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導の先に立て ―ダンジョン攻略して世界を救う英雄の物語―  作者: 紅咲 いつか
Area1:悪意の森と渡り鳥

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Point2-9「水の悪魔」

 巡る水が、己の中に無数の情景を映し出す。それらを認識すると同時に、統括する意識に働きかけてきた。循環する理性が感情を置き去りにして絶えず対策を練り直す。対策をたてるとすぐにまた次の懸念を洗い出し、その備えに取り掛かる。その繰り返しに、もはや感情を差し挟む隙はなかった。

 いつからだろう。目の前で繰り広げられる惨劇に、何も思わなくなったのは……。

「……」

 水面に映る光景を前に、その悪魔は無感動な目を機械的に向けていた。肉体はなく、水が人の姿を取ったように存在している。女性の姿を取った悪魔は、その波打つ全身を絶えず循環させて、このダンジョン内で起こった全てのことを「視て」いた。水に浮かんだ青い宝石のような両目が、第二階層へ到達した侵入者たちを観察する。

 十三魔将アルディナスの配下――知恵者アシュルは静寂の中で思考していた。

 水鏡に映し出された侵入者たちは、ダンジョンに侵入してからもその言動に迷いはない。いや、一人……第二階層に到達した途端、ひどく心をかき乱していた女がいる。しかし、仲間に何を囁かれたのか、ひどく波打った感情がスッと凪のように落ち着いてしまった。

 上手くいけばそこへ付け入れただろう。少しばかり残念だった。

 アシュルは表情を変えることなく、じっと侵入者たちを観察する。その中でアシュルの目を引くのは、魔界における最高位(ルウーア)から刻印を授かった青年だった。

 彼の行動を観察すればするほど、アシュルの疑問は深まっていく。

 かの青年に、特筆すべきものは何もない。

 アシュルが()っているニンゲンたちとの特徴から逸脱しているわけでもない。強いて上げるならば、彼らニンゲンが使う「精霊術」を行使できないことくらいか。それも悪魔による刻印を付与されてしまったことが原因であり、悪魔のように魔法を使ってくる様子もない。適性はあるだろう。しかし、扱い方がわからねば無用の長物である。

 アルディナスさまの考え過ぎではないだろうか。

 アシュルの思考は留まることを知らない。たとえ至った結論が主に対して不敬な内容であっても、思考を停止させることは己の存在を否定することになる。

 目の前にいるニンゲンが、魔界の脅威になるかどうか、思考を巡らせる。

 答えは「否」だった。

 気の遠くなる年月を、この世界で神族どもと戦ってきたのだ。容赦のない神族に比べ、ニンゲンたちのなんと脆弱で、滑稽なことか。簡単に心の隙へ入り込め、悪魔が手を加えずとも勝手に自滅する。そんな連中を、アシュルは幾万と見てきた。

 アシュルは第二階層を進むニンゲンたちを見つめる。

 より深く、印を刻んだ青年の精神にでも干渉すればわかることも多いだろう。しかし、それは青年の額に印を刻んだ悪魔によって阻止されていた。少なくとも、アシュルにはこれ以上青年の様子から何かを探り出すことは不可能だった。かの最高位の悪魔と同等の力を持つ悪魔でなければ、青年の印に込められた魔法を解析することはできない。

「……」

 アシュルは早々に結論を出した。青年の印を通し、ヘルヴェムの真意を探ることを断念する。ならば、彼女が行うことは決まっていた。

「上位権限者より、ダンジョンに接続。第三階層の内部構造を変更する。内容の修正を開始……」

 己を形作る数多の水が、ダンジョン内を素早く駆け巡る。その感覚を、アシュルはどこか穏やかな表情で見守った。生物がその命を長らえるためには、その身に流れる血の循環が不可欠である。肉体を持たないアシュルにとっては、まさにこのダンジョンこそ、彼女に与えられた肉体であった。

「内容の修正を確認。権限の執行を完了……」

 やがて、アシュルの全身の循環が和らぐ。

 ごっそりと持って行かれた魔力に、くらりとした。こうしてニンゲンたちの行動を観察し、その都度ダンジョンへ干渉して内部を作り替えることは膨大な魔力を消費する。しかし、アシュルはこの権限を必要であると結論付ける。

「少しでも長く……」

 人の形を留められず、流れる水と一体化する。思考を止めてはならない。循環を閉ざしてはならない。アシュルはこのダンジョンでほんの少しでも長く、印を刻んだニンゲンを留めておかなければならない。

 そこまで思考が至ると、何故だかわずかに流れる水が滞る。流れが鈍くなったのも一瞬で、すぐに勢いよく流れ去っていく。同時に、思考も流れていく。もう、先程感じた違和感も消え去った。

 留まることは許されない。

 考え続けねばならない。

 それがアシュルの「知恵者」たる責務であった。

「……」

 暗い地下の神殿に一人、再び静寂の中で思考の海に埋没する。

 それがアシュルに束の間の安息を与えていた。

 考えねばならない。

 でなければ、私は「私」が誰なのか思考を巡らせてしまう。

 己の存在を「疑問」に思ってしまう。

「敵を……」

 己に言い聞かせるように、アシュルは呟いた。

「敵を倒す方法を考えねば……幾通りもの可能性を掲示して、備えを――」

 呟いたアシュルの脳裏に、チリッと痛みが走った。


「行こうっ! 広い世界を見に行くんだ!」


 随分昔に聞いた声が、アシュルに囁いてくる。それが何であったか思い出す前に、思考は流れ去ってしまった。ただ、何故だか……その声と目の前に映し出された青年の顔が、アシュルの中で重なった。

Copyright(C)Itsuka Kuresaki 2021

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