Point3-14「地下迷宮」
自分の名を呼ぶ声に、ルカは瞼を震わせた。目を開けば、自分を覗き込んでいるジェイドの顔が見える。どこか必死な顔に、一瞬別人かと思ったほどだ。目を覚ましたルカを見て、ジェイドがあからさまにホッとしたように表情を和らげる。すぐさま、その眉根が寄った。
「おい、いつまで寝ているつもりだ」
「痛っ!」
ジェイドの指先がルカの額を小突いた。ルカは額を押さえて跳ね起きる。
「何すんのよ!」
「この状況で平然と寝ているお前が悪い」
言うなり、ジェイドが親指で背後を示した。
改めて周囲を見回せば、そこは鉄格子や拷問器具が並ぶ地下牢のようだった。床や壁のあちこちには得体の知れない液体によるシミがこびりついている。
ルカの顔からサッと血の気が引いた。
「うわぁ……」
げんなりしたルカに背を向け、ジェイドが歪んだ鉄格子の隙間から通路を見渡す。
「鋼鉄の茨姫どもも地下に降りてきたんだ。団員が一人、やられたのを見た」
ジェイドの言葉に、ルカは気を引き締める。傍に置かれていた斧槍を手に、ジェイドに倣って壁際に身を寄せた。
「他の皆は?」
「咄嗟に身を隠したから、把握はできていない。俺たち同様、うまく身を隠せていればあるいは……」
ジェイドが唐突に言葉を切った。瓦礫の影に身を伏せる。手だけでルカにも隠れるよう指示した。ルカも横倒しになった円卓の影に身を隠す。朽ちた木目の隙間から通路の様子を窺っていると、石の通路を金属が擦るような音が近づいてきた。
「うふふ、どこに隠れたのかしら?」
楽しげに笑う鋼鉄の乙女たちが三体、全身を真っ赤な鮮血に染めて練り歩いていた。彼女の身体に巻き付く茨に、団員の身体が串刺しの状態で引きずられている。
ルカは危うく上げかけた悲鳴を、両手で口を押えることで防いだ。
見開いたルカの目が、絶命した団員の死体から離れない。
「広い迷宮だもの。すぐに見つけられるわ。私たちの方が数は多いもの」
「気長にやりましょう」
他の二体の乙女たちが笑いながら口々に言った。
「私、あの精霊術師がほしいわ。私の蔓を焼いたもの」
「あら、なら私はあの童顔の男の子がいいわ。好みなの!」
黄色い声で話題に花を咲かせながら、鋼鉄の乙女たちは立ち去った。
「……やっぱりな」
瓦礫から身を起こし、ジェイドがぽつりと呟いた。顔を真っ青にしたルカが円卓の影から身を起こす。
「あの鋼鉄の乙女たち、視覚情報だけで敵を認識している。ヴァノスで遭遇したミルティナのような温度探知も、アシュルのような広範囲における探知能力も持っていないようだ」
「……ジェイドはこんな時でも冷静なのね」
暗い顔をしたルカに、ジェイドはきっぱり言った。
「最初に言ったはずだ。ダンジョンに関われば、常に死を覚悟しなければならない、と」
ジェイドの言う通りである。仲間の死を前に、怯んでばかりではいられない。
ルカはパンッと自分の頬を手で叩いた。自分の中でひどく乱れていた気持ちが徐々に落ち着いてくる。
「ジェイド、これからどう動くの?」
ルカは真っ直ぐジェイドを見つめた。ルカの双眸を見返し、ジェイドも小さく頷く。
「まずは出口を探す。それまではあの鋼鉄の乙女たちから身を隠しながら進むんだ。そして出口を発見したら――」
「大暴れして他の仲間たちに私たちの居場所を伝えるのね」
ルカも心得たように頷いた。
「そういうことだ。ルカもだいぶ、ダンジョン慣れしてきたようだな」
ジェイドが頼もしそうに笑う。再び壁に背を預け、素早く通路を確認した。
「よし、行くぞ」
「了解!」
二人は崩れた壁や瓦礫に身を隠しながら、通路を進む。
通路はどこも同じような造りで、ルカは先ほどまで自分たちが進んできた通路すらすぐにわからなくなった。
「ジェイド、今更だけれど道わかるの?」
「ああ。この迷宮に落ちた際、大体の位置を記憶した」
平然と言ってのけるジェイドに、ルカは呆れた顔でため息をつく。
「あんたのその並外れた記憶力にはつくづく頭が下がるわよ……」
「っ! 正面から三体、右手から六体来る。そこの牢屋に入ってやり過ごすぞ」
進行方向を確認していたジェイドが、素早く身を翻した。ルカも慌てて彼の後を追う。崩れてひしゃげた鉄格子の隙間から中へと入り、ボロボロに朽ちた寝台を横倒しにする。その影に二人で隠れた。
「あら、見つけたの?」
鋼鉄の乙女が一人、声を上げた。
「一人ね。なぶるつもりが、加減を間違えて即死させてしまったわ」
「あなたは何事も性急すぎるのよ」
