Point5-0「魔界十三魔将」
紅の月が地上を血のように照らしている。下級悪魔たちの慟哭が魔界の空を飛び交う中、魔界の中心地には殺伐とした空気が漂っていた。
黒い大地に聳え立つ、魔界を象徴する宮殿が九つの尖塔を空へと伸ばし、無数の瓦礫が宮殿を取り囲んでいる。その尖塔の一つに、少年の姿をした悪魔が一人。その長い金髪を揺らしながら回廊を進んでいた。
少年の容姿をした悪魔は、その紅の双眸を細め、深刻そうに表情を歪めている。纏った黒と紅を基調とした礼服の胸には、「三重の円に孔雀」の紋章が金糸で縫い込まれていた。幼い外見と反して、周囲の悪魔は少年を一目見ただけで道を開けて平伏する。少年は自分にかしずく悪魔たちには目もくれず、外尖塔の中央――会議室へと足を踏み入れた。
「十三魔将『傲慢』の最高位――レオさま、ご入場です」
脇に控えた悪魔たちが来訪を告げる。
少年――レオは自分よりも先に会議室に集まっていた面々の顔を見て、僅かに目を見張った。
会議室には六人の悪魔たちが思い思いの場所でくつろいでいる。虚空に浮いた鏡の数は四つ。魔王の命令で現場を離れられない者、あるいはそもそも招集に対して現場へ駆けつけることが面倒な者などが、遠隔地からこの場の状況を知るための魔法装置である。
やはり、『色欲』の最高位が没したという報せは彼らの興味を引いたのだろう。
招集に応じて参上した人数としては、過去二番目の多さだった。
「これはこれは『傲慢』の。お久しぶりですね」
険しい表情で入ってきたレオに声をかけてきたのは、短い白髪に青い肌を持つ細身の男だった。顔の左半分を仮面で隠し、常ににこにこと笑う右半顔がレオを見据えている。
「ああ……『汚染』の。六百年ほどぶりか? 息災な様子で何より」
レオは「汚染」の最高位に笑みを向けた。纏った黒衣には血の臭いが染みついている。おおかた、ここへ来る直前まで「研究」に没頭していたのだろう。この悪魔が己の研究施設から出てくることも珍しいことだった。
「最古参の最高位が死んだ、なんて報せを耳にしたら好奇心を刺激されるのは当然です」
「汚染」はレオが質問しないうちから、こちらの真意を突いてくる。レオは「汚染」の察しの良さをひどく好ましく思う。
「ふん! まったく、本当にみっともない話だよ!」
笑顔で告げた「汚染」に同意するように、「憤怒」が声を上げた。透けた全身を真っ赤に染めて、心底から不快だと言わんばかりに「憤怒」が喚いた。
「いつもは威張り散らして大口叩いていたくせに、ニンゲン相手にあっさり倒されるなんてね……呆れて物も言えないよ。魔界における十三魔将の顔に泥を塗ってくれた落とし前はどうつけるつもりなのさ!」
顔に目や口、耳すらない「憤怒」はその外見にそぐわず、実に感情豊かに全身の濃淡を変化させていた。長身にすらりと長い手足を黒い魔竜の鱗で作った鎧で包んでいる彼女は、根っからの武闘派だ。大軍による圧倒的武力差で相手を屈服させることを好む「色欲」とは違い、「憤怒」は強者との一対一の勝負を好む。二人は顔を合わせる度によく衝突していたものだ。
「むしろ俺は、そのニンゲンの方に興味がある」
また別の悪魔が口を挟んだ。褐色の肌に、顔に三つの目を持つ悪魔――「虚偽」は唇の端を弓なりにしならせて、楽しそうに笑っている。
「だからお前さんもこうして顔を見せに来たんだろ? 『虐殺』の最高位。お前さんは昔からこういう場所には興味ないって絶対に顔を出さなかったもんな」
「……」
全身を漆黒の甲冑で覆い、闇色の外套を翻す悪魔は沈黙で返した。それはいつものことだったので、話しかけた「虚偽」の方も気にした様子はない。彼はレオへ顔を向けると、その口元の笑みを深める。
「それでレオ。お前さんが俺たちに招集をかけた理由は何だ? まさかアルディナスに対して弔いをしてやろうって意味じゃねぇだろ?」
「当然だ」
レオはあっさり頷いた。
「アルディナスはニンゲンを甘く見た結果、破れた。それは『色欲』の最高位にありながら警戒を怠ったアルディナスに非がある」
仲間が死んだとしても、悪魔たちの間に同情はない。力が全ての序列を決めるこの魔界で、敗者に贈られるのは侮蔑と忘却だけである。
「遅くなりました」
会議室に響き渡った声に、レオたちは背後を振り返った。
縦長に引き延ばされた人間の笑顔が、レオたちの目に飛び込んでくる。透けた腹部ではいくつもの歯車がガシャガシャと不協和音を奏で、胴体の両脇から伸びた長い腕を折り畳んで宝珠を抱いていた。
「遅いぞ、新参者!」
「憤怒」が怒鳴った。遅れてやってきたヘルヴェムが僅かに体を傾ける。
「十三魔将『侵略』の最高位――ヘルヴェム、レオさまの招集に馳せ参じました」
ヘルヴェムの挨拶に、レオは眉間のしわを僅かに顰めただけで特に返事をしなかった。
「皆揃ったな。始めよう」
レオは部屋の中央に立つと一同を見回した。
「此度の招集の理由はすでに皆が知っている通り。十三魔将の一角、『色欲』が崩れた」
レオの言葉に、悪魔たちの顔に笑みが浮かぶ。退屈なところへ、新しい娯楽を見出したかのように、普段は好き勝手している魔将たちがレオの言葉に耳を傾けていた。
