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導の先に立て ―ダンジョン攻略して世界を救う英雄の物語―  作者: 紅咲 いつか
Area4:白霧の境界と渡り鳥

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Point11-0「行く先は何処」

 風に乗って舞い込んできた桜の花弁が湯呑の中へそっと入りこんだ。磨き上げた翡翠のごとく美しい色合いの茶に淡い桃色が浮かぶ。

 立ち上る湯気を眺めながら、ヤウ国の将軍・天剣(あまつか)(まこと)はその幼い(かんばせ)を和ませた。

 茶に浮かぶ桜の花弁と同じ色の双眸を細め、夕暮れの藍色を溶かし込んだような長い髪を無造作に背へ流している。

「無事、『怠惰』を討伐したようだ」

 幼い将軍はその容姿にそぐわぬ老獪な調子で呟いた。

 くつろぐ真の対面に座すのは、屈強な体を持つ男だった。

 一見すると熊のようだ。

 腕や足の筋肉は盛り上がり、何度も傷を作って厚くなった手のひらには無数の火傷の跡がある。

 長い黒髪を無造作に頭の高い位置でまとめ、滅多に手入れしないという髯もあちらこちらと好き勝手に跳ねていた。

「ふんっ、随分とのんびりしてやがるな」

 男は鼻で笑う。出された湯呑を親指と人差し指でつまんで一気に飲み干した。まるで酒をあおるような勢いだ。男の無礼な所作を真は咎めなかった。

 何十年もの間、付き合いのある知古である。

 礼儀作法を話題に上げるのは、むしろ無粋だ。

「そう急くな。我らが相対するは一つの世界。才ある者とて国一つ、変えることも難しい」

 真は茶菓子にと出された桜餅を頬張る。口内に広がる漉し餡の甘さに、思わず頬が緩んだ。

「やはり桜餅は薄い生地に餡を包んだものが一等うまい」

「あ? 桜餅はもちもちの生地に限るだろうが」

 大きな身体を丸め、桜餅を手に迫る男に真はニヤッと笑った。

「ほれ見よ。茶菓子一つとっても、こうも折り合いがつかぬ」

「ふんっ。お得意の屁理屈か」

「風情を嗜んでおるだけのこと。人の数だけ、好みも多い」

 真と男はほぼ同時に桜餅を頬張る。

 室内に、しばらく双方の咀嚼音だけが響いた。

「……素直になれ。弟子の成長を喜ぶことを誰も咎めたりはせぬ」

 だしぬけに、真の声が告げた。その声音に、先程までのからかいの調子はない。

 向けられた双眸は、あくまで男を気遣うものだった。

「……お前さんならわかるはずだ。上に立つ者は情に流されることはねぇ」

「ふんっ、頑固者め」

 脇息に肘をつき、もたれかかりながら真はため息をついた。

「そうして意固地になっておるから、大切な者たちが先立つ時に悔いることになるのだ。大志の下、散ることを悔いられてはならぬ。それでは、守るべき者のために立ち上がった者たちを辱めることになる」

「あいにく、俺ぁヤウの死生観や武士道には興味ねぇ」

 男は空になった湯呑を真へ差し出す。真は何も言わず、急須から茶のおかわりを注いでやった。

「何より、『死』から遠いお前らの言葉は詭弁だ」

 男の鋭い目が、真を射抜く。

「死なねぇ奴が死んでいく連中のことを理解などできやしない。それでもてめぇらは臣下に対し、『死を恐れず進め』と平然と言いやがる」

「では、逆に問おう。死ねぬ者の苦しみを、死ぬことができるそなたらが理解できるのか?」

 真は穏やかな表情で切り返してくる。男は沈黙した。

 遠くで小鳥がチチチと鳴く。穏やかな陽光が座敷内へ差し込み、対面で座す二人をそっと包み込んだ。

「『怠惰』の件は双方の合意の上。加えて弟子の嬉しい成長も見られたではないか」

 真の桃色の双眸が、刃物のような鋭さを帯びる。


「そろそろ、反撃に出る時期ではないか?」


「まだ、だ」

 男は即答する。しかし、すぐにどこか迷うように唸った。

「……それは、ローゼンとこの坊が決めることだ。俺たちが決めることじゃねぇ」

 男はわずかな沈黙の後、静かに囁いた。

 空となった湯呑を置き、腰を浮かす。

「またいつものところに籠る」

「……まだ完成せぬか?」

 こちらに背を向けて立ち去ろうとする男を、真は呼び止めた。

 敷居をまたごうとした男の足が、再び畳におりる。

「刀身の切れ味がまだ柔い。まだまだ改良を重ねる必要がある。それに、あいつの術が未完成なままでは、鳥を大空へ飛ばすことなどできやしねぇ……」

 男はむすっとした口調で続ける。

「お前らと違い、俺たちの命は一瞬だ。備えは万全を期す。考え得る懸念は取り除く。でなけりゃ、あいつらを無駄に死なせるだけだ」

 顔だけこちらを振り向いた男の両目が激しい怒りを湛えていた。

 己の弟子たちをダンジョンに食われ続けた男の怨嗟は、翡翠眼の渡り鳥の抱える憎悪と似ている。静かにくすぶり続ける怒りと憎悪は、目の前の男の生きる目的に他ならなかった。

「鳥が無事に飛び立てるよう、俺の技術と知識を全て注ぎ込むんだ。それが若ぇやつらを死なせて、おめおめと生き恥をさらしている野郎の意地ってやつだ」

 男はそう吐き捨てると、のそりと重い足を動かして座敷を後にした。

「……やはり、お主らに我らの気持ちはわからぬよ」

 すでに見えなくなった男の背に向けて、真は僅かに表情を曇らせた。寂しさが滲む声音が、すっかり冷めてしまった茶に落ちる。

「先だった者たちを想い、命を燃やし尽くせる力を持つそなたらを……ただ見送ることしかできぬ我らがどれほどの悲しみを抱いているか。お主らにはわかるまい」

 遠くで鳴いていた小鳥が止まり木から羽ばたいた。

 真の目は、空へ飛び立った小鳥の影をいつまでも追いかけていたのだった。

Copyright(C)Itsuka Kuresaki 2024

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