第016話 『邪竜ルーンヴェムト・ナクトフェリア』①
邪竜ルーンヴェムト・ナクトフェリア。
12歳になる年の元日に魔物と戦える能力を授かることを夢見る子供たちが、何度も繰り返して神父様に語り聞かせてくれることをせがむほど人気の御伽噺。
『勇者救世譚』
その主人公――神に選ばれた有史以来一度しかこの世に顕れたことのない『勇者』が、最後の敵として対峙し打ち倒したいわゆるラスボスだ。
天空に浮かぶ城の如き巨躯。
天候さえ変えうる竜語魔法と、万の軍勢すら焼き払う息吹。
剣も矢も、魔法までをも通さぬ強固な鱗。
人も獣も魔物も一切合切の区別なく、等しくただの獲物として引き裂き喰らう爪と牙。
けして人の手には負えぬモノ。
その象徴として語られる、人の世に終焉を招くその具現。
大魔導時代を謳歌していた5つの巨大魔導都市その悉くを滅ぼし、かつて天上まで届いていたといわれる『塔』をも砕いた神の敵。
それを倒したからこそ勇者は勇者として讃えられ、歴史に刻まれた。
救世主の誕生にはある意味必須な存在である、人の世界を滅ぼさんとする忌むべき怪物。
だがソルは勇者様よりも、神と人の敵たる怪物の方に心惹かれた。
神には何者であっても絶対に勝てはしない。
だからこそ神なのだ。
人を遥かに超える知能を持つと言われる竜が、それを理解できないわけもない。
にもかかわらず、邪竜ルーンヴェムト・ナクトフェリアは神に挑んだ。
それも竜族すべてを率いてというわけでもなく、己単騎で。
自らを神の像だと嘯き、事実神から与えられたあらゆる『能力』を以って人こそが世界に覇を唱えていたと言われる古の大魔導時代。
それをよしとせず挑み、人に――神に選ばれた勇者に敗れ去った邪なる竜。
初めから勝てぬと知りつつ、それでも挑んだのだ。
その愚かさにこそ、ソルは強く惹かれた。
己自身も人の身には過ぎた望み――「すべての迷宮を攻略する」という夢を持ってしまったがゆえに。
『勇者救世譚』は神と神の力を与えられた勇者が、人の世界を救う物語。
古の時代には人と伍する勢力を持っていた、亜人族、獣人族、魔族、そして竜族。
その悉くが今は消滅、弱体化、あるいは人に支配されている。
知恵ある存在の支配者として君臨している人ではあるが、今では自らも大魔導時代の力を失い、知恵なき魔物たちに世界の大部分を占有されているというのも皮肉な話だ。
ソルとしてはそんなかつての神敵を己が従僕とし、神が顕現しない今の世界を魔物の支配から取り戻す――すべての迷宮を攻略することにこの上ない高揚を覚えていた。
――のだが。
「詐欺に近くない?」
「すまぬ主殿。今の我は分身体に過ぎず、その力は真躰の0.1%程度しか無いのだ」
「うん、なんとなくそうなんだろうなとは思った」
椅子に座したソルと正面から向き合い、その胸に顔を埋めて縋りついている少女。
それがどうやら邪竜こと全竜ルーンヴェムト・ナクトフェリア、真名ルーナの今の姿――本竜曰く、分身体とのことらしい。
その分身体とはどういうものかもよく知らないソルだが、抱き付かれている立場としては実体がある――受肉していることは間違いないと確信できる。
霊体や幻影というものではけしてありえない、生き物感が半端ないからだ。
だがその姿を一目見れば、普通の人ではないことは誰にでもわかる。
人でいえば12歳前後の華奢な体躯。
艶やかな褐色の肌と輝くような金髪、前髪に隠れて左しか見えていない灼眼。
あまりにも整ったその顔は、相応の幼さから本来感じられる可愛らしさよりも、女性としての美しさの方をより強く見る者に印象付けるほどのものだ。
それだけであれば南方の王族だといわれても、信じる者の方が多いだろう。
