元王国2 国教変更
大変更新が遅くなり申し訳ありません。
新たな帝王が、絶対的な王が移動する。
その事を察した王城中の人間が王を迎える為に整列した。
命令された訳では無い。
しかし、決して不機嫌にさせてはならないと、髄まで短時間で調教された彼等は、王侯貴族、騎士文官使用人関係なく、王を迎える準備をした。
屈辱や恐怖の涙を拭う暇も許されない。
慌てて最高位の礼服を引っ張り出し、楽器や花束を携え駆けつける。
王の機嫌一つで自分達の命運が決まる。
と言うよりも、奴隷にしようとした自分達を、王が許す訳が無い。
最大限のご機嫌取りをこちらから仕掛けなければ即破滅。
駆けつけた者達は、呼吸が止まりそうになる緊張感と恐怖の中、王を待った。
そして王が現れた。
王の姿を見て呼吸の次は、心臓が止まりそうになった。
処刑される錯覚をはっきりと幻視したからだ。
王の顔は険しかった。
それは自分達への怒りの表れ。
自分達の死の前兆。
しかしあまりの恐怖にご機嫌取りする事も出来ない。
恐怖で自然と溢れた、もしくは屈した時から流れていた涙を隠す為、頭を深く下げる事で王を迎えるしか無かった。
王の背中が遠くなると、挽回する為に急いで広間へ先回りする。
休む暇などない。後悔する時間も考える時間も今は死に直結するリスク。
王を迎えると言う行動を起こすしか救いは無い。
そして先回りした先で楽器を演奏し再び王を出迎える。
曲は国王の登場時、建国記念日の演説でしか流れない最高位の儀礼曲【栄光のブルゼニア】。
誰も一言も発さなかったが、曲は示し合わせるまでも無く一致し、目の合図だけで一斉に演奏を開始した。
それは火事場の馬鹿力の音楽版とでも言うべき、ここ数十年でも最高と呼べる演奏だった。
曲名通りブルゼニアの栄光を幻視させる程のものだった。
しかし現れた王の顔は一層険しいものであった。
まるで相討ち覚悟で挑む決死の戦士のような壮絶な顔。
彼らは一様に悟った。
もはや助かる望みは無い。
王の怒りはそれだけのものであったと。
だが、だからと言って恐怖で演奏を止める訳にはいかない。
このままでは、死は死でも口に出すのも悍ましい残酷な死が待っている。
それに例え限りなくゼロでもゼロでは無い僅かな希望に賭けて、彼らは演奏を続けた。
広く長い広間の行進により二曲目に突入したその曲が戦場で散った戦士に捧げる曲、【ブルゼニアの英霊よ】になってしまうが、演奏自体はこれまた見事なものだった。
王は曲が英霊に捧げるものである事に気付いていない。演奏している臣下達もその事は意識から抜けていた。
しかしそれでも王の顔は険しくなるばかり。
臣下達の絶望も深くなる一方。
失態が一つ減っても、殆ど意味を成さなかった。
それでも臣下達は演奏を止めない。
止めることなど出来よう筈もない。
万が一の奇跡を祈って全力で歓待する。
だが王から険しさが消える事は無かった。
演奏にも一切耳を傾けていない様子で、歩み続ける。
それもまるで戦場へ向かうが如く、道を塞ぐ者を決して許さない気迫で歩みを止めない。
引き留めようものならば確実に轢き潰される。
絶望が迫っていても、臣下達は音を奏でる事しか出来なかった。
誰にも王は止められない。
そのまま王は臣下達の前を通り過ぎる。
結局誰にも、王を宥める事は出来なかった。
王の顔を直視出来た者ですら極少数。見れた者も王の顔を険しさのあまり、恐怖で気絶してしまわないよう耐えねばならなかった有様だ。
誰もが自らの運命は、変えられないと確信した。
因果応報、ただ当然の摂理なのだともはや恐怖よりも達観の域に達し始めた。
しかし離宮を出て、王の雰囲気は格段に変わる。
まるで何かを悟ったかのように、解放されたかのように何ものにも囚われない自由で確かな様子で、憧れに出会ったかのような喜びも内包したかのような険しい雰囲気から予想も出来ない雰囲気に変わった。
そして思いも依らぬ事を口にする。
「“国教を“流水教”にする”」
「「「ぎょ、御意」」」
臣下達は短時間の間に反射的に王の命令を受け入れる習性を、考える前に受け入れる姿勢を獲得していたが、あまりに突然の事に咄嗟の反応が出来なかった。
流水教、それはトイレに関する信仰をする事から、信者数は決して多くないが特異性から世界的に知られた宗教。
あまりに特殊な信仰から迫害される事も無い、宗教として扱われる事すらも少ない特殊信仰。
それを王は突然国教にすると言う。
全く訳が分からなかった。
何故そうするに到ったか、途中経過が全くの謎。
ただ怨むべき我々への嫌がらせかとも思うが、それで険しい雰囲気まで無くなるどころか反転するかと臣下達は考えを即座に切り捨てた。
だが幾ら謎でも、この国に王へ逆らう力など欠片も無い。
国家全てが王のもの、王の一部だ。
解けぬ謎など解こうとするだけ労力の無駄、ただ王に従うのみ。
それこそが唯一の希望。
有り得ない国教変更ではあるが、反発など欠片も浮かばない。
寧ろこの場では、誰もが王の険しさが消えたと感謝すらした。
こうして今日、五百年近い歴史を持つ神聖ブルゼニア王国の王朝は幕を閉じ王は交代、国の在り方を決める国教すらもトイレを奉じるものへと変更されたのだった。
次話からは視点を毎回変える方式から変更したいと思います。