「あら、あなたも一匹仕留めたのね」
「ええ……でも雑魚ばかり。やっぱり私たちに真っ先に抵抗した面子は見つからないわ」
「さっきすれ違った子も一匹仕留めていたわ。もう残っているのは成り上がりの手先と、生意気な小娘、それから精霊術師に童顔の戦士だけじゃない?」
鋼鉄の乙女たちが互いに情報を共有している。ジェイドとルカは寝台の影から息を潜めて聞き入っていた。どうやら今回、「蠍の心臓」で参戦した盗賊団員たちはギルを除いて全滅したようだ。ロディルトも無事なようでルカは小さく息をつく。
ギル、きっと怒り心頭だろうな……。
ルカは唇を引き結ぶ。ダンジョンへ潜る前に、連れていく部下たち一人ひとりに声をかけて回っていたギルである。団員たちもギルの言葉に嬉しそうに答えていた。傍目からも、彼らの結束が固いことが伺えたものである。
「それじゃあ、見つけたら教えてね」
「うふふ、またね」
和やかな会話を交わした後、鋼鉄の乙女たちが床を擦りながら遠ざかっていく。
「……行った?」
ルカが僅かに身を起こした。手をついた拍子に、寝台の足が折れる。あっと息を呑む間もなく、折れた寝台の足が石の床の上を跳ねた。甲高い音が辺りに響き渡る。錆がひどく、だいぶ脆くなっていたようだ。息を呑んで硬直するルカを、横から伸びたジェイドの腕が寝台の影へ引き戻す。
「ご、ごめ……」
「しっ、いいから」
ルカの肩を引き寄せ、じっと息を殺すジェイド。ルカは不安な顔でジェイドの真剣な横顔を見つめた。
「今、音がしたわね」
一度は遠ざかった足音が戻って来る。
「聞こえたわ。金属が床に落ちた音」
「あいつらかしら? この辺に身を隠しているのかも」
「手分けして探しましょう」
バラバラと金属が床を擦り付ける音が散る。ジェイドとルカが息を潜ませる牢屋にも足音が近づいてきていた。
「……」
ルカはジェイドの服にしがみつく。ジェイドは空いている方の手で懐を探り、何やら小さく丸いものを取り出した。
「ルカ、これをそこの隙間から遠くへ飛ばしたい。空気抵抗を弱めてくれ」
ジェイドが懐から取り出した丸い物体をルカに見せる。ルカは無言で何度も頷くと、斧槍に触れた。斧頭に埋め込まれた精霊核が淡い輝きを放つ。ジェイドの手の中で、物体の重さがなくなる。
すぐさま、ジェイドが岩壁の隙間から丸い物体を放った。遠くで何かが爆ぜる。
「何?」
「きっとあいつらよ! こっち!」
足音が爆発のあった方角へ向かっていく。ジェイドが素早く立ち上がった。
「急いで離れるぞ」
「う、うん!」
ジェイドに腕を引かれ、ルカも走り出す。牢屋から飛び出し、爆発の起きた反対側の通路を直走る。ジェイドが通路を右へ曲がろうとした時だった。
背後から伸びた鉄の蔓が、ルカの手を引くジェイドの腕を切り裂いた。
「ぐっ……」
「ジェイド!」
咄嗟に腕を押さえるジェイドを、ルカが背に庇う。再び襲ってきた鉄の蔓を、ルカは斧槍を振るって叩き落とした。
「やっぱり陽動だったのねぇ」
先程、爆発のあった場所へ向かったはずの九体の乙女たちが笑いながら近づいてきた。
「あら、みぃつけた!」
今度は逃げ込もうとした通路から、こちらへ歩いてくる三体の乙女たちが現れた。
「あらあら、ここにいたのね」
「私たちも間に合ったわぁ」
ルカとジェイドの背後の通路から、そして左手側の通路からも三体ずつ歩み寄って来る。皆、全身に纏った蔓を威嚇するようにうねらせ、楽しそうに笑っていた。
「皆で刻みましょう。こうして手間をかけさせられたのだもの。楽には死なせないわ」
「賛成よ。みんなで仲良く……分けっこしましょう」
「私、右腕!」
「じゃあ、私は左足!」
「内臓もらっていいかしらぁ?」
「じゃあ、頭部は私が……」
鋼鉄の乙女たちが口々に言い合う。
「くっ、十八体も……ジェイド、傷は!?」
「左腕をかすっただけだ。致命傷ではない」
とはいえ、その出血量から決して浅くはない。ジェイドは腰の飾り布を取り去ると負傷した傷に巻き付けて止血している。
「重力崩壊は使うなよ。ルカが動けなくなる」
「でも! この状況じゃ他に手が……」
斧槍を掲げたルカの腕をジェイドの手が掴んで止める。反論するルカを余所に、鋼鉄の乙女が一体、二人へ突っ込んできた。
「死ねぇえええぇっ!」
斧槍を掲げるルカの瞳に、振り下ろされた鋼が飛び込んできた。
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