Point11-7「貝の間」
目を開いた先に広がる海の底は、変わらず暗闇に包まれていた。
光の差し込まない海底はしんっと静まりかえっており、魔界からの侵攻によって中間世界の生物たちがこの海底から締め出された現状をジェイドたちに訴えている。
その海の闇の中で、ぽつんっと輝く存在がある。
周囲の闇に飲まれそうなほど細い光は、鏡のようだった。
「あれが、天界側のダンジョン?」
ジェイドの傍らで、ルカが呟く。彼女の唇から無数の気泡が上へと昇っていった。
「随分と大胆な行動をとったね。将軍の話じゃ、双方の力がぶつかるとまずいんじゃなかったのかい?」
ミザールが海底にひっそりとたたずむ鏡を覗き込み、ジェイドを振り返った。
「おそらく、この侵食された魔界の領土を維持するための主力がいないため、魔界の力は薄まっていく一方なのだろう」
現に、すでに魔界の手の中にあるはずの東大陸に、最高位を常駐させていることがその証左となる。その詳しい原理まではわからないが、魔界も天界も自分たちが獲得した領土を奪い返されないよう、力の強い存在を置いて維持しているようだ。
「加えて、今まで劣勢に立たされている天界側としては何としてでも巻き返しを図りたいところですね」
「……双方の陣営ともに、形振り構っていられなくなったといったところか」
ロディルトとユンが苦い表情になる。
「行くぞ。準備はいいな」
ジェイドが鏡の前に進み出ると、ちらりと仲間たちを振り向く。皆、表情を引き締めしっかりと頷き返してきた。
ジェイドは薄い鏡の表面へ手を伸ばす。指先が鏡の表面に触れた瞬間、鏡に波紋が広がった。
眩い輝きが放たれ、それが徐々に収まるとジェイドたちは見知らぬ宮殿内にいた。
魔界の荒廃した遺跡とは違い、すべてが美しい姿を備えている。
建築様式は西大陸のものに近い。カルクト王城の謁見の間を想起させる部屋には、滑らかな大理石の床と白い柱が均等に配されている。床には赤絨毯の代わりに、水中で薄っすらと光る貝を床石に混ぜているようだ。ジェイドの足裏が床を踏むたびに、小さな光の粒子が舞い、水に溶けて儚く消えていく。
「……静かね」
ルカの声が宮殿内で大きく響いた。
「この床や天井、柱にこびりついている泡みたいのは何だい? 触ると弾力があるね」
ミザールは靴底で床にこびりついている泡を踏む。餅のように弾力のある泡はミザールの靴底を押し返していた。
「おそらく、ダンジョンの残滓だ」
ミザールの踏みつける泡を見つめ、ジェイドが静かな声音で続ける。
「魔界側に侵食された土地にダンジョンを出現させる際、天界側の神力が魔界の魔力を浄化する。その浄化された魔界の力の残滓が、こうして一時的残っているんだろう」
天界側の侵食率が上がれば、跡形もなく消え失せるだろう。
「さて、まずは『アレ』をどうにかしよう」
ジェイドの視線が天井に向く。彼につられるようにして、ルカたちも頭上を仰いだ。
「……羅針盤?」
アルトが首を傾げる。
天井には長い針を持つ巨大な羅針盤が設置されていた。上下左右にそれぞれ宝石が埋め込まれており、上から右回りに黒、青、赤、白の順だ。長い針先は現在、黒を指し示している。
「何かの装置だってことはわかるけど……」
現状ではこの天井の羅針盤が何を指し示しているのか、どうすれば稼働するのかさっぱりわからない。
「宝石は方位を指し示しているってことはわかる。とりあえず、アタシらは『黒』の方位にいるってことかね?」
ミザールが腕を組み、思案げに呟く。
「ひとまず、室内を探ろう。続きの間へ向かう入り口があるか、何かの仕掛けがあるのか。調査してみないことには何もわからない」
ジェイドは軽く頭を振ると、皆を促して広間を観察し始めた。
「探るったって……壁に描かれた貝くらいしかこの部屋には特徴と言えるものがないじゃない」
ルカは苦い表情を浮かべる。
ジェイドたちが降り立った場所はがらんとしており、白く発光する泡以外にめぼしい宝飾品の類は見当たらない。壁の模様も文字や記号を表しているものはなく、ただ幾何学模様が美しい曲線を描いて巨大な「貝」を描いているばかりだった。
「随分と『貝』にご執心だね。まさか天界の連中も真珠が好きなのかねぇ」
「六百年前、リヤン海の海上に『海の真珠』は存在した。その暗示では?」
どこか小馬鹿にした調子で笑うミザールの横で、ユンが真面目に返す。
「竜の遺した痕跡は見当たらないな」
壁の模様をじっと見つめていたアルトも声を上げる。
「将軍様の別邸で書籍を拝見した際に、ヤウの民話に『幻を見せる大貝』の話がありました。その大貝は島をも飲み込むほどの大きさで、靄を吐き、海上を行く者たちを生み出した幻で惑わせたと聞きます」
壁に手をついたロディルトがミザールたちを振り向く。
「西大陸で伝えられている『海歌人』に似たもんかい?」
「船乗りにとって、海難を引き起こす存在は何よりも脅威だからな」
「じゃあ、その幻を見せる大貝が絡んでいるとなると、私たちが『壁』と認識しているこれももしかしたら幻の可能性があるってこと?」
ミザールとユンの言葉を受け、ルカが壁を指差しながら確認してくる。
「その指摘は正しい。が、まずは斧槍を下ろすことを勧める。実力行使は最終手段だ」
ユンが今にも斧槍を振り下ろそうと構えるルカに待ったをかけた。
「一度、『探査』をかけてみましょう」
ロディルトが左腕に装着した法具を掲げる。風によって乱された波がジェイドたちの肌を撫でていった。
「……まぁ、そうおいそれと尻尾を出すわけがありませんね」
結果は芳しくない。
ロディルトの方がダメとなると、皆の視線は自然とジェイドに向く。
彼はこちらの会話を聞きながらも、一心に壁の「貝」を見つめていた。
「ジェイド、何か見つけられた?」
「この壁に描かれた貝の絵だけ、他とは違う箇所がある」
ジェイドの言葉を聞くなり、ルカたちは彼の周りに集まる。
「どこだ?」
「ここだ」
違いがわからず問いかけてくるアルトに、ジェイドは腕を伸ばして目の前の壁の中心――小さな円が描かれた場所に触れる。
すると、ジェイドが触れた場所が青く色づいたかと思うと、壁が無数の泡となって消え失せた。
「隠し通路ってわけかい」
ミザールが現れた薄暗い廊下を見つめ、口角を僅かに上げる。
「進むぞ」
ジェイドが皆を促し、現れた入り口へと足を踏み入れた。
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