第017話 『邪竜ルーンヴェムト・ナクトフェリア』②
――いや冗談ごとじゃないよな。
特に信心深いわけではないソルは今まで深く考えたことはなかったが、やはりこの世界に神――神といわれるだけの絶対の力を持った何者かが、確実に存在しているのだ。
冷静に考えてみればなんらかの『能力』をすべての人間に与えるだとか、実在した全竜を千年もの間封印するだとか、そんなことが自然現象であるはずがない。
というかついさっき自身が体験した『召喚』の儀式も含めて、『プレイヤー』という能力の存在そのものが人為的――いやこの場合は神為的とでもいうべきか――に過ぎる。
まさに神としか言えない存在が意志――しかも悪意に近いものを以ってこの世界を生きる者たちに干渉していることが明確になったとも言えるのだ。
単騎で神に挑むほどの矜持を持っていた全竜の心を、ここまで完璧に圧し折るやり方。
それは神に逆らう者に対しては等しく、容赦なく行使されるだろう。
悍ましいことに『召喚』の際に顕れた5つの手札の中には、神に愛されていたはずの存在が呪われていたものも確かにあったのだから。
失敗して死んで終わり――では済ませてくれない可能性。
それは強く自覚しておくべきだとソルは思う。
当面「すべての迷宮を攻略する」というソルの夢は、なぜか人を守護している神様に逆らうことにはならないはずだ。そうであってくれ。
だがそのための手段を得る段階で、踏んではならぬ尾を踏む可能性はなくもない。
どうやらこの世界には厳然たる禁忌が存在し、しかもそれは詳らかにはされていない。
最悪の場合、「神様の気分次第」という可能性さえないとは言い切れないのだ。
力を隠すとかそういう方向ではなく、別の慎重さが求められていると言ってもいいだろう。
そのあたりの情報をできればルーナから直接聞きたいところだが、今のタイミングで精神的外傷というのも生ぬるい核心に触れるのもさすがにアレだし、その行為自体が地雷である可能性も否定しきれない。
――まあ焦っても、用心しすぎてもなにも始まらないか。
ルーナと新パーティーを組んでガルレージュ近郊の名無し迷宮を攻略すること程度で、いきなり神様が顕現するようなことはまずあるまい。
「というかそろそろ離れてくれない?」
そう判断したソルがとりあえず寝るか、ルーナが空腹だというのなら千年ぶりの食事でも振舞おうかと、まずは二人が自由に動けるようになることを提案する。
「もう少しだけ、このままでは……ダメ?」
だがルーナは潤んだ瞳でソルを見上げて懇願する。
なによりも千年ぶりに自身が確かに存在し、それを最も強く実感できる他者との触れ合いに執着しているルーナとしては、もう少しこのままでいたいらしい。
まあルーナが一番したいことをさせてやるべきかとソルが嘆息し、了承の意志を示すように天を仰ぐ。
それを見たルーナがとびっきりの笑顔を浮かべ、ふがふが言いながらソルの胸に己の顔を埋めなおした。
――なにやってんだかなあ……
今の様子をリィンが見ていれば全力で同意するであろうソルの自嘲に被せるようにして、硝子が砕け木材が圧し折られる巨大な不協和音が頭上に響いた。
「ぎゃああ――ンぐ」
「しー」
千年を無音の空間で吊るされていたルーナには刺激が強すぎたらしい。
最凶の神敵として伝え語られる存在としては少々以上に情けなさすぎる叫びをあげつつ、文字通りソルの膝の上で飛び上がった。
なんなら口から魂が抜けそうな驚きぶりで、大きな瞳には涙まで滲んでいる。
一方ソルはこれをある程度予測していたものか、落ち着いてルーナの口を塞いで絶叫を止め、自らの人差し指を口に当てて静かにするように諭している。
「普通に話す分には大丈夫……わかった?」
落ち着いた口調でソルがそう告げると、涙目になったルーナがこくこくと何度も頷く。
もちろん音にも驚いたが、人化など初めてしたルーナにとっては顔、それも頬と唇周りに触れられる感覚が新鮮過ぎて、理由もわからぬまま顔に血が集まってくらくらしている。
意図が伝わったと判断したソルが口を塞いでいた手をどけてくれたと同時、深く息を吸って呼吸と動悸を落ち着けている。
命の危機に晒されたわけでもないのに、なぜ自分がこれだけ動揺しているのか理解できないルーナである。
自覚なくソルの手が触れていた口唇を自らの舌で舐めると、いったん落ち着いたはずの呼吸と動悸が再び荒くなりそうになるのも解せない。
尻尾がぴこぴこと自分でもよくわからない動きをしてしまうのが、なぜか猛烈に恥ずかしい。
