Point12-4「大弓の悪魔と東大陸上陸」
「ねぇ、本当にうまくいくと思う?」
「死招きの乙女』号甲板の上で佇むルカは、緊張の面持ちで肩を並べるロディルトに話しかけた。
眼鏡の奥から霧の先を見つめていたロディルトがこちらを振り返る。
その顔には穏やかな微笑が浮かんでいた。
「それはわかりません」
「そこは嘘でも『大丈夫ですよ』って言うところでしょ?」
「それでルカさんの不安が取り除かれるならそう断言しますが……恐らく、無理でしょう?」
ルカが不満顔をしても、ロディルトは澄まし顔だ。
ダンジョンでの場数はそれなりに踏んできたが、ルカとしては魔界でも屈指の実力を持つ悪魔を相手にすることへの恐怖は拭うことができなかった。
「それは、そうだけど……もうちょっと、気持ちが盛り上がるような励ましとかさ……あるでしょ?」
「私が言えることは確実な『事実』のみです」
口の中で不満を口にするルカに、ロディルトも変わらぬ態度で応じる。
「ジェイドさんたちのお師匠である『彩霞の蜃気楼』様は、他者を幻影世界に閉じ込めることに長けています。もちろん、風の賢者の地位に就かれている方ですし、その実力はもはや災害級ですね」
「そりゃ、その強さを疑ったことはないけど……」
ルカは渋い表情になる。
視覚、聴覚、触覚……それら知覚を掌握し、意のままの幻影を見せることがいかに難しいことか。魔術に詳しくないルカですらなんとなく理解できる。
しかし、ルカたちが相手どるのは「悪魔」だ。
人間の生態とは異なった存在であり、未知数な面も多い。
今回の上陸作戦には、イレイズの能力が大きなカギであった。
「そして、ミザールさんの力を借りた『死招きの乙女』号の最大船速はかの大弓の悪魔の一撃を回避することができます」
「でも、二射目以降は避けられないのよね?」
軍艦級の大型船舶を急旋回させるために風の力で支えるにも限度がある。船体の耐久度を上げているが、船舶という構造上の問題はどうしてもついて回る。
「それこそが、我々が甲板で待機する理由ですよね」
ロディルトの微笑を前に、ルカは苦い顔になる。
ロディルトとルカが船上居残りになった理由は単純で、イレイズが「面倒見るのは一人にしておくれよ! 残りはお荷物だ!」という一言だった。
ミザールは船の操舵や乗組員の指揮に徹する。それを補助しながら、大弓の悪魔の二撃目以降を跳ね返す役目を担うのがルカとロディルトであった。
「でも、もし相手にこちらの『意図』を見破られたら……」
なおも言いつのるルカに、ロディルトは朗らかに笑った。
「ルカさんはただ、ジェイドさんが心配なんですよね」
「……心配しちゃ悪い?」
ルカが唇を尖らせた。
わかってますよ顔で言われると、何だか腹立たしい。
「いえいえ。実際、矢面に立つのはジェイドさんですからね。ルカさんが私の分まで心配してくださるので、私は大変気持ちが楽になりましたよ」
ロディルトは穏やかに呟くとおもむろに顔を上げた。
霧が、薄れてきている。
真っ白に閉ざされた世界から、青が見える。船の舳先が青の色に分け入り、陽光を受けて輝く波しぶきを浴びていた。
ルカは手にした斧槍を構える。
傍らのロディルトも、左腕に装着した法具に手をかざしていた。
「いってらっしゃい、ご武運を」
「後ろは心配いらないわよ!」
二人の左右を駆け抜けた疾風に向け、言葉を投げかける。
強い風にさらわれた二人の声が、風を纏って飛び出した三人と一匹の背後へと流れていく。
イレイズ、アルト、ユン、ジェイドは船上から飛び出すと、海岸線に面した切り立った崖を目指す。
「あいつだ!」
船が遥か後方へ退いたと同時に、アルトが声を上げる。
切り立った崖の上、そこに小指の爪先ほどの人影が姿を現した。
全身を緑色の鎧で覆った悪魔は、大弓を掲げるとゆっくりと弦を引き絞る。
魔力を凝縮して生み出した矢が、閃光となって海上を進んだ。ジェイドたちは空中で散開する。矢の向かう先は、ジェイドたちが飛び立った「死招きの乙女」号である。
「やはり、『足場』から崩しにかかったか」
「おい、ジェイ坊! わかってるね!」
イレイズの呼びかけを受け、ジェイドは頷く。
「〝絶対零度〟!」
二人の間を抜け、ユンとアルトが力強く叫んだ。海上に巨大な氷の壁が形成される。
二射目の攻撃を受け、氷の壁はあっさり瓦解する。
「〝氷弾〟!」
砕け散った氷の欠片を受け止め、ユンとアルトが礫として大弓の悪魔に向けて放つ。
悪魔は三射目でそれらすべてを吹き飛ばす。迫る閃光に、ユンとアルトが浮遊を解いた。落下速度を利用し、海面近くで体勢を立て直している。
その間に距離を稼いだイレイズが、風の渦を手のひらに宿した。
「〝豪風渦〟!」
無造作に報られた小さな渦が、次第にその勢力を強めていく。やがて海水を巻き上げ、天と海を繋ぐ柱のように成長して悪魔へと向かって行った。
大弓を掲げた悪魔の手が、一瞬だけ止まる。縦に構えていた大弓を、俄かに横向きに構える。そのまま軽く地面を蹴ると、中空で静止した。
緑鎧の悪魔は弓の握り手に足をかけると、全身を使って弦を引き絞る。
五つの閃光が矢の姿となり、出現した。
「そぉれ、でかいのが来るぞ!」
妙に間延びしたイレイズの掛け声と、悪魔が五本の矢を放ったのは同時だった。
一本がイレイズの生み出した風の渦を跡形もなく消し去った。
「〝絶対零度〟!」
ユンとアルトの氷壁が一本を受ける。分厚い氷壁が粉々に散った。
「〝炎の断罪〟!」
「〝重力斬波〟!」
「剣技――〝鎌鼬〟!」
二本の閃光が「死招きの乙女」号へ降り注ぐ。そこにロディルトたちの精霊術が正面からぶつかった。
ジェイドは己に迫る閃光をじっと見据える。右手をかざし、迫りくる閃光を受けた。
右手首にはまった腕輪が輝き、閃光を吸収する。そのまま、白弓の形をとった。
左手で白弓を掴んだジェイドは弦を引く。悪魔の魔力を浄化の力に変え、一本の光の矢が生み出される。ジェイドの翡翠眼が中空に静止している悪魔の頭に狙いを定め、矢を放つ。
まさか反撃されると思っていなかったのか、ジェイドの放った矢を悪魔は大弓で払った。ジェイドの放った光の矢は悪魔の大弓に僅かな傷をつけただけだった。
悪魔が再び矢を構える。今度は一本。
しかし、その鏃の先はジェイドに向いている。
ジェイドは白弓を手に、口元の笑みを深めた。
「終わりだ」
矢をつがえる緑鎧の悪魔の動きが止まる。ジェイドがつけた大弓の傷から、純白の根が目まぐるしい速さで悪魔の腕を、全身を飲み込んでいく。大弓を手放そうとしてももう遅い。
緑鎧の悪魔は何故、自分が敗北したのかもわからぬまま、桜の大樹にその全身を呑まれていった。
Copyright(C)Itsuka Kuresaki 2025




