Point1-16「集結」
「っ!? セフィス、キトゥス!?」
ミルティナはハッと顔を上げた。
もとより白い顔からさらに血の気が引いていく。
彼女の足元から伸びた蔦の先には、目を伏せて動かないジェイドの姿がある。
二人は樹の根が絡まり合い、巨大な球体を形成する空間の中にいた。樹の根に絡まったジェイドは規則正しい吐息を繰り返して眠っている。
ミルティナはそんなジェイドの傍で膝から崩れ落ちた。妹たちの気配が消え、ミルティナの頬をいくつもの涙が雫となって伝う。
「ああ、ああ……セフィス、キトゥス……どうして、姉を置いて、貴女たちが逝ってしまうのですか……」
ミルティナは両手で顔を覆うと、嗚咽を噛み殺すように唇を引き結ぶ。しばらく蹲って動かなかった彼女が顔を上げると、その鋭い瞳は気を失っているジェイドに向いた。
「許しません。魔界十三魔将が一人、『色欲』を司る最高位アルディナス様が配下、永樹ミルティナは姉妹の仇を凄惨なる報復を持って全うします」
ミルティナの両手が、意識のないジェイドの頬にそっと触れる。
その美しい顔が、暗い笑みを宿した。
「一時とはいえ『弟』を得るのもよいかもしれませんね」
ミルティナの笑みがくすくすと笑った。
「悪魔を憎む貴方がその同胞となり、大切な仲間をその手で屠る様は……最高の復讐と言えるでしょう」
ミルティナの口がぱっかり開く。ミルティナの舌先が、大きく膨らんだ。舌先から芽を覗かせた種が顔を出す。
「アルディナス様の配下に加わる栄誉を、光栄に思いなさい」
ミルティナの顔がジェイドに近づく。ミルティナの指先がジェイドの唇をなぞる。彼女の舌がジェイドの唇にそっと触れた。
ジェイドは首都サンレムの街並みを眺めながら歩を進める。
色とりどりの花々が咲き誇り、白い家壁を彩る様は十年前に見た景色となんら変わらなかった。
行き交う人々は皆、ジェイドと同じような裾の長い前開きの筒型衣を纏っている。舗装された石畳の道を進みながら、ジェイドはスンッと鼻を鳴らした。
まるで熟れた果実のような芳香が、辺りに満ちている。吹き抜ける風に香が薄れると、遠くで鐘の鳴る音がした。顔を向ければ聳え立つ神殿が、その四つの尖塔を空へと伸ばしている。
「……」
ジェイドは神殿の方へ足を向ける。神殿前の噴水では、二人の男女がこちらを振り返った。
長い金髪に空の青を思わせる瞳を持った女性と、鮮やかな茶髪に翡翠色の瞳を持った男性がジェイドに微笑みかけてくる。
「父さん? 母さん?」
ジェイドは呆然と呟く。二人に向けて伸ばした己の手が小さい。まるで十年の時を遡ったようだ。
「ジェイド、探したんだぞ? どこに行っていたんだ?」
ジェイドの父親が息子を抱き上げながらため息をついた。
「うふふ、精霊との契約ができからとはしゃぎすぎよ」
母親も父親と並び、ジェイドの背をそっと手のひらで撫でた。
たったそれだけのことで、ジェイドは父親の首に腕を回して抱き着いた。
今までの悪夢を振り払うように、父親の肩に顔を埋めてそのたくましい身体にしがみつく。
「ジェイド……何かあったのか?」
黙り込むジェイドを、父親が心配そうな声音で話しかけてくる。
ジェイドは静かに頭を振った。
「何でもない……少し、嫌な夢を見たみたい」
ジェイドは小さく頭を振ると、顔を上げて父親に笑いかけた。
「さ、精霊との契約を受けに行きましょう」
母親もジェイドをあやすように軽く背を叩く。
「うん。父さん、母さん……」
ジェイドは小さく頷く。
三人で神殿の中へ入ると、長い金髪を結わえた女司祭が微笑を浮かべて迎えた。
ジェイドは顔を上げて、女司祭をじっと見つめる。心なしか、街を包んでいた芳香が彼女の全身を包み込んでいた。
「新たに精霊の加護を受ける者、貴方の未来に精霊の祝福がもたらされんことを」
ジェイドは神殿の床に刻まれた四つの精霊を象った紋章の上に立つ。そこで女司祭と向き合った。
