第020話 『信者』②
「……君の名前は?」
「エリザです。エリザ・シャンタールといいます」
これなら大丈夫かと判断したソルが名を問い、少女が答える。
なるほど聡明な子なのだろう。
ソルが自分の名を聞いたことで「殺す相手にわざわざ名を聞くことはない」という判断の下、隠しきれない安堵の表情が浮かんでいる。
「ヨ、ヨアン・ノバックです!」
「ルイズ・ラトゥールです」
エリザのその気配が伝わったのか、名を告げることで殺されなくて済むとでもいうかのように、聞かれていない二人も慌てて自らの名を名乗った。
顔を隠しておくことが無意味なばかりか、自分の生殺与奪の権を握っている相手の不興を招く可能性に思い当たり、エリザと名乗った少女が躊躇いがちであれども目深に被っていたフードを外す。
ヨアンとルイズもすぐさまそれに倣った。
「わかった。エリザに、ヨアンとルイズだね。今から君たちは僕の手下にする。いいね?」
否も応もないので3人全員が即座に頷く。
「実験」は恐ろしいが手下にするとわざわざ言う以上、即座に殺されるような使われ方ではないはずだ。
そもそもこの場で「もう君らは帰っていいよ」と解放されたとしても、ガフス組の中核戦力が皆殺しにされた今、エリザたちに待っている未来はろくなものではない。
他の組織に身を寄せるしか生きていく手段などなく、そうなれば間違いなく今よりもひどい扱いを受けることになるのは新参者の常なのだから。
考えようによっては、冒険者崩れなど苦も無く瞬殺できる強者の庇護下に入れるかもしれないこの状況は、この上ない幸運であるとも言えるのだ。
幸運と不運の天秤は、今のところわずかではあれど幸運の側に振れている。
最終的にそれを決定付けるのは、絶対者ではなくここからの自分たちの受け答え次第なのだとエリザは理解している。
――問題は『実験』とやらがどんなものなのかですが……私がまともな女だったのなら生き残れる可能性も少しは上がったのでしょうけれど、顔を晒した今は下がったとみておくべきですね。
冷静でありながら、どこか投げやりで自嘲的な思考がエリザを支配する。
このまま生き残って自分でも惨めだと思っている毎日を続けるよりも、とんでもない力を行使する超越者に殺されてしまう方がまだマシかもしれないと、心の奥底では思ってしまっているのかもしれない。
「とりあえず君たちに魔物と戦える力を与える。冒険者への登録は僕の伝手でするから心配しなくてもいい。3人パーティーで依頼や任務をこなしつつ強くなって、スラムに存在するすべての組織をまとめ上げて欲しい。最低でも他の組織に対する影響力を持つ程度には早急になってもらう。ガフス組とやらの中に他に冒険者崩れは?」
だがまずは死ななくてすみそうだということに安堵しながらも警戒を解いていなかったエリザの耳に入ってきたソルの言葉は、まるで理解できない内容だった。
いや言葉の意味は当然理解できる。
だがそれがなにを言っているのかが、まるで理解できない。
「――いません。今夜の襲撃に全員参加していました」
「だったら問題ないかな」
幸い質問をされているので即座にそれに答えるエリザだが、それを受けてさも当たり前の会話のように受け答えしている目の前の存在が俄かに別の意味で恐ろしくなってきた。
魔物と戦える力を与える?
コネを使って冒険者に登録?
自分たち子供3人にスラムを支配しろ?
――神様なのかな?
