Point2-10「第三階層の試練」
「はぁ、もう……動きたくない」
ルカはそう言って芝生の上で大の字に寝そべっていた。
彼女の傍らではロディルトが崩れかけた壁面を観察し、時折、服だけになった住民に触れてみたりと調べ回っていた。
かれこれ、体感で三十分以上はこうしているだろうか。最初こそ、皆で町中をぐるりと回り、下の階層へ行く手段がないか探し回っていた。二周目に入って、「手分けして探そう」となって町中を歩き回ったのがついさっき。さすがに三、四周目になると飽きが来るものである。
「こう悪魔からの襲撃でもあれば気も紛れるんだけどなぁ……」
「まぁ、無駄に体力を削られるよりはいいでしょう」
ロディルトは飽きもせず、同じような場所を観察している。ルカは芝生に手のひらをつき、その感触を堪能する。頭上を仰げば揺れる水面、視線を正面に向ければ生い茂る木々に呑まれた遺跡群。生物の立てる音がないことを除けば、ダンジョン内にいることを忘れてしまいそうなほど平和だ。
「おい、サボるなよ」
「あ、おかえり」
通りの方からこちらへ歩み寄ってきたジェイドとアディナに、ルカは軽く手を振った。
「その様子では、そちらも手がかりなしのようだな」
アディナが困り顔で笑い、ルカも大きく伸びをした。
「そうなのよ……こう、いかにもって仕掛けが見当たらないのよね」
「ジェイドさんはどう思いますか?」
立ち上がったロディルトがジェイドを振り返る。ジェイドは小さく頷くと、ロディルトが調べていた壁面を示した。
「おそらく、今回の仕掛けはそこだ」
「へ? 壁……?」
拍子抜けしたように声を上げたルカに、アディナも首を傾げた。
「そういう意味じゃない」
素直に壁面へ向き直ったルカに、ジェイドが呆れ顔を向ける。
「つまり、『認識』による解除方法だ。壁を観察していると、何か所か模様がおかしな形になる場所がある」
「なるほど。ある定められた場所、方向に向かって立つことである特定の模様が浮かび上がってくる。それを認識した瞬間に、道が現れるということですね。我々、精霊術師が研究施設を隠す際によく使う手です」
ロディルトはそこまで言って、目を細めた。
「つまり、第三階層へ赴くためには、必然的に私たちがバラバラになるということですね」
「な、そうなの!?」
ルカがジェイドを振り返る。
「場所は四か所あった。ちょうど町の四方……人数もちょうどいい。まぁ、まず偶然じゃないだろう」
「戦力の分散は好ましくないな」
アディナも苦い顔になる。今回初めてダンジョンに潜ったのだ。不安にならない方がおかしい。
ルカとしても、今回のダンジョンは力押しが通用しないタイプのものである。自慢じゃないが、ルカは考えるよりも体を動かすことが得意な方なのだ。
「ねぇ、第三階層に到達した途端、知恵比べって展開にはならないわよね? 悪いけど私、頭脳戦はからっきしよ?」
「だろうな」
あっさり頷いたジェイドに、ルカは思わず足元に落ちていた小石を投げつける。首を捻ってあっさり小石を躱したジェイド。ルカの投げた石はジェイドの背後にあった壁に跳ね返って地面に落ちた。
「このダンジョンを支配する悪魔も、そのことを計算したんだろう。誰か一人でも仕掛けを解除できなければ……最悪の場合、永久に閉じ込められる」
ごくりと自分の喉が鳴ったのを耳にした。ルカは唇を噛み締め、アディナも己の腕を強く掴んでいる。ロディルトは表情を変えていないが、ジェイド同様、事態の深刻さに内心苦い思いだろう。
「せめて仕掛けの種類がどのようなものか、事前に判別できればいいのですが」
無理だとわかった上で、ロディルトがため息まじりにぼやいた。
「まぁ、そこは賭けだろうな。とりあえず、ルカと騎士殿には仕掛けを見極めるポイントを教えておく」
ジェイドの言葉に、ルカとアディナが身を乗り出した。
「まぁ、それほど特別なことじゃない。やることは三つ。一つ、とにもかくにも冷静に、周囲の状況を観察すること」
ジェイドが人差し指を立て、淡々と続ける。
「この階層でもわかったように、仕掛けはいかにもそれらしい装置が置かれているばかりとは限らない。そこで必要なのは、注意深く状況を観察できる眼だ。その際、先入観はご法度。注意深く見た気になって、重大な異変を見逃す要因になるからな。何事も初めて目にしたものとして、目の前の現実を余すことなく理解しようとしろ」
