Point9-18「現と幻境」
「ロディルトー、この壁の模様は?」
「……特に、仕掛けの類は見当たりませんね」
ルカの呼びかけに応じ、ロディルトが壁の模様に手を添えた。探査の精霊術を行使した後、ゆっくりと頭を振る。
「そっか……」
ルカはがっくりと肩を落とす。
水竜王の姿を映した泡が消えた後、ジェイドの提案でこの辺りの壁やら天井やらを探っているがこれといった手がかりは見つからなかった。
「必ず、何かあるはずだ」
ジェイドは断固とした態度を崩さない。前回のガバリアンの王女や人魚の女性のこともあり、必ずどこかに秘密の通路なりがあると確信しているようだった。
「アルト、何か見えるか?」
「全然。どれも普通の壁」
アルトは透明な鱗を覗き込み、周囲を見回している。傍らで警戒をしているユンに、アルトはお手上げだと言わんばかりに肩をすくめた。
「見えない壁があるわけではない。本当にただの行き止まりかね?」
ミザールもコンコンっと壁を叩きながら広間を歩き回っている。
「またこのパターン? 怠惰の連中、もうちょっと仕事しなさいよ!」
「連中が積極的に仕事したら、アタシらは連戦続きになるかもしれないよ?」
「それでもこうやって途方に暮れるよりはずっとマシよ!」
「……まぁ、確かに。こちらが仕掛けを見つけ出さないと動き出さない。かえってその方が面倒だな」
相手側からのアクションがない以上、こちらが動かなければならない。
それがこちらの気力や体力を消耗させるためにしていることなら、「怠惰」の配下たちは能率を重視した策士である。
「ねぇ、一回目の時はロディルトが炎で熱したら光る小魚の群れが私たちを見えない入り口に導いてくれたでしょ? 試してみるのはどう?」
「それは現状、厳しいかと……」
ルカの提案に、ロディルトはあっさり首を振った。
「酸素が足りなくなって窒息死するな」
「ここの廊下の構造も問題だね。こう遮蔽物がない場所じゃあ、結界を張っても海水が高温に熱せられることで逃げ場がなくなるね」
ジェイドとミザールが顔を見合わせた。
「いっそ、冷やしてみるか?」
ユンがアルトに目配せをしながら提案する。
「海水温が下がることで活発に動く光魚もいるかもしれない」
「それ、アタシらも氷漬けになりはしないかい?」
真顔で言うユンに、ミザールがすぐさま待ったをかけた。
「なぁ、ロディルト……この鱗に小さく明かりを透かしてみたい。炎、出せるか?」
「やってみましょう」
ロディルトがアルトから鱗を受け取ると、指先に小さな炎を灯して鱗に透かして見せる。細い光の筋が壁の上を這う。特に変化は見られなかった。
「……残りの遺物は『音』に関するもののはずだ」
「でも、変な音なんてしないわよ?」
ジェイドの独り言に、ルカは周囲を見回す。一行が沈黙した後も、通路内は耳鳴りを催すほどの静寂に満ちていた。
「人間が知覚できる音域でない場合もある」
「アルト、何か音は拾えるか?」
ジェイドの指摘に、ユンがアルトに問う。アルトは耳を澄ますように沈黙した後、首を横に振る。
「ううん、オイラにも聞こえない」
「なら、風の流れを作ってみるかい?」
ミザールが手の中で風を生み出すと、それを辺り一帯へと広げていく。海水が波打ち、ルカは自分の長い髪が頬を打つのを疎まし気に払った。
すると、皆の耳に誰かが歌う声が届いた。
ジェイドたちは一斉に声のする方角へ顔を向ける。天井の片隅だ。
「当たりだな」
ジェイドの顔に笑みが浮かぶ。
「ミザール」
「あいよ! 風よ!」
ミザールの起こす風に乗り、海水に渦を巻き起こしながらジェイドたちは「歌声」の響く辺りへ突っ込んだ。
すると、それまでの景色が一変、ジェイドたちの目に煌びやかな照明や宝飾品の輝きが飛び込んできた。
「へっ!? あっ!? ぶっ!?」
ルカは上手く受け身が取れず、そのまま顔面から床へダイブする。
顔を上げてぶつけた鼻をさすっていると、ロディルトやアルトもバランスを崩して床上に座り込んでいた。ロディルトは尻もちをついた際にぶつけたとみられる箇所を手でさすっている。
「いきなり水がなくなったな」
今まで海水の中を移動していたこともあり、皆、全身がずぶぬれだ。ポタポタと服からしたたり落ちる水滴が、乾いた廊下の絨毯にシミを作っていく。
「ここは一体……?」
ユンが窓辺に歩み寄ると、息を呑む。
「うわ……港町だ! 海も近い……」
ルカも窓に張り付くと、喜色を滲ませて声を上げた。
「……違う。これは……」
「海の真珠」
ユンの震える声を遮り、ジェイドが低い声音でこぼした。
「ここは、かつての海上都市の姿だ」
「誰かいるの?」
ジェイドの呟きを聞きつけた誰かが、声をかけてきた。
一行は弾かれたように振り返る。
赤い絨毯の敷かれた廊下に佇んでいたのは、年の頃なら十六、七の少女。
波打つ黄金の髪に真珠の髪飾りを付けた愛らしい娘だった。
少女の姿を目にして、ルカは思わずあっと声を上げる。
目の前に現れた少女は、ジェイドたちが最初に出会った白い泡が象った少女の姿そのものだった。




