Point1-3「五分間のダンジョン探索」
「時間がない、走れ!」
青年は叫ぶと、地を蹴ってすぐさま駆け出した。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
突然のことに、ルカの動作が一瞬遅れた。ルカも斧槍を手に青年の背を追う。
絡み合う樹の根を越え、蛍火のような光の粒子をまき散らす花々の中を駆け抜ける。幻想的な風景に見とれている暇はなかった。体力に関して自信のあるルカが、どれほど追いかけても青年との距離が縮まらない。
「あいつ、本当に何者なのよ……」
ルカが思わず呟いた時だった。
「罠がある、地面から離れろ!」
青年は大声でルカに忠告する。すると青年は慣れた仕草で大樹の幹や枝を蹴って虚空を進んでいった。
「はぁっ!? 何を――」
ルカが石畳に足をかけた瞬間だった。突如、石畳の地面が抜ける。ルカの全身を浮遊感が襲った。眼下に現れたのは、鋭い茨の蔦が絡まる奈落だった。茨の蔦に咲き誇る毒々しい花々たちと目が合った。
ルカの背筋に悪寒が走り抜ける。
「〝重力軽減〟!」
ルカは咄嗟に斧槍を握りしめて叫んだ。斧槍に埋め込まれた劣化結晶が即座に輝きを放つ。すぐさま石片を蹴ると、ルカの身体が一気に樹上へと跳び上がる。
ルカの目に映ったのは、鬱蒼と茂る森に星空のような光を地上でまき散らす植物たちの世界だった。
「なんなのよ、この状況はっ!」
ルカは重力に従って落下し、手近の木の枝を掴んで勢いをつける。そのまま、地上に降り立って森の奥へと進んだ。青年が纏う筒型衣の裾がはるか前方で翻る。青年は時折、視線を周囲に向ける仕草をするが、基本は走りっぱなしだ。それでも速度が落ちる様子はない。
「あんのっ……負けるもんですかっ!」
ルカは即座に闘志を燃やすと、地上を駆ける。石畳の道に差し掛かると、斧槍を地面に突き刺し、それを軸に体を宙へと放った。崩れかけた石壁を越え、斧槍を引き寄せてルカは青年の後に食い下がる。
どこまで走っても、代わり映えしない光景が続く。ルカはすでに自分が今どの辺りにいるのかわからなくなった。
今はとにかく、あいつについていくしかないか……。
ひょいひょいっと枝を伝っていく青年を見失わないように、ルカはできるだけ速度を上げた。
やがて、森が途切れた。
「なっ!」
急激に視界が開け、空を覆い尽くす影にルカは息を呑む。
鋭い声が、ルカと青年を圧倒する。こちらを待ち受けていたのは、背に蝙蝠の翼を持ち、頭からいくつもの角を生やした下級悪魔たちの群れだった。
「あ、悪魔っ!?」
「このまま突っ切れ! 知能は高くない!」
ルカの前を走る青年が声を張り上げ、腰の剣を鞘から払った。
そのまま、横一閃で突っ込んできた下級悪魔の胴を切り裂いた。迷いのない、綺麗な太刀筋だった。ルカは思わずその姿を食い入るように見つめる。
呆けていたルカに、下級悪魔たちが群がってきた。
「ちょっと、私が弱そうっていう認識――」
我に返ったルカが手にした斧槍を握りしめる。埋め込まれた劣化結晶が、ルカの激情に反応して輝いた。
「勝手に抱いてんじゃないわよっ!」
ルカの渾身の一閃が、群がる下級悪魔たちを切り裂いた。その上、振るった斧槍から放たれた重力波を受け、滞空していた悪魔たちが一斉に落下した。そのまま地面に叩きつけられ、奇妙な声を上げて潰れる。
「へぇ、お嬢さんやるじゃないか。こっちだ!」
相変わらず足を止めることなく、ちらりと背後を振り返った青年が口元に笑みを浮かべた。ルカは斧槍を担いで青年に追い付くと、眉間のしわを深めた。
「ふんっ、師匠にみっちり鍛えられたからね……感謝したくはないけど」
ルカは苦い顔で呟き、走り去る自分たちを遠巻きに追ってくる下級悪魔たちを一瞥する。鋭い牙や爪を持ち、黒い皮膚に所々が硬化した姿は不気味の一言に尽きる。しかも全身から絶えず禍々しい気配を漂わせている奴らを見ると、恐怖や不快感が湧き上がってきた。
「悪魔を凝視するな」
すぐさま青年の鋭い声が指摘する。
「奴らの力の根源は負の感情。俺たち人間が奴らを認識するや否や、奴らはこちらの精神にも絶えず影響を与えてくる」
「……詳しいのね」
「俺が『翡翠眼の渡り鳥』だって話、まだ疑っていたのか? 用心深いお嬢さんだ」
二人は軽口をたたき合いながら、草原を駆ける。
目の前に、崩れかけた防壁が見えてきた。
「あれは、都市?」
「――の、遺跡群だろうな。厄介だ」
ルカの呟きに、並走する青年が苦い顔をした。
巨大な遺跡群は一目見てわかるほど、「ちぐはぐ」だった。
石の材質がまちまちなのだ。真っ黒な石を積まれた城門をくぐると、すぐに真っ白な石材で作られた円塔が聳えている。かと思うと、地下へと続く階段には緑がかった石が使われている。まるで統一性がなく、こことは違う場所から建物だけをかき集めてとりあえず並べてみたと言ったような有様だ。
「もう三分を切った。お嬢さん、この領域で一番高い建物を目指すぞ!」
言うなり、青年がまた速度を上げた。
