第101話 『支配者』②
「……さすがにこれはやりすぎだと思うんだ」
天気もいいので、のんびり王城から中央街まで歩いてきたソルはあきれ果てている。
「う、うん……でもフレデリカ様もまだ加減がわからないんだと思うよ?」
それは機嫌よくソルの左腕を確保したままのリィンも同じらしい。
なんとなればまだ昼下がりの時間帯にもかかわらず、中央街の大通りにはソルとリィン以外の人影を確認することができないからである。
確かに今日は休日ではない。
だがここは四大強国の筆頭に相応しい国力を有しており、ソルの街が出来上がるまでは人類社会の中心と言ってもまったく大げさではないエメリア王国の王都なのだ。
その中央街に、まるで人影がないことなどさすがにありえない。
田舎から出てきた者が言うとされる、「今日はお祭りかなにかがあるのか」というお約束が大げさではないほどの人出は常にある。
それが人っ子一人いないのだ。
その理由はリィンが推察したとおり、フレデリカ主導の「御前会議」による徹底した外出制限。
ソルがリィンと王都でデートをすると発言してからのわずかな時間に、兵たちが総出でふれを出して回った結果だ。
思えばセフィラスがソルに流行の服を取り寄せて時間を稼いだのも、フレデリカやジュリアがやたらリィンのコーディネートに拘っていたのも、街をこうするための時間を稼いでいたのだろう。
それでも本来であればこんな短時間で可能な所業ではない。
だがソルという絶対者をすでによく知る王都の住民たちは、誰のための外出制限なのかを血相を変えた兵士たちから告げられ、一も二もなくすっ飛んで自分の家や宿に戻ったのだ。
それはソルという個人が怖いという意味ではない。
エメリアという国家がソルという絶対者の為であれば、無理なからなぬ理由もなく反発する一住民をどう扱うかなど、よほどの阿呆でもなければ想像ができるからこそ怖いのだ。
だが流石にこれはソルの言うとおり、やりすぎではあるだろう。
フレデリカもソルの神格化をどこまで徹底すべきかの線引きが、未だに定まってはいないのだ。
「おちおちデートも出来やしない」
「お忍びの技術を磨かねばなりませんねー」
「ロス村出身の僕たちが?」
「わたくしめはまあそうですが、今やソル様はこの世界の支配者であらせられるからには」
「やーめろー」
「はーい」
ため息をついて天を仰ぐソルと、くだらない会話をできることがリィンには楽しい。
それにやりすぎなのは確かだが、この状況を得難い――面白いと感じているのはソルもリィンも本音のところではあるのだ。
3年間の王立学院時代をこの王都で過ごした二人には、今のこの光景がどれだけ異常なものなのかをよく理解できている。
休日はもちろんのこと、平日であってもこの中央街で一度はぐれれば再度合流できるかどうかは運に頼るか、そうなった時の再集合場所を決めておくという周到さがなければまず不可能という域だったのだ。
それを二人占めというのはちょっと得難い体験だろう。
事実エメリア王国の歴代の王でさえ、こんな風景を目にしたことはないし、その中を自由にぶらついて回るなどという贅沢をしたことなどない。
恐ろしいことにあらゆる店舗は通常通り営業されており、ソルとリィンがどの店を選んでも問題のないように、これ以上なく緊張しながらも店員たちが待ち構えている状況だ。
たとえソルとリィンが来店しなくとも、平均的な一日の売り上げを遥かに超える報酬を約束されているからにはサービス業に携わる者たちは仕事に徹する。
相手が絶対者であろうが神であろうが、適正な対価を支払ってサービスを求める相手には十全以上に応えてこその商売人なのだという矜持を、多くの者が持っているのだ。
でなければ王都の中央街で店を構えることなどできはしないのである。
ソルとリィンは確かに呆れながらも、この得難い経験を楽しむことに決めた。
元々ソルがすべての魔物支配領域の開放とすべての迷宮の攻略を夢見たのも、この世でまだ誰も見たことがない光景を自分の目で見てみたいという欲望も理由のひとつなのだ。
そういう意味ではこの王都の光景も、ソルの嗜好性には合致していると言えるだろう。
「まあ今後こういう扱いを徹底されることについて、リィンと話をしたかったんだよ」
「どうして私と?」
当たり前のように営業しているいくつもの店を気楽に見て回りながら、ソルがリィンに今日のデートの本題を振る。
リィンとしてはソルが言っていることは理解できるが、その相手が自分だということがいまいちピンとこない。
そういう内容であればフレデリカが一番適任だと思ってしまう。
それにもしもソルが人間の常識にとらわれない考え方を求めるのであれば、異種族であるルーナが最適だと思うからだ。
あの見た目と非戦闘時の様子でみな忘れがちだが、ルーナの正体は戦闘時に呼び出す魔創義躰の姿どおりの『全竜』であり、数千年の時を生きた人間など足元にも及ばない賢者でもあるのだ。
――ルーナちゃんとか呼んでいい存在じゃないですよね、ホントは。
リィンは何度もそう自戒してはいるのだが、ソルにじゃれつき、自分にも気を許している様子を見ていると、どうしても『個にして竜種そのものでもある全竜ルーンヴェムト・ナクトフェリア』というよりは、『可愛いルーナちゃん』として扱ってしまうのだ。