ルカとアディナが同時に頷く。
「二つ目。常に最悪の状況に備えて行動すること。このダンジョンを生み出したのは悪魔だ」
ジェイドの翡翠眼が、鋭さを帯びる。
「選択に迷ったら、予測しうる限りで『最悪』な状況を回避することを念頭に選ぶんだ。自分が対処可能な方をあえて選ぶのでもいい。悪魔は常に、人間にとって絶望的な状況へと誘導してくる。そのことだけは常に頭に留めておいてくれ」
三つ目、とジェイドが三本目の指を立てた。
「たとえ間違った選択をしたとしても、何としてでも生き残れ」
ジェイドは苦い顔で石壁を振り向く。
「おそらく階層を下っていくにつれ、ここのダンジョンの仕掛けの難易度は上がっていくと予想される。そんな中で仕掛け型ダンジョンの後半になるにつれて多くなるのが、仕掛けを解除する際の条件に『人数指定』をしてくる仕掛けだ」
「……あ、だから今、戦力を分断するのね!」
ルカがハッと息を呑んだ。アディナも納得した顔で呟く。
「後半の仕掛けで人数が揃っていなければそれ以上先へは進めない。そうなれば必然、ダンジョン攻略は失敗に終わる。だから序盤で戦力を分散し、確実に仕留めに来ているわけか」
下劣な……っ、とアディナの秀麗な顔が大きく歪む。
「それが悪魔のやり方です」
ロディルトは静かな声音でそう締めくくった。
一同の間に、しばしの沈黙が落ちる。
「考えていてもしょうがないってことね。他に方法がないなら、さっさと次の階層へ行きましょう」
ルカが土を払いながら立ち上がる。愛用の斧槍を肩に担ぐと、気合の入った笑みを浮かべた。
「戦力を分断したものの、あっさり突破されたら悪魔も悔しがるんじゃない? それって最高にスカッとするわ」
「プッ、ハハ……ルカらしい意見だな」
ジェイドが何故か小さく噴き出し、ロディルトも微笑ましそうに笑っている。
「ルカさんのその、底抜けに前向きかつ負けん気の強さを大変好ましく思います」
「それ、褒めてる?」
「もちろんですよ」
胡乱な目で睨むルカに、ロディルトはしっかりと頷いた。
「……貴殿らがどれほどの困難を乗り越えてきたのか、ここにきて本当の意味で理解できた気がする」
アディナはそう呟くと、真っ直ぐな瞳をジェイドに向けた。
「私はルシエ国騎士団『風獅子の翼』団長補佐のアディナ・レイホーク。これでも騎士としてそれなりの死線は潜り抜けてきた。我らの覚悟は、決して悪魔どもには屈しない」
アディナの言葉に、ジェイドが口の端を僅かに上げた。
「ああ、期待してる――アディナ」
ジェイドはパンッと手を叩くと、表情を引き締める。
「そうと決まれば各自、持ち場に着くぞ」
彼の言葉を合図に、ルカたちは一斉に四方へ散った。ジェイドにあらかじめ指示された四か所――崩れかけた塔の真下、広い庭園、崩れかけた民家の中央、そして大通りに、順にロディルト、ルカ、ジェイド、アディナが配置につく。
ルカは草が伸び放題の庭園を見回す。
「えっと……ジェイドの話では、二つに分かれた木の間から見える壁を見ろって……あ、あれね!」
特徴のあった木を見つけ、ルカはその二つに分かれた隙間から石壁の方へ目を向ける。すると何やら巨大な円に無数の記号が描かれているのが見えた。
「もう少し下がって、右に行けば……うん、綺麗な円になったわ」
ルカが立ち位置を修正すると、はっきりと見えた。ヴァノス国に出現したダンジョンで苦しめられた光る円盤、そこに描かれた魔法陣とそっくりだった。
ルカがその魔法陣を認識した途端、フッと体を浮遊感が襲う。あっと思う間もなく、ルカの両足が硬い石の床を踏んだ。すぐさま、斧槍を手に身構える。
「……あの魔法陣が見えた途端、どこかへ転移させられたってわけね」
ルカはジェイドの助言を思い出し、周囲の暗がりをゆっくりと見回す。目が暗がりに慣れてくると、そこには三メートル近い巨像が佇んでいた。
全身を甲冑に包んだ、騎士の像だ。
それらがルカを取り囲むように五体、等間隔に設置されている。どこかの建物の中だろうか。高い広間の天井は円形で、南大陸でよく見かけるドーム型宮殿の建築様式を思わせる。
「これが私の試練ってわけね」
ルカは斧槍の穂先を下ろすと、挑むように像を睨む。
「受けて立ってやろうじゃない」
五体の騎士像が静かに、無感動な目をルカへと注いでいた。
Copyright(C)Itsuka Kuresaki 2021




