第021話 『信者』③
「今使えるようにしたよ」
「え? あ。――すごいな主殿は」
従僕のように控えていた美しい獣人系らしき少女が申し訳なさそうに答えるのを、神様は一蹴する。
エリザたちにそうしたように、治すために必要な魔法をあっさりとその少女にも与えたのだと。
古傷を治しきるためには相当量のM.Pを必要とし、今のエリザには自分の傷を治せるだけのM.Pを付与できなかったから、初めから桁違いの魔力を持つルーナに任せたのだ。
見たこともないくらい美しく、宙に浮いているその少女があげた感嘆の声に、エリザたちは心の底から同意することしかできない。
そしてこれからは自分たちもこの人を主として生きていけるという事実に、自分でもわけのわからない情動を覚える。
圧倒的強者の庇護下に入れるという事実は、弱者にとってはとてつもなく甘い飴だ。
その後どんな鞭が待っていたとしても、それを初めて味わった際の得難い陶酔からは容易に抜けることなどできはしない。
信者とはそうやって生まれるのだ。
宙に浮いている少女の手が、魔法行使の光に包まれる。
それと同時、エリザは癒しの魔法が行使されたことを、自分という意識が確立してからずっと付き合って来ていた醜い顔の片側に熱として感じる。
今まで右側と左側でまったく違っていたその感覚が、火傷を負っていない側と全く同じものに変じてゆく。
焼かれて失われていた眼球が温かい感覚と共に再生され、エリザは立体感というものを初めて自分の感覚で理解できた。
鏡を見るまでもない。
エリザの立場では生涯付き合っていくしかなかった傷は、たった今いともあっさり癒されたのだ。
それは間違いなく、実際の火傷以上にエリザの心を爛れさせていたものも含めて。
「あ、ありがとうございます!」
本来の美しい少女に戻してもらったエリザが、真摯な表情で感謝を伝える。
まだ幼いとはいえ今のエリザであれば、すぐそこで肉塊になっている男たちに間違いなく手を付けられていただろう。
ボスであるガフスが、自分専用の情婦にしていた可能性が最も高い。
本来のエリザの美しさは、それほどのものだったのだ。
これからエリザはそんな自分の女としての魅力を理解してゆくことになる。
今は痩せこけて肌も荒れているが、それはほどなく本来の若くて健康的な状態へと戻り、多くの異性を魅了することになるのは間違いない。
理解した己の魅力を向けたい相手は、たった今1人に固定されてしまったのではあるが。
「報酬の前渡しだから気にしないで。その分働いてくれればそれでいいよ。とりあえずこの死体の始末を任せていいかな」
本気でなんでもないことのようにソルが答える。
自分がその能力を与えたジュリア――『癒しの聖女』が大怪我を治すところを何度も見ているソルにしてみれば、M.Pさえ足りていれば出来て当然のことに過ぎないのだ。
それに膨大な金額を対価として必要とすることは冒険者ギルドや聖教会の都合であり、ソルが個人的に使う分にはそんな値付けなど知ったことではない。
根は聡明でそれだけに用心深くもあったエリザだが、自身が伝えた感謝に対するソルの言葉を聞くその表情は、もはやソルの信者と言うしかないものに変じている。
それは力の付与と傷の治癒という奇跡を目の当たりにした、ヨアンとルイズもそう変わらない。
そんな3人にとっては、ぐちゃぐちゃになっているかつての自分たちの支配者たちの後始末など仕事の内にも入らない。
「明日、お昼になる前までに冒険者ギルドへ3人揃って来てほしい。それまでに僕が話を通しておくから。その後も時間を使うと思うから明日は予定を入れないこと。あとなにか質問はある?」
あるかと言われれば、それこそ山のようにある。
だがエリザはもちろん、ヨアンとルイズもあまりにも信じられないことが連続して起こっているため、なにを聞けばいいのかの整理などできているはずもない。
しかもこの場であれやこれやととりとめもない質問をして、最初の命令をさっさと遂行しない自分たちというのもなにやら拙い気がする。
とりあえず明日、足を踏み入れる機会などないと思っていた冒険者ギルドへ指示どおりに行った後、それでもわからないことがあったら聞けばいいとエリザは結論した。
「ご指示どおりに致します。その上でお聞きしたいことがあった場合、どうすればよろしいでしょうか?」
「ここに来てくれればいいよ。夜なら大体いると思う」
「……よろしいのですか?」
「?」
エリザの確認は、ソルにはピンとこないようだ。
手下にするからには主の家を訪れることもあるだろう、という程度の認識でしかない。
つまりエリザたちとの関係を周囲に隠すつもりはないということになる。
冒険者とはいえ高位ともなれば、スラムの組織などと繋がりを持つことで得られる利益と同じくらい害もあると思えるのだが、ソルはまったく気にしないらしい。
いや、正しくは気にしなくなったのだ。
今までの頼りない、それこそ冒険者ギルドや国が本気になったその瞬間に始末されてしまう立場ではなく、多少の下手を打っても確実に切り抜けられるだけの絶対的戦力――ルーナを手に入れたことによって。
だからこそソルは自らの能力である『プレイヤー』を、今まで思いついてはいたものの露見して破滅する未来を避けるために自重していた使い方を試してみようと決めたのだ。
その初手がエリザたちであり、その目的はスラムを支配して利益を上げるなどと言うくだらないことではない。
金が欲しいのなら、ルーナと冒険者としてまっとうに依頼や任務をこなせばこれから必要なだけ手に入れることが可能なのだから意味はない。
ただしそれはあくまで個人として話だ。
ソルが本当に必要としているものは金では贖えない。
世界中の迷宮を自由に探索し、四大国家がそれぞれ管理している四大迷宮――名付の大迷宮を攻略する権利など、どこにも売られてなどいないからだ。
「じゃあルーナ、戻ろうか」
「はい」
エリザたちからそれ以上の質問がないことを確認したソルは宙に浮いた少女を左腕に抱き抱え、長外套をひるがえして自分の屋敷の方へと振り返る。
その広がった長外套が再び重力に従う前に、ソルの姿は噴水の上から掻き消える。
さも当たり前のように神話で語られる高階梯魔法である『転移』を使いこなすその姿は、エリザたち3人にとってすでに自分たちの絶対の支配者、従うべき主として映っている。
命を救われた。
それどころか神に祈っても与えられなかった能力まで与えられ、その上冒険者にしてくれるという。
裏切れば次はない。
その程度のことは誰に言われるでもなく理解できている。
自分たちはものすごく運が良かっただけなのだ。
その運を活かし続けるためには新たな飼い主の『実験』に対して、望ましい結果を出し続けるしかない。
だがもはやそれは恐怖ではなく、胸が躍るような高揚と使命感を伴っている。
今までのスラムでの暮らしに比べればそれも当然と言えるだろう。
あるいはソルの持つ『プレイヤー』という能力の神髄はこれなのかもしれない。
神によって残酷な格差を与えられることを当然とするこの世界において、人の身でありながらそれを覆すことを可能とする。
それは常に不在の神を崇め奉り、ありがたい経典で心の救済を担う世の宗教とは本質的に異なり、実利を以ってソルを信じ、その意志を絶対とする者――信者を生み出すのだ。
エリザたちはその最初の3人。
いずれその在り方は、ソルの想定していた「実験」の域を大きく超えることになる。
ただ今の絵面としては希望に瞳をキラキラと輝かせた少年少女たちが5体のぐちゃぐちゃな死体を頭陀袋に放り込んで始末しているという、宗教画には少々どころではなくそぐわない光景ではあるのだが。




