第018話 『邪竜ルーンヴェムト・ナクトフェリア』③
「いやいや、ただの冒険者崩れだよ。用心して強めに見積もっても精々D級相当……って言ってもわかんないか。まあ数が多いけどこの部屋は見つけられないだろうし、見つけたとしても破れないから安心して」
「ただの人ならどうとでもなりますが?」
安心させようとして伝えた言葉に、今はソルと同じように上を見つめているルーナが冷静に答える。
それはつい先刻まで情けなくソルに抱き着いていた様子とも、大きな音に驚いてとび上がった時の様子ともまるで違っている。
間違いなく己の感覚で頭上の敵性存在を正確に捕捉し、その戦闘力が取るに足りないものだと判断しているのだ。
その様子にはなんの虚勢も感じられない。
竜にとってはただの冒険者など、普通の人となにも変わらないのだろう。
びっくりしたのはあくまでも慣れない大音にであって、それを生じさせた者ではないということなのだ。
「ホントに?」
「分身体とはいえ、我は全竜ですから!」
それでも思わず聞き返してしまったソルに対して、向かい合った姿勢のままで胸を逸らしてふんぞり返るルーナである。
自慢げなその様子はかつての全竜としての誇りというよりは、自分をあの地獄から救い出してくれた主の役に立てることを誇っているのだ。
ルーナが怖いのは「再びあそこへ戻される」ことだけであって、それ以外のことはなにも怖くない。
そして自分は従僕として救われた以上、主を失うことはあそこへ連れ戻されることをまず間違いなく意味する。
つまりソルに害をなそうとする存在は、ルーナにとって問答無用で滅すべき怨敵なのだ。
あと実は密かに恐れているのは、ソルに愛想をつかされて主従関係を解かれる可能性だ。
その際には、なんとか慈悲として自死を命じてもらいたいとも思っている。
まずは万が一にもそのようなことが起こらないよう、従僕として可能な限り頑張る事だと気合を入れてもいるのだが。
「…………エグくない?」
「なにがです?」
ふんぞり返られて、ルーナの強さを改めて確認したソルがちょっと引いている。
『契約』の空間では、ルーナのあらゆる情報を確認することがソルには不可能だった。
魔物でも格上――おそらく基礎レベルの差が一定以上であろう相手には同じことが起こっていたので、それが『プレイヤー』という能力のルールなのだと気にしていなかった。
だが主と従僕となった今、ソルの視界にはルーナ――全竜ルーンヴェムト・ナクトフェリアの分身体、その詳細な情報がすべて表示されている。
余計な情報も混ざってはいるが。
その各種ステータスの数値や使用可能なスキルの数たるや、人間と比べるのもバカバカしくなるほどのもの。
5年間この能力を使い続けてきたソルですら、思わず「壊れたのかな?」と素で思ってしまったほどのとんでもなさなのだ。
まさしくソルが口にしたとおりエグいという域で文字通り桁が違い、人間離れしている。
――いや、当たり前といえば当たり前か。真躰とやらの0.1%程度と聞いて思わずがっかりしていたけれど、今の冒険者や正規兵の上位千人を集めたからといって真躰をどうにかできるかといわれれば絶対に無理だ。例え人数の桁を一つ二つ上げたところで、蹴散らされるだけだとしか思えない。ということは――
「いや……じゃあ頼めるかな?」
「承知しました!」
――ルーナは少なくとも対人間では無敵おわあぁあ!
自分が最初に期待したとおりの「絶対的な力」を手に入れたのだと理解し、その実戦証明にはちょうどいいとばかりに賊の殲滅を気楽に依頼したソルだが、ついさっきまでのルーナとほぼ立場を入れ替えるハメになってしまった。
なんとか実際に悲鳴を上げずに済んだものの、内心では奇声を上げて思わずルーナの華奢な躰に縋りついてしまったのだ。
「ど、どこから現れた!? い、いやお前がソル・ロックだな?」
とはいえそれは現代人であるソルにとっては仕方がないと言える。
賊とルーナ、その圧倒的な彼我の戦力差は理解できたとはいえ、ソルは普通に魔法障壁を解除して隠し部屋から現れ、その上で瞬殺するあたりを想定していたのだ。
それがいきなり屋敷内に展開している賊、そのリーダー格が目の前に顕れたら驚くなという方が無理だろう。
賊のリーダー格も驚愕しているとおり、正確にはソルとルーナの方が突然賊たちの中心に顕れたのだが。
「ル、ルーナ……今のなに?」
「短距離転移ですが?」
「あたりまえのように言われてもなあ……」
「真躰であればそれなりの長距離転移も可能なのですが……」
なんとか自分たちの方が移動したのだということを理解し、念のためルーナになにをしたのかを確認するソル。
だが返ってきた答えは、乾いた笑いを浮かべるしかない内容だった。
神様仕込みの大儀式であればまだしも、こんな気楽に現代ではその実在すら疑われている大魔法を行使されたらもう笑うしかない。
