヴの立場であっても聞いたことなどなく、つまり人である時点でルーナには絶対に勝てないのだ。
「――このお嬢ちゃんは、間違いなくソルの制御下にあるんだな?」
だからこそ、これだけは聞いておかなければならない。
「……そのはずです」
「はずってお前……」
だがソルから返ってきた答えは安心とは程遠い、心許ないにも程があると言わざるを得ないものだ。
思わず非難めいた表情を浮かべてしまうスティーヴだが、ソルにしてみれば安請け合いをできるはずもない。
今のところルーナがソルに従順であることは間違いないが、それが永続するという保証などどこにもないのだから。
というかスティーヴにしてみたところで、ソルに真顔で「いえ、制御など不可能です」と言われたところで、「では冒険者ギルドの総力を挙げて抹殺します」など言えるはずもない。
そんなことを口にしようものならまず手始めにここ城塞都市ガルレージュが、神話で語られる邪竜に滅ぼされた五大魔導都市のひとつ、『沈黙都市ウィンダリオン』と同じように潰れた肉塊だらけにされかねない。
それにソルが完全に制御できているとしても、それは人の世界にとってなんら安全を保障するものではないことを、非難めいた表情を浮かべてしまった後でスティーヴは思い至っている。
すでに圧倒的な力が現存する以上、その制御をするのがソルであろうがルーナと呼ばれている少女であろうが、人にとっては生殺与奪の権を他者に握られているという事実はなにも変わらないのだ。
その事実を真っ先にソルが自分に知らせてくれたことの意味を、大人であることを自認するスティーヴこそが自覚しなければならない。
自分が頼りにならないと判断された場合、このとんでもない力が他の人間を頼りにするのであればまだマシで、めんどうくさいから人の世界を滅ぼしてからゆっくり考えようなどと思われたらいろいろ終わりなのだから。
ソルの夢を叶えるために、今の人の世界が維持されている必要などないのだ。
ソルが必要だと思える幾ばくかの人間と、人の世界が崩壊することをまず間違いなく歓迎するであろう亜人や獣人たちがいれば、文化的な暮らしを維持することに苦労などしないのだから。
そう理解したスティーヴと、スティーヴがそう理解したであろうことを察したソルがお互いシニカルに笑い合う。
短絡的にそうするつもりなどないソルだが、それを選択肢から外すつもりもない。
一方でスティーヴは人の世界を救うことを義務付けられた勇者サマでも救世主サマでもない。
極論、スティーヴが今心配すべきなのは自分がソルが残す「幾ばくかの人間」に含まれるようにすることであって、顔も知らない万民を救うことなどではないのだから。