主と従僕という以前に、己をまるでか弱い者のように扱われることなど初めてなのだ。
なぜそうされることで己がこうなってしまうかなど、まだ皆目わかっていないのだが。
だがなんとか平静を装うことには成功するルーナ。
「……なにごとですか?」
視線を頭上に向けたまま、やれやれ顔のソルにおずおずと尋ねる。
いろんな意味でびっくりしていることも確かだが、自分があの地獄から救い出してもらった理由を思い出したのだ。
主の忠実なる従僕として、その敵悉くを排撃する。
それは主の夢や命令以前の、従僕として遂行するべき当然の義務だ。
義務を果たさぬ従僕など、あそこから解放してもらっているという権利を失っても誰に文句を言うことも出来まい。
ルーナにしてみれば、なにを差し置いてもそれだけは避けなければならない。
主に縋りついてくんかくんかしたり、触れられた部分を舐め取って興奮している場合ではないのだ。
「たぶん強盗だね。情報はやいなあ……まあ金目のものを盗ったら帰っていくと思うよ」
ルーナの内心には気付かず、ソルが状況を冷静に分析した結果を伝える。
だがソルとしては「おそらくある」とは思っていたものの、自身の予想とは少々違った展開である事もまた事実である。
『黒虎』が解散したことだけを知り、冒険者ギルドの宣言を知らない相手。
それはあの場にいた冒険者たちの誰かであれば簡単に用意できる。
スラムあたりのならず者に意図的に冒険者ギルドの宣言だけを除いて伝えれば、アホな連中であれば金目当てで盗みに入ることくらいは画策するであろうとの予測は充分につく。
だがその場合は、静かに忍び込んでくるものだと想定していた。
いかにソルが弱いとはいえ、それは冒険者を基準とした場合の話だ。
スラムのならず者程度が多少徒党を組んだところで、どうにかできる相手ではない。
文字通り身体レベルが違うのだ、武装しているかどうかなどまるで関係がない。
冒険者とはそういう存在なのだ。
だがこれだけ派手な音を出して押し入ってくるとなれば、賊は間違いなく同格の存在――冒険者崩れだということになる。
それが徒党を組んでいる――ソルの視界には8つの赤い光点が浮かんでいる――となればまずソルでは勝てない。
賊たちもそう確信しているからこそ、忍び込むのではなく押し入るという手段を取ったのだろうし。
もちろんこの隠し部屋にかけられている魔法障壁を突破することなどできはしまいが、ソルが間抜けにも寝室ですやすや寝ていたとしたら怪我で済めば僥倖、事と次第によっては殺されることも充分あり得た状況とも言える。
事と次第――賊たち自身か、唆した者にソルを殺したいだけの理由がある場合。
唆した者がマークやアランだったら流石にへこむなあと思うソルだが、除名を口にした時に浮かべていた「ソルに死んでほしくはない」という表情は本物だと信じたい。
人気受付嬢に相手にされていないアホな冒険者が、「ソル君がその次になってよ」という台詞に激高したあたりだと思いたいところだ。
「敵ですか?」
「まあ敵だね」
「倒さないのですか?」
「僕とルーナの2人で? 無理でしょ」
だが敵かどうかを確認した瞬間から、ルーナの様子が一変している。
儚げで庇護欲を掻き立てられぬ者などいないであろう空気は霧散し、見た目は一切変化していないのにもかかわらず、魔物との実戦をよく知っているソルでさえ「剣呑」だと感じる空気がその小さな躰から立ち上っている。
だがどう見ても華奢な美少女に過ぎないルーナと冒険者としては最弱級の自分のコンビでは、低位とはいえおそらくは元冒険者8人に勝つ術など今はまだない。そのはずだ。
だからこそソルは、そんなことは無理だろうと口にしたのだが――
「勇者級の気配は感じられぬが……なるほど、気配を消しているということか」
それを聞いたルーナが真剣な表情でとんでもないことを口走る。
どうやらルーナは自身の感覚だけで、地上の賊たちをソルと変わらぬ、いやそれ以上の精度で掌握している様子でもある。
勇者級とやらの戦闘力がどれほどのものかソルには知る術もない。
だが少なくとも『勇者救世譚』に記されているような雲を割ったり、海を割ったり、山を割ったり――なんか空海地全部割ってんな……いや神獣や邪竜も割ってたっけ――そんな人間離れした所業をやらかす冒険者崩れなどいるはずもない。
――ルーナの時代には普通にいたのかな?
とはいえたとえいたとしても、そんなのが突然ソルに襲い掛かってくる事の方があり得ないのだが。




