第105話 『神獣アヴリール』①
神獣アヴリール。
獣人種たちが崇める実在する神。
千の種を超えるすべての獣を従え、人に穢された獣――獣人であっても分け隔てなく守護を与えてくれる、慈悲深きヒトガタならざる神。
しなやかな巨躯は滑らかな漆黒の短毛に包まれており、僅かな光でも反射して輝くその美しさは、磨き上げられた最上級の黒曜石にも勝る。
明るさによってその形をころころと変える黄金と漆黒の瞳は、神々しき凛々しさと無垢なる可愛らしさを併せ持ち、見る者すべてを魅了する。
複数の尻尾は神獣が生きた時間に応じて増えると言われており、それぞれが強大な権能を宿していると伝えられている。
猫。
それもとてつもなく巨大で、九尾を持った神性存在。
この世界に種としては存在せず唯一個体しかいなかったとしても、お猫様はその姿形と本能に従った仕草だけで人を隷属せしめるのだ。
ゆえにこそ神なる獣――神獣と呼称される。
ちなみにもう一体存在した別の神獣の情報はすでに失伝しているが、己が真躰を無数に分けて種と成さしめ、人と共に生きることを遥かな過去に選択している。
その一部は人と共にある事を捨て、野の獣や魔物の素体ともなっているのだが、多くは今も種を違えた人の友――犬として共に生きている。
だがその『神獣』も、千年前に『勇者』の手によって殺されている。
封印や囚らえるでは済まされず、殺されてしまった理由まではわからない。
殺しきることが可能だったからそうしたのか、あるいは殺さねばならないなんらかの理由があったのか。
『勇者救世譚』は神獣アヴリールについてはなにも伝えていない。
だがどちらにせよ怪物の一体である神獣を、勇者とはいえ人が殺しきることなどできていなかったらしい。
その証拠はまさに今、ソルとリィンの目の前にちょこんと存在している。
『逢引の邪魔をしてしまい、誠に申し訳ない……』
頭に直接響くその声は心の底から申し訳なそうであるにもかかわらず、その意志を宿す猫の小躯はわりと自由に机の上で毛繕いをしている。
どうも意志と肉体支配のバランスが取れていないようで、人以上の知能と意思を宿しつつも、その行動は猫としての本能を優先してしまうらしい。
「それはいいんだけど……その話し方はなんなの?」
『妙でしょうか? 自分ではわかりませぬが、意識が戻ってからは自然にこうですな』
ソルの問いかけに対する答えからして、自身の話し方の独特さに自覚はないとみえる。
やはりいろいろな部分を小動物であることに引っ張られているのだ。
主に知能面で。
「意識が戻ってから?」
『はい。某は御身が『妖精王アイナノア・ラ・アヴァリル』を解放してくださるまで、はっきりとした意識を持てていなかったのです』
どうやらそれまでは、ただの猫として暮らしていたということらしい。
「なるほど。ってことはその口調は飼い主のものかもね」
もっともこの世界に猫は存在しない。
『神獣アヴリール』のみが唯一個体として存在するのみだ。
つまりまず間違いなくかなり貴重な愛玩動物として、それなりの経済力を有した家で大切に大切に飼われていたと見ていいだろう。
ふっくらとした体躯や艶やかな毛艶からしてもそれはまず間違いない。
いかに『神獣』サマとはいえ、野良でこの健康的かつ清潔な状態を保つことは難しいはずだ。
本来の姿で、自身が支配する領域で暮らしているのであればいざ知らず。
そればかりか約千年前から『神獣』の分身体として存在し続けていたというのであれば、それこそ王家や大貴族の守り神、もしくは特殊信仰の御神体として祭り上げられていたとしても不思議ではない。
もしも本当にそうだった場合、それに家出されているカタチとなっている現時点で相当な騒ぎになっていることだろう。
その辺については後でフレデリカに確認しようと思っているソルである。
『某は誰ぞの愛玩動物であったというわけですか。そのわりにはその記憶もありませんし、意識が戻ったときにはすでにこの街におりましたが……』
「今は神獣アヴリールとしての意識も記憶もあるんだ」
『はい。完全ではありませぬゆえ我が神獣であることの証明はできませぬが……』
だが神獣様としては、どういう形であれ人ごときの愛玩動物として飼われていたという推測は御不満らしい。
おそらくそれは事実なのだが。
いわば半覚醒したことによって、『神獣』としての自覚も記憶もある程度あるのであればそれも仕方のないこととも思う反面、今ソルとリィンに見せている愛嬌たっぷりの仕草を見ている限りにおいてはまさに愛玩動物にしか見えなくて笑ってしまう。
リィンなど、早くも骨抜きになっているといっても過言ではない。
これでいてご機嫌が悪いと、まったく人の相手などしないという二面性を持ち合わせているところが悪女めいて人を誑かすのだが、まだその側面はみせないようである。
「いや、小動物が話をしているって時点で充分だよ」
『さようですか。某の記憶では、人語を解する獣――魔獣もそう珍しいものではなかったはずなのですが』
「へー」
この時代に生きる人間としては、人語を解する獣の存在などしらない。
魔物は本能に従って生きているだけであり、領域主級であっても会話などはできない。
人語を解するのは文字通り人型をした生き物たちだけであって、唯一の例外が上位種たる『全竜』だけである。
リィンが無条件に可愛いと感じている神獣サマをソルがどこか不気味に感じるのは、まさに人語を解し会話を交わせる小動物という歪さ故なのだが、どうやら千年前にはそれを当然としていた「魔獣」と呼ばれる存在がいたらしい。
なかなかに興味深い情報ではあるし、フレデリカが知ったら神獣サマはしばらく質問攻めにされることになるだろう。
「でもこの念話? を送る相手は選んだ方がいいんじゃないかな?」
「それは確かに」
『御身とその御味方だけに致します』
リィンの意見はもっともなので、その点においてはお互いに合意を得ておく。
ソル一党だと看做されれば、「なんでもあり」の範疇で済まされそうでもあるが、余計な混乱を招かぬようにしておくことにしくはないのだ。




