Point1-4「呪い」
ダンジョンから帰還したジェイドとルカは、手分けしてピッケ村の住民を手近の家の中に避難させていた。ルカが重力を操りながら、複数人を一度に運び込んでいく。そうして作業はあっさり終了した。
二人は村の中でも、客間のある家に上がり込む。遠くで雷の音が響いたかと思うと、晴れ渡っていた空はあっという間に曇天に包まれ、激しい雨が降り出したのだった。
「本当に降り出した……」
ルカは窓の外の土砂降り雨を眺めながら、独り言をもらす。
ジェイドは嗅覚も鋭いのだろうか。どちらにせよ、おかげでピッケ村の住民は彼のおかげで雨に打たれずに済んだわけである。夏とはいえ、雨に打たれて外に放置されてはさすがに風邪をひいてしまう。
「お疲れ様、ルカのおかげで助かった。俺一人だと間に合わなかっただろうからな」
家に備え付けられたキッチンを勝手に使い、ジェイドは温めた山羊乳の入ったマグをルカに差し出す。
「さすがに、こんな山奥じゃ珈琲なんて洒落たものはないみたいだ。だからこれで我慢してくれ」
そう言って微笑むジェイドを、ルカは呆れ顔で見つめた。本当なら勝手にキッチンや食材を漁ったことを注意すべきなのだろうが、住民の方々をにわか雨から守ったのだ。これくらいのことには目をつむってもらうとしよう。ルカとしても色々なことが一度に起こったせいでくたくたなのだ。ルカは差し出されたマグを受け取り、礼とともに一口すすった。
ほどよく冷めた山羊乳は濃厚で甘い。
ルカは思わずほぅっと息をついた。疲れた体に染み渡る。
ピッケ村で飼われている山羊たちは、良質な草を食べて育っているのだろう。山羊は食べたものによってその香りが乳に影響するため、苦手な人も多い。ルカもその口だが、この山羊乳はいけそうだ。
「それじゃ、さっきの現象についてご説明願おうかしら?」
ルカは小さく息をつくといきなり切り出した。
ジェイドがマグに口をつけながら苦笑している。
「せっかちなお嬢さんだ……さて、どこから話したものかな」
ジェイドは物憂げな表情で呟いた。椅子に腰を下ろし、温めた山羊乳を一口すすっている。
ルカもジェイドの傍らの椅子を引くと、彼と向かい合う形で席に着いた。卓上にマグを乗せ、ルカはじっとジェイドの挙動を見つめている。
遠雷が唸り、窓の外で一瞬、白い閃光が走った。
「なんであの時、ダンジョンが出現するってわかったの?」
ルカはもっとも気になっていたことを口にした。
「ダンジョンが出現するとき、『予兆』があるんだ。内容は様々だが、今回の場合はこの村の人々が深い眠りに落ちていることだった。それは君も目の当たりにしただろ?」
ジェイドは静かに言った。ルカも頷く。
「ダンジョン出現の『予兆』は渡り鳥がダンジョンを発見する上で重要な手がかりだ。長くダンジョン捜索に携わっていると、自然と見極められるようになる」
ジェイドの言葉に、ルカは納得の声を上げた。
ダンジョンはその勢力を拡大し、やがて周囲の環境を変異させてしまう。となれば、ダンジョンの影響が出現前から周囲へ影響を及ぼすという話はある意味当然であるし、彼の説明も頷ける。
しかし、ルカはさらに言葉を継いだ。
「でも、その予兆を見つけ出すのも困難なことよね?」
ルカの鋭い指摘に、ジェイドの表情が強張る。
ダンジョンの出現に予兆があるのだとしても、それをすぐさま発見することは難しい。ましてやこの中間世界に存在する五つ……現在は四つとなった大陸中を捜索し、高確率でダンジョンの出現を予測するというのはまず不可能だ。人の足で稼ぐというのにも限度はある。
翡翠眼の渡り鳥のダンジョン予測は、ほぼ確定に近い値だと噂されている。だからこそ、ヴァノス国の上層部も動いたのだ。
何か他にからくりがあるはず……、とルカは目を細めてジェイドの表情を観察していた。
「他にも理由があるんでしょ? 言っとくけど、長年の経験ってだけで煙に巻こうとは思わないことね」
「……」
ジェイドはしばし逡巡した後、どこか諦めたようにため息をついた。
「ダンジョンから生還した君に敬意を表して、その疑問に答えよう。ただ、ここだけの話にしておいてくれると助かる」
「もちろんよ」
渡り鳥の世界に競争があるとは思えないが、ジェイドには何かしらの事情があることだけは察せられた。ルカにそれを吹聴する趣味はない。ただ、目の前の青年に興味がわいたのだ。
「ルカが指摘する通り。ダンジョンの捜索に予兆を追うだけでは後手に回る。だから俺の場合は……悪魔から受けた『呪い』を活用しているんだ」
「呪い?」
怪訝な表情で呟くルカに、ジェイドはおもむろに額に巻いていた布を外した。ルカは息を呑む。
近くで雷鳴が轟いた。窓の外が室内よりもずっと明るくなる。激しい雨音がジェイドとルカのいる家の屋根を叩いた。
ジェイドの額には、黒い紋章が刻まれていた。三重の円に門のような意匠の紋章は、悪魔たちが操る「魔法陣」と似ていた。
「それ……悪魔に?」
