Point9-11「人魚姫の刺客」
「敵!?」
素早く武器を構えるルカに、目の前の人魚は何の反応も示さなかった。
〝――助けてあげましょうか?〟
ただ口を開き、そう微笑む。
「誰が誰を助けるって?」
ルカが困惑に顔を歪めた。
「……もしかしたら、我々に語り掛けているわけではないのかもしれません」
ロディルトも目の前の人魚の言動に違和感を覚えたようだ。
〝代価として、私を妃として迎え入れなさい。そうすれば妖精の力はあなたのものよ〟
人魚はそう囁くとその口元を三日月の形に吊り上げる。
〝海歌人と波霊の間に生まれた人魚の声こそ、あなたの前に立ちふさがる障害を退ける矛となるでしょう〟
ひどく意味深な言葉を残し、目の前で不敵に微笑む人魚の姿が泡となって消える。どうやら、先程広間で王女の姿を記録したものと同じだったようだ。
「……人魚姫の復讐」
ジェイドが小さく呟く。
西大陸に伝わる妖精の遊戯盤の一種であるが、その内容は実在した王と人魚による愛憎劇であるとユンから聞いている。
「……まさか、六百年前の修羅場を追体験なんてことはないわよね?」
ルカが嫌そうな顔でロディルトを振り向く。ロディルトはその顔に微笑を浮かべただけで特に何も答えない。それがかえってルカの不安を掻き立てたようだ。
「ねぇ、ジェイド……」
「先程の人魚の言葉こそ、このダンジョンを攻略する鍵だろう」
ルカの呼びかけを無視して、ジェイドは顎に手を添えて思案げに周囲を見回していた。
浅い海の中はひどく幻想的で、色とりどりのサンゴ礁がジェイドたちの目を楽しませている。ここがダンジョンの中でなければ、このまま海中遊泳を楽しみたい気分だ。
「ジェイドさん、この貝、少しおかしいです」
ロディルトの呼びかけに、ジェイドとルカがサンゴ礁の近くでしゃがみ込む彼のもとへと歩み寄る。
サンゴ礁の下に鎮座しているのは、子ども一人が優に入る大きさの二枚貝だった。
「大きい貝ね……突然、襲ってきたりしないわよね?」
ルカがあからさまに警戒している。
「それはないと思います。この窪みを見てください」
二枚貝の間には魚の鱗を思わせる窪みがあった。
「この階層の仕掛けだろうな」
「まぁ、海の中ならではの仕掛けよね」
冷静に巨大な二枚貝を見下ろすジェイドの横で、ルカも呆れ顔で乾いた笑いをもらす。
「この窪みに魚の鱗でもはめ込めばいいわけ?」
「おそらくそれで間違いはありません。問題は、これだけの大きな鱗を持つ魚、ないし生物となるとそれなりに大型のものですね」
「ねぇ、それなら……ここ、おかしくない?」
身を起こし、改めて周囲を見回したルカが顔を引きつらせた。
「これだけサンゴ礁や藻が豊富な場所なのに、どうして魚が一匹もいないの?」
ルカの疑問に、ジェイドとロディルトも互いに顔を見合わせる。
「ルカ、俺たちに背中を合わせろ」
「え? う、うん……」
硬い声音で告げたジェイドの指示に、ルカは戸惑いつつも頷く。斧槍の柄を両手で握りしめ、ルカはロディルトとジェイドの背に己のそれを預ける。ジェイドとロディルトも互いに背を預け合い、いつでも戦えるよう武器を構えていた。
辺りは変わらず、穏やかな海中の景色が続いている。
「ねぇ、ジェイド。一体、何に備えればいいの?」
「あの人魚は『海歌人と波霊の間に生まれた人魚』と話していただろう?」
「ルカさん、思い出してください。『人魚姫の復讐』のルールを……人魚の駒が持つ能力は何でしたか?」
ジェイドとロディルトの言葉に、ルカも表情を引きつらせる。
「魅了?」
「おそらく、相手に暗示をかけることで一定時間の間、己の意のままに操ることも可能だったはずだ」
――助けてあげましょうか?
人魚は最初にそう声をかけてきた。そうして目の前の障害を排除するとも話していた。
「ダンジョンにとっての『脅威』と言えば、侵入者しかいない」
ジェイドが断言し、ロディルトが炎を生み出した。
「〝炎の断罪〟!」
ロディルトが叫んだのと、何かの断末魔が耳に届いたのは同時だった。
「何かいる!?」
「すでに囲まれている!」
ジェイドも手にした剣をおもむろに振った。何かを切り裂いた確かな手ごたえを感じる。
「ちょっと、姿の見えない相手にどうすればいいのよ!?」
ルカも泣き言を叫びながら斧槍を振るっている。
これも、あの泡と消えた人魚の暗示だろうか。
「すでにかけられた暗示や幻影を自力で解くことは困難です」
ロディルトも苦い顔でぼやいた。
「外部から、何らかの衝撃があれば話は別ですが……現状では望めませんね」
ルカは正面を見据える。色とりどりの美しいサンゴ礁がこの上なく恐ろしい殺戮者に思えた。
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