女司祭が傍に控えた神官から精霊核を受け取る。
「さぁ、こちらに手を」
ジェイドは差し出された精霊核を見つめる。
そっと腕を上げ、ジェイドは精霊核に手をかざした。
「さぁ、復唱してください。風の声、水の眼――」
「必要ない」
ジェイドは女司祭の手に乗る精霊核を掴んだ。
「ジェイド!?」
両親の悲鳴が聞こえた。
ジェイドは振り返ることなく、掴んだ精霊核を握りしめる。彼の手の中で精霊核が一振りの剣となった。ジェイドは掴んだ剣で女司祭を切りつけた。
周囲の景色が一斉に遠のき、ジェイドの前には顔を両断されたミルティナが目を見開いて絶句している。
「なっ、何故私の魔法が解けた……っ!?」
ミルティナが信じられないとばかりに叫ぶ。
「五年間、渡り鳥として様々なダンジョンに潜ってきたんだ」
ジェイドは憎悪を燃やす瞳をミルティナに向け、剣の柄を握る手に力を込める。
「両親の幻なんて散々見て来たんだ。今更、動揺なんかしない」
ジェイドは剣に体重をかけてミルティナの身体を切り裂いた。
大きく距離を取ったミルティナを見据え、ジェイドは不敵な笑みを浮かべる。
「それに……俺は普通の人より、少しばかり鼻が利くもんでな」
「精霊術もまともに操れぬくせにっ!」
ミルティナが右手を突き出す。そこへ、横合いから放たれた炎塊が彼女の腕を焼いた。ミルティナの口から絶叫が迸る。
「ジェイドさん、ご無事ですか?」
根の隙間からどうにか体を潜り込ませたロディルトが、ジェイドの姿を見てホッと表情を綻ばせた。
「問題ない」
「おやおや、では全身土まみれなのは何故でしょう?」
断言したジェイドに、ロディルトは容赦のない指摘を返す。
ジェイドの表情がすぐさま苦いものを滲ませた。
「そこは深く追求しないでくれ」
ジェイドはロディルトから顔を背けて深いため息をついた。
「調子に乗るなよ、人間がっ!」
ミルティナの姿が崩れる。ジェイドとロディルトの足元の根が大きく波打った。
「絞め殺してくれる!」
根と同化したミルティナが、ジェイドたちの足場を無くし、その鋭く尖らせた根を二人へ振り下ろした。すると、パッと二人と根の間に人影が飛び出した。
「〝重力斬波〟」
ルカが振るう斧槍がミルティナの根を切り払った。
「ルカ、無事だったのか」
ジェイドが少しばかり目を見開き、感心した様子で呟いた。
「あれくらいで死ぬわけないでしょ!」
ルカは手の中で斧槍を回すと、ジェイドを振り返った。
心なしか顔色は悪そうだが、その勝気な笑みはまったく揺るがない。
「私はあんたの用心棒なんだからね!」
「……そうだな」
ジェイドがフッと小さく笑った。
「さて、無事合流も叶いました。総仕上げと行きましょう」
ロディルトも二人の傍らに降り立つと、ルカと並んで法具を構えた。
三人の眼前では、怒りに身をよじるミルティナの姿がある。
「おのれ、おのれ、人間の分際でっ……我らに大人しく食われておればよいものをっ!」
ミルティナの姿が樹の根が絡まる巨人の姿へと変貌する。体のあちこちから枝が伸び、色鮮やかな花々が咲き乱れる。
「花の咲いた枝には注意しろ。おそらく、あの枝を人間の肉体に埋め込むことで支配しているようだ」
ジェイドも剣を構えたまま、二人に助言する。
「そういえば、セフィスとかいう女も、アレと似たものを頭に生やしていたわ」
ルカが思い出したように呟く。
「私やルカさんが相手をしたお二人はミルティナの姉妹などではなく、かの悪魔が支配した元・人間たちでしたか」
ロディルトがどこかやるせないと表情を曇らせる。
「感傷に浸る暇はない」
ミルティナが振り下ろした拳を、ジェイドたちは大きく跳んで避けた。
「さっさと片を付ける!」
ジェイドは言うなり、壁に這う根を蹴ってミルティナへ剣を振り下ろした。
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