「ああ、十年前……東大陸に出現したダンジョンに遭遇した際、俺はある悪魔にこの『呪い』を刻まれた」
ジェイドは憎悪を滲ませた鋭い目を卓上に落とす。ギリッと歯を噛み締め、その顔が大きく歪んだ。
「それ、体はなんともないの?」
ルカはジェイドの身体を気遣う。ジェイドは苦笑を浮かべると、小さく頷いた。
「問題ないさ。こいつの呪いっていうのは、出現前のダンジョンの場所をおおよそ知ることができることと、そのダンジョンに五分間だけ潜ることができるってことだけだから」
一種の通行手形みたいなものだよ、とジェイドは木綿布を額に戻してそこに刻まれた印を隠す。
「この呪いのおかげで、俺は誰よりも早くダンジョンを発見できるんだ」
皮肉なもんだよな……、とジェイドが表情を曇らせたまま笑う。
その様がひどく痛々しい。
ルカは無意識にマグを握りしめた。ジェイドは淡々とした口調で続ける。
「俺が渡り鳥として正式に活動を開始したのは、今から五年前くらいからかな。この呪いのせいで、どこにいてもダンジョンの気配を感じてしまう。その度に、この刻印を施したあの悪魔の顔がいつも目の前にちらつくんだ」
再び、近くで雷鳴が轟いた。ジェイドの無表情に濃い陰影がかかり、彼が背負う不穏な影をルカの目の前に映し出したようだった。
「ルカも知っての通り、東大陸はわずか十年の間で魔界の悪魔たちが跋扈する土地へと変貌した。それ以降、大陸を超えて人間世界の国々で世界協定が結ばれ、魔族たちの侵攻に対し人類は全面的な協力と共闘関係を締結した」
ジェイドは目を伏せ、マグに残った山羊乳をすする。
「俺の目的はただ一つ。俺の額にこの呪いを刻んだあの悪魔を探し出し、殺された両親、巻き込まれた数多の人々を死に追いやった報いを味わわせてやるつもりだ」
目を開いたジェイドの瞳が、鋭利な刃物のように不穏な色を帯びる。
「この俺の命が尽きるまで、一体でも多くの悪魔を葬ってやる。俺はそのためだけに、こうして各地のダンジョンを探し回っているんだ」
「その悪魔、あんたに呪いを刻んで……いったい何が目的だったの?」
ルカはおずおずとジェイドに尋ねた。ジェイドは軽く肩をすくめる。
「その悪魔は、ダンジョンを生み出していると話していた。俺に呪いを刻み、出現前のダンジョンに招き入れるのも、より攻略難易度の高いダンジョンを生み出すためだろう」
ダンジョンは年々、目に見えてその攻略難易度が上がってきている。各地に出現するダンジョンへ派遣される人員の数が増えているのも、その事実を裏付けていた。
「でも、あんたの能力があればこの状況を打破できるんじゃない? 五分間だけとはいえ、出現する前のダンジョンに潜り込めるわけなんだから!」
ルカが努めて明るい声で言う。しかし、ジェイドは小さく頭を横に振った。
「悪魔は手段を選ばない。勝つためならばどんな卑劣な手も辞さない上、相手の心情すら利用する」
「どういうことよ?」
眉間にしわを寄せるルカに、ジェイドは疲労を滲ませた表情で続ける。
「まだダンジョンに潜って間もない頃、俺は出現前のダンジョンでできうる限りの下準備をしていたことがあったんだ。正規軍や冒険者ギルドの人達を引き入れた際に、速やかにダンジョンの中心部へ招き入れるよう情報を提供するだけでなく、実際にダンジョン内の各地に仕掛けられた罠を必要以上に破壊・解除して回っていた」
ルカはジェイドの言わんとしていることを察した。
「そのせいで……ダンジョンの難易度が上がってしまった?」
ルカの呟きに、ジェイドは苦々しい顔で頷く。
「ダンジョンを出現させる直前に、俺に刻印を刻んだ悪魔が最終調整を加えたんだろう。どうにかそのダンジョンの攻略には成功したが……俺のせいで多くの犠牲者が出たよ。あの時の屈辱は、未だに忘れられない……」
淡々と語るジェイドだったが、その寄せられた眉間のしわの深さからかなり精神的に応えたことが窺える。ルカはそんなジェイドにかける言葉が見つからなかった。安易な慰めは時に、罵倒の言葉よりも相手を傷つける。
「他にも……たくさんの人を見殺しにしてきた。ダンジョン内では救出すべき民間人を見つけても、手出しができない場合が多い。それが罠の解除に繋がっていたり、下手をするとそんな彼らを魔物に変えられてけしかけられたりする」
ジェイドは空になったマグを卓上に置くと、ルカを真っ向から見据える。
「ルカ、俺は君に忠告する。ダンジョンを甘く見てはいけない。あの空間を生み出す悪魔どもは、人間を様々な方法で潰しにかかる」
ジェイドはルカを見据えると静かな声音で続けた。
「だからすぐにでも、この国を離れるんだ。ダンジョンに関われば、常に死を覚悟しなければならない。今回、生きて戻れたのは運がよかっただけだ」
安易な気持ちでダンジョンに関わってはいけない。
ジェイドはそう言って話を終える。
沈黙の下りた室内に、激しい雨音ばかりが響き渡っていた。
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