Point2-3「現場の特定」
「あそこが患者を一時隔離している小屋です」
リタの宿場町からやや離れた場所に、その小屋はあった。周囲を畑に囲まれた作業小屋で、広さは大人十人が入れるかどうかといったほどだ。小屋の中からは絶えず苦しそうなうめき声が聞こえてくる。心なしか、傷病者が纏う特有のにおいまで漂っていた。
「うぅ……ちょっと、病人相手に不衛生すぎない?」
ルカが眉を寄せ、アディナに顔を向けた。
「私たちもそう思う。しかし、急な疫病の発生に加え、感染経路も、治療方法もわからないとなると、迂闊に近づくこともできない。これでも、ここの患者たちはまだマシで、場所によっては発病と同時に家族や友人知人の手にかかってしまうこともあるんだ」
アディナは憂い顔で小屋の方を振り返る。
「たった十日で、ルシエ国内の秩序は崩れ去ってしまった。目に見えない病原菌が相手では、騎士団の剣も役には立たない」
「……ひとまず、清潔な環境を整えましょう」
ロディルトは念のため、口元を布で覆うと小屋の扉を開けた。
そこには五人の患者が、体を丸めたりして横たわっていた。やや汚れた薄布を床に敷かれただけの小屋に、申し訳程度に水の張った桶が置かれている。
ロディルトは左腕に装着した法具を掲げた。法具に埋め込まれた劣化結晶が水の精霊を象った紋章を浮かべる。
「〝水の慈悲〟」
ロディルトの掲げた法具から霧雨のような雫が溢れ、小屋の中に充満する。ルカは思わずすんっと鼻を鳴らした。先程まで小屋の中に満ちていたにおいが綺麗さっぱり消え失せていた。心なしか、小屋内に臥せっている五人の衣服や敷かれた薄布まで綺麗になっている。
「ひとまず、小屋内を浄化しました。これより患者を診察します」
「……手伝おう」
ジェイドがずいっと前に出ると、ロディルトともに臥せっている患者の傍にしゃがみ込んだ。
ルカも二人の間から遠巻きに患者の様子を観察する。
苦しそうに呻く患者たちはその全身に発疹が出ており、ロディルトからの質問に発熱による倦怠感を訴えていた。ロディルトがそっと発疹に触れる。痛みはないようで、患者の表情に変化はない。発疹には水が溜まっているのか、指の動きに合わせてぐにぐにと動いた。
「疫病の初期症状としては激しい腹痛、ないし嘔吐から始まる。次いで翌日から発熱し、熱が下がると御覧の通りの発疹が全身に広がるんだ。その後は回復する様子もなく、亡くなることが多い。ルシエ国の医師たちがどうにか特効薬がないかと研究しているが、現状では何の成果も得られていない」
「……ルカ、ルシエ国の地図をロディルトの荷物から取ってきてくれ」
「え? ええ、少し待ってて。ロディルト、荷物あさるわよ」
「どうぞ」
おもむろに口を開いたジェイドの指示に、ルカはロディルトに一言断りを入れると小屋の外へと出る。荷物を漁り、ルシエ国の地図を手に小屋の中へ戻った。
ジェイドはルカから差し出された地図を受け取ると、それを広げた。左右からロディルトとルカも地図を覗き込む。
「最初にこの疫病が発見された場所はどこかわかるか?」
ジェイドの問いかけに、アディナが地図のある一点を指差す。
そこは周囲を山に囲まれた『始まりの渓谷』と呼ばれる場所だった。
「首都へやってきた行商が、この泉で水を飲んだ後、急な腹痛で倒れたと近くの村で保護されたのが最初だ。行商を保護した村の住人も、翌日にはまったく同じ症状を発病した」
アディナの指がルシエ国の首都に近い、リーシャウ河の上流を示す。
「ここの泉はリーシャウ河へと流れ込む水源で、首都を横断する河川の一つだ」
「ジェイドさん……もしや――」
「可能性は高い。正直、最初の発現が十日前だから探り当てられるかは賭けだが……」
ロディルトとジェイドの会話に、アディナは怪訝な顔で首を傾げている。アディナの様子に、ルカは慌てて口を開いた。
「それなら、二手に分かれない? その方が効率的でしょ? 水源調査は私とジェイドが引き受けるから、ロディルトはアディナさんから疫病について被害状況とかを詳しく聞いたりすればいいんじゃない?」