申し訳なさそうにしているルーナには悪いが距離の問題などではない。
というか真躰であれば当たり前のように長距離Verもできると言っているのが恐ろしい。
ルーナの言う短距離、中距離、長距離がソルの感覚でどれくらいを指すのかも重要だが、こんなことが可能となれば「戦闘」というものの常識が根底から覆る。
思わず目の前の賊の存在を忘れて考え込みそうになるソルである。
――というか転移にも驚いたけど、今僕、普通に浮いてるよな……
最初は情けなくもルーナにしがみつくような体勢だったソルだが、今は左手で抱えているような体制に移行している。
魔法使いでもないのに気に入って特注で仕立てた上等な長めのマントが、暗さと合わせていい具合に醜態をカモフラージュしてくれたらしく、賊たちにはバレていないようだ。
だがソルはその長いマントを翻し、左腕にルーナを抱えて間違いなく空中に浮いている。
確実にソルよりも体格のいい賊たちを、確実に見下ろせるほどの高さに。
――俺だったら、普通に浮遊術使う相手にあったら、とりあえず逃げるけどなあ……
「無視してんじゃねえよ! B級冒険者のハッタリを利かせても、アンタがお荷物だったってことはみんなもう知ってんだ」
だが無視される形になっている賊たちが驚きからなんとか復帰し、二人を包囲する。
どうやって現れたのかも、どうやって浮いているのかもわからなくても、この屋敷の住人はソル・ロックで間違いない。
であれば恐れる必要はない。
なぜならソルを知る者であれば皆、「あれは『黒虎』のお荷物だ」と声を揃えて言っているのだから。
賊たちは突然現れたことも、今目の前で浮いていることもソルの「ハッタリ」のひとつだとでも思っているのだろう。
とんでもなさすぎて、そう思った方が楽なのだということはソルにもわかる。
まあ『転移』にせよ『浮遊』にせよ、タネも仕掛けもあれば確かにそう見せかけることは不可能ではない。
だがこんな状況でわざわざ手品を披露するモノ好きもいなかろうにとソルは思う。
そもそもソルにしてみれば、よく人から聞いた話だけを根拠に、状況としては一方的に殺されても誰にも文句を言えないようなことをできるよなあと思うのだ。
だがそんな考え方だからこそ、冒険者になれたにもかかわらずスラムで徒党などを組むハメになっているのかもしれないと思いなおした。
――ちょうどいい、存分に自業を自得してもらうことにしよう。
ソルは我知らずあまりよくない笑顔を浮かべる。
スティーヴがそう評したとおり、ソルは敵と看做した相手には基本的に容赦がない。
直接手にかけたことこそまだないが、『黒虎』がB級になるまでに絡んできた相手の中には、ソルが敵と看做して処分した者がすでに何人も存在する。
直接手を下したのはスティーヴの手の者たちである。
もしも今ここにいてくれたのがリィンであれば、ソルもただ追い払うだけで済ませただろう。
それは実力的な意味ではなく、リィンにはおそらく「人殺し」はできないだろうからだ。
まあ『鉄壁』を確認した瞬間、賊の方が蜘蛛の子を散らしたように逃げ散らかすだろうけども。
だがルーナ――これから主従として、パーティーとしてあらゆる敵を排除してゆく相棒となれば、どこまでできるのかを確認しておくいい機会だとソルは判断したのだ。
純粋な戦力的な意味でも、命令であれば躊躇なく人でも殺せるのかという意味においても。
「ここでやってもいいのですか?」
そのルーナも始末することは完全に既定路線になっているようだし、それが不可能だともまるで思っていない。
それどころかここでやってしまって、主の屋敷を汚すことを心配する余裕すらある。
忠実なる従僕であると同時に、人のカタチをしていてもあくまでもその本質は竜。
敵だと認識したが最後、それが獣であろうが魔物であろうが――たとえ人であろうが殺すことに躊躇などあろうはずもない。
「……できれば場所を変えてほしいかな。あと殺意がない者は殺さないってできる?」
屋敷内での死体の処分はさすがに厄介だ。
城塞都市外まではさすがに不可能でも、せめて中庭あたりにしてくれるとありがたい。
「主殿のご命令とあれば」
ルーナの確認にソルが条件を加えて答えた瞬間、命令に従う声と共にさっきの感覚が再現される。
本当にルーナは自分が身動きする程度の感覚で、短距離とはいえ転移を使いこなしているということだ。
しかもそれは味方であるソルだけではなく、敵にも平然と適用できるらしい。
もはやそれだけでとんでもない「攻撃魔法」としても転用できる。
――まあ、あのM.Pの量だったらそれも当然か……
人とは違いその身に魔導器官――世界中に満ちる外在魔力を取り込む器官を備えた魔導生物と、自身の内から生み出される内在魔力しか使えない人との、埋めようのない差をまざまざと見せつけられた気分のソルである。