「はぁ? 三分? さっきから何をわけわかんないことを……!」
ルカも慌てて青年に追いすがる。あれだけの距離を走りっぱなしだったにもかかわらず、彼の持久力には底がないのだろうか。
「もう! 悔しいけど……」
ルカは荒い呼吸を繰り返し、苦しそうに斧槍を握りしめる。武器に埋め込まれた劣化結晶が淡い輝きを放った。
「〝重力軽減〟!」
呟くと同時に、ルカの全身が軽くなった。地面を少し蹴っただけで、ルカの身体は青年との距離を一気に詰める。
「その武器、そんな使い方もできるんだな」
「言っとくけど、普段ならこんなことしなくてもあんたにはすぐに追いつくんだからね! そこ、勘違いしないでよね!」
精霊術を使わなければ青年に追いつけなかったなどと、ルカは認めたくなかった。しかし青年はルカのこだわりを気にも留めず、ひたすら遺跡群の瓦礫を登っていく。手近に聳える円塔に狙いを定めたようだ。
道具も使わず、積み上げられた石と石の間に指やつま先を器用に引っ掛けて登っていく。ジェイドが塔を登り始めた途端、それまで静観していた悪魔たちが一斉にジェイドへ群がってきた。
「危ない!」
ルカは重力を軽減させたまま、強く地面を蹴った。青年を追い越し、一息に円塔の頂上に降り立つ。
「できるだけ頭を伏せて!」
ルカの忠告に、青年は上っている壁に頭を付けた。
振り上げた斧槍に埋め込まれた劣化結晶の出力を極力抑え、ルカは愛用の武器を大きく横へと薙いだ。上空からジェイドを奇襲してきた下級悪魔が、斧槍より放たれた重力の圧を受けて地面に落下する。そのまま、全身を大きく埋めた。
沈黙した下級悪魔たちを見下ろしながら、ルカは手に残った違和感に眉根を寄せた。
なんだか、普段よりも必要以上に出力が落ちている気がしたのだ。
――気のせい、かしら?
ルカが一人、首を捻っている横で、青年が円塔の頂上にたどり着く。
「助かったよ……お嬢さん。でも――」
感心した様子の青年が、すぐさまその表情を曇らせた。
「ここで時間切れだ」
「どういう意味よ?」
怪訝な顔になるルカに背を向け、青年は塔の上から周囲を見回す。まるで、自分が見た景色を少しでも記憶にとどめておこうとしているようだ。
青年の目がある一点で留まる。
そこは遺跡群の中でも高い塔――その頂点に三重の円の中央に薔薇が描かれた紋章の旗が掲げられていた。
ルカが口を開きかけたところで、周囲の景色が一変した。遺跡群やルカたちが走り抜けてきた森の景色が大きく歪み、強い光が目を差す。
「っ!? 眩しい……」
ルカは咄嗟に目元を腕で庇う。強い光に、目の奥がズキズキと痛んだ。
徐々に目が光に慣れてくると、頭上から夏の日差しが注いでいる光景が見えてきた。周囲を見回せば、青々とした葉を広げた木々が、吹き抜けた風に木漏れ日を揺らしていた。ルカが背後を振り返ると、獣除けに堀と材木を積んで塀が築かれたピッケ村が見えた。
「……戻って、きた?」
ルカは白昼夢から覚めたように呆然とピッケ村を眺めている。
「ああ、時間切れだからな」
ルカの傍で、青年は手帳のようなものを広げて何やら書き込んでいる。
我に返ったルカが青年に詰め寄った。
「今のは、いったいなんだったのよ! あんたはいったい……」
「お嬢さんはさっきからその質問ばかりだな。いや、でもいきなりあんな光景を目にすれば当然の反応か」
青年は手帳を仕舞うと、小さく笑ってルカを見下ろした。
「それに、お嬢さんの実力は正直、予想外だった。お嬢さんがなんで「硬貨」の冒険者なのか疑問だよ。俺と一緒にダンジョンに潜って生き残れたのは、お嬢さんで二人目だ」
青年はルカにそっと手を差し出してきた。
「さっきは落ち着いて礼も言えなかったからな。塔を登っていたとき、悪魔を退治してくれてありがとう。両手が塞がっていると、どうしてもあいつらに反撃できないから、いつも難儀していたんだ」
「え!? あ、いや……別に、大したことじゃ……」
ルカは反射的に差し出された手を握り返す。青年に褒められるとは思っていなかったので、返事がしどろもどろになってしまった。
「俺はジェイド。ジェイド・オルウィンという。お嬢さん、名前は?」
「ルカよ。ルカ・アルリア」
ルカはジェイドと名乗った渡り鳥の青年を真っ直ぐ見つめる。
「ねぇ、ジェイド。さっき起こったこと、詳しく説明してちょうだい。それとも、一般の人には説明できないこと?」
「いや……そんなことはない。それに結果として巻き込まれたお嬢さんには聞く権利があると思う。まぁ今の世の中、どこでどのような形でダンジョンに遭遇するかわからない時勢だから、知っておいて損はないさ」
でもその前に……、と青年はクンッと鼻を鳴らした。
「まずはあそこの村の住人を家の中へ運ぼう。じきに雨が降る」
そうして青年はくるりと踵を返すと、ピッケ村の方へ歩いていった。
ルカも斧槍を布で包むと、青年の背を追いかけたのだった。
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