ルカの発言に、ロディルトが笑顔で頷く。
「それがいいでしょうね。時間も惜しいです。構いませんね、ジェイドさん。くれぐれも、無茶はしないように」
「……わかっている」
「決まりね。アディナさん、この水源はここから遠いですか?」
「首都へは徒歩で五日ほど。その手前だから三日ほどだろうか。しかし、山中は険しく――」
「問題ない。行くぞ、ルカ」
ジェイドはそそくさとアディナの脇をすり抜け、さっさと小屋から出て行ってしまう。
「あ、おい……せめて案内を――」
「あ、お構いなく」
慌てるアディナに、ルカは微笑みとともに軽く手を上げて彼女を制した。
「ジェイドは鼻が利くんで! じゃ、ロディルト、後よろしく!」
「はぁ? 鼻が利くって……」
「はい、いってらっしゃい」
困惑するアディナを笑顔のロディルトに押し付け、ルカも小屋を出る。布で覆われた愛用の斧槍を掴み出す。柄を強く握りしめれば、ルカの意思に応えるように斧頭に埋め込まれた精霊核が淡く輝いた。
「〝重力軽減〟」
ルカの全身がそれまでの重さから解き放たれ、少し地面を蹴っただけで遥か頭上へと飛び上がる。ルカはすでにリタの町の防壁を超えたジェイドの姿を捉えるや否や、虚空を蹴って彼の後を追う。
「もう、さっさと行っちゃうなんて薄情ね」
「そう言ってすぐに追いつくだろ」
ジェイドはすぐ近くに降り立ったルカを一瞥するなり、小さく笑った。相変わらず、ジェイドの底知れない体力にルカは舌を巻く。ヴァノス国で初めてともにダンジョンに潜ったときもそうだったが、木々の間を軽やかに跳んでいく身のこなしは特殊な訓練を受けていなければ成せない技である。
「それで、目的地までの行程は?」
「ここから徒歩三日なら、今夜のうちに一日分の行程を済ます。手近な場所で仮眠を挟みつつ、残り一日で二日分の行程を行く」
淡々と説明するジェイドが、表情を険しくした。
「出現前のダンジョンに潜るにも時間制限がある。平均してこの世界にダンジョンが出現する一週間前になると、さすがの俺も潜り込めない」
「急ぐに越したことはないってわけね」
ため息をつくルカが思わず天を仰いだ。街の灯から遠ざかると、夜空に撒かれた星々の光が目に飛び込んでくる。今日もあたたかい寝床で眠ることはできないようだ。
「なんか最近、走ってばっかね」
「時間との勝負だからな」
ジェイドはそう言って、さらに速度を上げた。ルカも無言で続く。
「それに時期としては、今回の相手も『女帝』かその配下の可能性が高い」
「……さっそく『報復』に来たってわけね」
ルカの脳裏にヴァノスで戦った永樹ミルティナの姿が過る。
人間世界では「女帝」と呼ばれる最高位の悪魔は、自らの配下がやられると決まってその報復に乗り出すと以前ジェイドから聞いたことがある。行動力があると言えばいいのか、単に仲間意識の強さゆえの蛮行かは定かではないが、こちらとしても気を引き締めなければならない。
「『女帝』は標的を定めると、どんな手段を使ってでも仕留めにかかる」
ジェイドも目を細め、手近に迫った木の枝を蹴った。
「ダンジョンの予兆で、死者が出るほどのものはそれだけ危険なんだ。侵食率を上げるために、魔界側が常に大量の魔力を注ぎ込んでいる。そのため、魔力に当てられた人間はその命を削られてしまう」
「なるほど……まったく迷惑な話よ。『女帝』ってのは陰湿なだけじゃなく、なかなか苛烈な性格みたいじゃない」
ジェイドとルカは目の前に迫った崖を飛び降り、対岸の地面へと着地する。
「ジェイド、疲れたら言いなさいね。あんたに倒れられるとダンジョン攻略が難しくなるわ。あんた一人くらい、私でも背負って走れるから」
ルカの気遣いを、ジェイドはどこか表情をやわらげて笑った。
「ハッ、それはこっちの台詞だ。バテてから泣き言もらしても、置いて行くからな」
そうして、二人の姿が木々の間に消えていった。
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