それをその全竜に許されているからこその、序列1位な訳ではあるのだが。
「もはやリィンとジュリアの二人だけだからね、素の僕を知っているのは」
――あー、そういうことですか。
「あとはスティーヴさんくらい?」
「まあそうか」
だがソルにそう言われれば、自分が相談相手になる事にもまあ納得できなくもないリィンである。
ジュリアは人妻になる直前の身であるし、ソルとしてはきちんと距離を置きたいのだろう。
マークとアランはもうこの世にはいない。
その事実を思うと、ソルはもとよりそれほど動揺していない自分も少し恐ろしくもあるリィンなのだ。
思っていたよりも自分は冷たく、実際的な人間だったのだろう。
それもまたソルの影響かも知れないと思うと、恐怖よりも喜びが勝つのでもはやどうしようもない。
「ってことは、男同士じゃできないお話ってコトですねー」
「御明察」
冒険者デビュー時からの付き合いであるスティーヴは、ある意味においては誰よりもソルが信頼を置いている相手だとリィンは見なしている。
だがあえてスティーヴではなく、リィンを相談相手に選ぶということはつまりそういうことなのだ。
「正直どう思う?」
「ソル君はどう思っているの?」
リィンは恋する乙女であり、わりとバカになっている部分が多いことを自覚してはいるが、愚か者ではない。
先の「御前会議」の流れからこのデートに繋がったということも鑑みれば、今ソルが問うているのは最後にフレデリカが口にした、後宮というとんでも機関についてだということくらいは理解できる。
国名のことだったら、ちょっと笑ってしまうかもしれないリィンである。
「……興味はなくもない」
「……それは知ってるかな」
年頃の男の子としてはわりと正直なソルのその回答に、思わずリィンは笑ってしまった。
全く無理をしていないなどとお姉さんぶるつもりはないとはいえ、拙い自分のアプローチに対するソルのリアクションをよく知っているリィンなのだ。
もしも「興味なんてないね」という態度を取られたら、別の意味で笑ってしまうかもしれない。
ソルにしてみても、今更リィンに対してそんな欺瞞が通用するとは思っていないのだ。
今日も含めて今まで、何度リィンに赤面させられたのだという話でもある。
それに本来は女の子に相談するようなことじゃないよなという自覚もある。
それでも本音のところを聞いてもらって忌憚のない返事をもらうためには、少々みっともなかろうが正直なところを開示しておく必要はあるのだ。
要らんカッコつけやポーズだけではなく、本当に自分が違和感を感じていることもわかってもらうためには。
「だけど正直ピンとこないんだよ。すべての国から後宮に迎え入れるって、僕は毎晩各国の美女巡りするの?」
「あらためて聞くとすごいよね」
「だよな」
それはもはや「好き」とか「嫌い」とかの次元を超越している。
どれだけ美しい女性が揃っていたとしても、それはもう仕事だとしか思えない。
そこに当たり前のようにリィンやフレデリカが含まれるのも、どうしてだか嫌だと感じてしまうのだ。
かといってリィンとフレデリカを除いての後宮など成立するはずもない。
自分自身でも、もしもこんなことをマークやアランが言っていたとしたら「おもてになる人の悩みの次元は違いますなあ」などと、嫌味のひとつも言うであろうこともわかってはいるのだ。
「それに、基本的に毎日迷宮には潜りたいからね……」
これはソルにとって建前ではなく本音のところだ。
それを最優先するからこそ後宮を含めたあらゆる面倒ごとを容認しようとしているのに、毎夜後宮で励むことでそっちが疎かになってしまっては本末転倒も甚だしい。
マークやアランの実例を当てはめればやってやれないこともないのだろうが、わりと自分自身を信用しきれていないソルなのである。
今は後宮に狂っている自分を想像すると本気でぞっとするが、スティーヴなども「まあ覚えたてはなあ……」などと苦み走った表情で語るあたりが恐ろしい。
似非でも君子を気取って、危うきには近寄らない方がいいんじゃないだろうかと思ってしまうのだ。
そう焦ることはないし、万が一そうなるのであればせめてそれは後宮や娼館でではなく、自分が好きになった相手でありたいとも思う。
「ソル君、一つ聞いてもいい?」
「いいよ」
「最近……なにか焦ってる?」
「……やっぱりバレてるか」
だがソルのその発言に対して、リィンは本来の話題とは違う部分に反応を見せた。
最近は解放パーティーに参加していないフレデリカでさえそう判断しているのだ、共にエメリア王国中の魔物支配領域を片っ端から解放して回っていたリィンであればなおのことだろう。
ソル自身も、隠しきれていたとは思っていない。
自分では完璧に隠していたつもりの「プレイヤー」についても、ほぼ正確に見抜いていたのがリィンとジュリアの二人だったのだ。
常に一緒にいる近しい女性に対して、隠し事はできないものだという前提に立っておいた方が生き易いのだと、ソルはもう割り切っている。
ゆえにまずはその疑問に答えるべきだとソルは判断し、リィンと共に手近な喫茶店へ一度腰を落ち着けることにした。