「敗者に同情はしない」
レオはまずそう断言すると、呆れた様子でため息をついた。
「だが、十三魔将の一人が討たれた事実は重く受け止めなければならない」
「アルディナスを討ったニンゲンってのはどんな奴なんだ?」
虚空に浮かんだ鏡の一つから声がレオに尋ねた。
「せっかく贅の限りを尽くした最高級の装備を融通してやったというのに……」
「圧政」がさも腹立たしいと言わんばかりに愚痴をこぼす。
「……そういえば、アルディナスのやつ、途中で中間世界への侵攻方法を変えたよな? 確か、新参者の作ったダンジョンで迎え撃つって言っていたが?」
「虚偽」の三つ目がヘルヴェムを見据える。
「アルディナスは何かとお前にちょっかいをかけていたからなぁ。まさかとは思うが、意趣返しでもしたのか?」
三つ目をついっと細め、「虚偽」がヘルヴェムに静かな声で尋ねた。
皆の視線がヘルヴェムに向く。その眼差しに含まれるのは「軽蔑」と「警戒」だった。
「私はダンジョンを生み出すこと以外、何も興味がございません」
ヘルヴェムの腹部で、歯車ががちゃりと噛み合う。
「アルディナスさまの侵攻を止めたニンゲンがおり、すぐさま替えのダンジョンを必要とされていました。ですので、私めは手を貸しただけです。急ごしらえとはいえ、私としてはアルディナスさまがもう少しうまくダンジョンの機能を引き出してくださっていれば、無様にやられることはなかっただろうと考えております」
「……言ってくれる」
「憤怒」が全身をどす黒い血色に染めて吐き捨てた。顔に目があれば、ヘルヴェムを射殺さんばかりに睨みつけていたことだろう。
「新参者、お前の能力を魔王さまが認めたからこそ、我々もその決定に従っています。しかし、今回の侵攻失敗にはお前のダンジョンに不備があったからではありませんか?」
「汚染」の口調も容赦がない。
「私は事実を申し上げたまでのこと。それに、此度の侵攻において、アルディナスさまへ援助を行ったのは私だけではございません」
「何? 新参者の分際で『圧政』の最高位たる我を非難するのか!?」
やめろ、とレオの低い声が魔将たちの言い争いを止めた。
しんっと沈黙が会議室に流れる。
「今は我らの侵攻を邪魔する『ニンゲン』どもをどう排除するか。それを考える方が先だ」
レオの眉間に深いしわが刻まれる。
「しかも、アルディナスが侵略した中間世界の土地が、件のニンゲンどもに奪われてしまった。早急に対策を取らねばならない」
「!? まさか!? ニンゲンどもがどうやって……」
これにはさすがの魔将たちも驚き、険しい表情を浮かべている。
「アルディナスが侵攻した土地の近くに、天界側のダンジョンが出現していたようだ。それを、アルディナスを討ったニンゲンどもが攻略したんだ」
「ほう……そういうことですか」
「汚染」が納得した様子で、顎に手を添えて笑った。
「天界の神力に対して、我ら魔界の魔力が相殺されたのですね。知ってか知らずかはわかりませんが、ニンゲンたちもよくやります」
「感心している場合か! そのニンゲンどものせいで、せっかく我らが手に入れた中間世界の土地を奪われたのだぞ!」
「それだけでなく、今回のことで侵食した土地を再び取り返すことができるのだという可能性を見せてしまったようなものです」
焦る「憤怒」の後に続き、「汚染」が冷静に分析している。
「『侵略』」
レオの目がヘルヴェムに向いた。短く、呼びかける。
「何でございましょう?」
ヘルヴェムは恭しい一礼を向けた。
レオの目はどこまでも冷めきっていた。
「魔王さまの期待を裏切ることは許さない。『侵略』の最高位を拝命したのであれば、それにふさわしい働きを示せ」
「心得ております」
ヘルヴェムが頷いたのを見て、レオの目が虚空に浮いた鏡の一つを仰いだ。
「『怠惰』、お前がアルディナスの尻ぬぐいをしろ」
「……はぁ?」
鏡の向こう側から不満げな声が言った。
「面倒くさ――」
「そう言って侵攻開始からこの方、まったく貢献してこなかった。少しは役立て」
レオは有無を言わせぬ口調で命じる。
「『侵略』、『怠惰』たちが本来の力を発揮できるようなダンジョンを生み出せ」
「承知いたしました」
話はまとまった、とばかりに漆黒の甲冑を纏った「虐殺」が無言で部屋を後にする。それに続いて、他の最高位たちも思い思いに会議室を後にした。
「何で僕が……」
不満を呟きながら、虚空に浮かんだ鏡が消える。他の三つも即座に消え失せた。
「己の不始末は己で拭え」
レオはすれ違い様、ヘルヴェムに囁く。その紅の瞳がじろりと横目で引き延ばされた笑みへ向いた。
「ニンゲンに『刻印』を刻んだんだ。遊び半分のつもりでいるなら、せいぜい足元をすくわれぬようしっかりと手綱を握っておくんだな」
「それは命令ですか?」
ヘルヴェムもまた、レオを見返す。途端、レオは顔を歪めた。
「……あくまでも忠告だ」
そう吐き捨てると、レオはヘルヴェムに背を向けて会議室を出ていく。
その引き延ばされた笑みが何を思うのか、その場にて知る者は誰もいなかった。
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