真顔で目の前の存在が語っている内容は、正直酔っ払いの戯言よりもひどい。
生殺与奪を握られているこんな状況でなければ、能力に恵まれなかった者をここまで虚仮にする必要があるのかと激高していたかもしれない。
それほどまでに「能力」に恵まれなかった事実は重く、それゆえに今の立場に身を落としているという事実が子供の心を深く蝕む。
より弱い者から奪って生きていくことを、なにが悪いと開き直ってしまえるほどに。
だが――
「ヨアンが盾役でルイズが魔法攻撃役。エリザは治癒役だな。ボスはエリザ、君に任せる」
再びなにを言っているのかわからないことを、虚空を見つめながらソルが口にした直後。
万が一にも憤りを表情に出してしまわぬように、少なくない努力をしていたエリザの顔が純粋な驚愕に染まる。
ソルがなにを言っていたのかを、突然理解できてしまったからだ。
わけがわからないと思っていたソルの発していた言葉のとおり、『プレイヤー』によって各役割に必要なスキルとともに、今のエリザたちに付与可能な上限値までH.P.、M.P.、各ステータス値が与えられたのだ。
与えられた側にはそれが理解できる。
あの日のマークやアラン、リィンやジュリアといった『黒虎』のメンバーたちがそうであったのと同じように。
そしてそれはエリザだけではなく、ヨアンとルイズも同じ。
もしも12歳になる年の元日に魔物と戦える能力に恵まれていた場合、今と同じような感覚を得ることができていたのだと理屈ではなく理解できてしまう。
大人たちが何度も言っていた、戦う能力を授かった者には必ずそのことが理解できるというのはこういうことだったのだ。
子供を終えた日から約1年遅れて、エリザたちは今奇跡を得た。
ではその奇跡をあっさりと引き起こしてみせた、目の前の男は何者なのか。
超がつく有力パーティーのお荷物だと誰もが言っていた優男は、自分たちが従うしかなかったガフスたちを瞬殺したばかりか、神様と同じことを少なくとも自分たちには苦も無くやってのけたのだ。
『能力』を他人に与えるなど、文字通り神様の御業だとしか思えない。
いや御伽噺では神が人の姿を借りてこの世に顕現することも――
「当然このことは他言してはいけない」
そう微笑んで告げるソルが、3人には現人神にしか見えなくなっている。
他言したら殺すと脅されるわけでもなく、優しく諭すように言われていることも大きいだろう。
まだ13歳になったばかりの少年少女には、圧倒的な実益を伴う奇跡の行使と同時に優しく接されることは洗脳に限りなく近い。
これほど真摯に誰かの言うことに頷いたのは生まれて初めてだと、3人ともが確信しながら言われたことに対して何度も首を縦に振っている。
他言すれば今与えられた力を失うというのであれば、大げさではなく死んでも口を割ることはないだろう。
「まあ当然、期待に応えてくれれば報酬も用意する。ちょうどいい、ルーナ」
「はい」
「エリザの傷を治してやって」
だがエリザたちの神様は、多分に実利的な部分もあるらしい。
報酬という俗な言葉とともに、エリザがあの極限状態にあってもなおフードを外すことを僅かに躊躇った理由を「治す」などという、とんでもないことを再び口にした。
本来は美しい少女であり、魔物と戦える能力に恵まれなかったとしても充分幸せな人生を送れる可能性が高かったのがエリザだ。
先刻ソルに見せた対応からしても目端が利き、貴族の側室くらいにはなれてもおかしくない器量を持って生まれていた。
それがどこか捨て鉢な人生になってしまった原因が、ソルの言う「傷」なのかもしれない。
元が美しいだけにその顔の半分を占める酷い火傷の痕との奇妙なアンバランスさが、傷そのものよりも人に忌避感を与える不気味さとなっている。
物心つく前にはすでに負っていた、自分ではいかんともしがたい傷。
それを表面上はどうあれ、エリザは本心では恥じて生きてきていた。
この傷さえなければと思ってしまうことは、どうしても止められなかった。
魔法が存在するこの世界において、どんな傷でも欠損でも治してしまえる手段は極わずかにとはいえあるにはある。
だがそれを享受できるのが一部の特権階級のみであるのも世の常だ。
それらは僻地の農村で暮らす村人はもとより、今やスラムで生きるエルザにはけして手の届かない、存在しないのと変わらない手段でしかない。
だからこそ12歳を迎える年の元日を迎えるまで、エリザは自らに治癒の能力が与えられることを神様に祈り続けたが叶わず、残りの人生に半ば絶望してしまったのだ。
その傷を、神様と同じことができる人が治してくれるという。
「申し訳ない主殿、我は他者を癒す系の魔法を持っては……」
自らも片目と片角、背の両翼を失っているルーナにしてみれば、他者の似たような欠落を取り戻すという行為に憧れに似た感覚を持ちはする。
しかし竜語魔法は破壊に特化したものであり、他人を癒す類のものなどない。
たとえ全竜であっても、初めから無い力を行使することは能わない。
だが――