だが右側にしか生えていないとはいえ整った容姿とは不釣り合いな巨大な角と、己の身長ほどもありそうな立派な尻尾が、ルーナがただの美しい少女ではないことを雄弁に物語っている。
その異形は人の知るどのような亜人族にも獣人族にも、魔族にでさえ合致しない。
それもそのはず、歴史にも残されていない竜が人化した際の特徴がまさにそれだからだ。
とはいえ言ってしまえば「異形の美少女」でしかないその存在が、『勇者救世譚』に記されている神と人の敵、大厄災、終焉を招く者――すなわち邪竜ルーンヴェムト・ナクトフェリアだと言われても「うそでしょ……」としか言えまい。
申し訳なさそうな表情を浮かべながらも、千年ぶりに他者と触れ合えている喜びをぶんぶん振られている尻尾が表しているとなればなおのことだ。
本竜も正直に申告している通り、とてもではないが強いようには見えない。
全力で抱き付いて来ているにもかかわらず、ソルが感じているのは弱々しさというか、儚さというか、まさに幼い少女に抱き着かれているのだという感覚しかない。
「でも鍛えれば強くなれるとは思うのだ」
「確かにまあ、いきなり全盛時の邪竜様を従僕にできるとか無茶苦茶だもんなあ」
「主殿は我をあの地獄から救ってくれたというのに、不甲斐ない身ですまぬ」
ソルが呆れた気配を感じたものか、怯えたような表情で見上げてくる不安げなルーナは正直可愛らしい。
ソルはそういう趣味はないので妙な刺激を得ることはないが、その手のヒトにとっては致死級の破壊力を伴っているだろうなあとも思う。
どうあれ人では至ることのできない迷宮の深淵へと導いてくれる最強の従僕などではなく、自分が弱い自覚があるソルですら庇護欲を掻き立てられるような可憐さだ。
つい先刻――主と従僕としての契約時からすれば、思わず詐欺ではと言いたくなるのもむべなるかな。
とはいえ本体――ルーナ曰く真躰はいまだあのどことも知れぬ場所で、無数の鎖に縛られたままなのだろう。
たった一本の鎖が解かれた程度では、今目の前のルーナの姿になれるくらいが関の山だというのは理解できなくもない。
それに片目片角、両翼を失ったままでは、たとえ真躰であったとしても全盛時には遠く及ばないのだろうし。
だが弱体化していることは当然だと納得できたとしても――
「というかその姿といい、声といい、神様の趣味もわっかんないなあ……」
本体も含めて弱体化しているとはいえ邪竜――ルーナ曰く全竜の分身体なのだ。
ルーナ自身もそう申告しているとおり、きちんと鍛えれば人などよりはよほど強くなってくれるに違いない。そのはずだ。そうであってくれ。そうだったらいいなあ……などと現実逃避をしそうになるソルである。
まあちょっと覚悟はしておこう。
ともかく確かに『プレイヤー』を守護する忠実なる従僕というのであれば、巨竜としての真躰ではなくヒトガタの分身体である必要はあるのだろう。
それでも強者であるはずのその姿を、今ソルが見聞きしているようなものにした神様の意図がわからなくて思わず独り言ちるソルである。
「いやこの姿は、我が、その……」
「え、なんで?」
「人間にはこのようなのが好まれると思ったのだが……違いましたか?」
「どういう情報に基づいてそういう判断をしたのかには興味あるなあ……」
だが恥じ入りつつ消えそうな声で返ってきたルーナの答えに、ソルは天を仰ぐ。
泣く子も黙る――稀にもっと泣く――邪竜ルーンヴェムト・ナクトフェリアともあろう怪物が、人に好まれる姿と声を千年の間に模索していたと思うと可笑しいやら哀れやら、どういう顔をしていいのかわからなくなったからだ。
 




