Point7-7「リュサ・ノーレンへ」
「現在、リュサ・ノーレン国では実にお祭りムードと言った状況だ。他国に対して翡翠眼の渡り鳥への敵対心を煽る声明を発表した精霊教会の教皇、ゲルダ・ド・リュサ・ノーレンは聖霊より神託を受けた、と主張しているそうだ」
「神託? お告げってこと……?」
ルカは思わずミザールに目を向ける。
「言っておくけどね、ルカ。確かにアタシは精霊の溺愛者だが……産まれてこの方、お告げだとかそんな大層な声は聞いたことがないよ」
「自然界における霊力に自我が宿ったという話は聞いたことがありませんね。不可能とまでは申しませんが……現在の研究では『極めて厳しい』とされています」
困った顔のミザールの横で、ロディルトも言葉を添えた。
「とはいえ、大衆相手を味方につけるだけなら、『神託』という単語だけで十分効果的だ。問題は、各国が動いたことだ」
「教皇の言葉を裏付ける、明確な証拠があったというわけですね?」
サユンの含みのある言い方に、ロディルトが唸った。
「そういうこと。あの教皇、額に変な紋章が浮かび上がっていたんだ」
アルトが言い、沈黙を保つユンが懐から取り出した新聞をロディルトへ手渡す。
「右、半年前。左、一週間ほど前のもの」
ロディルトはユンから新聞を受け取り、見開きに視線を落とす。ユンが差し出した新聞は中央大陸で広く読まれているものだった。ジェイドたちもロディルトの脇から新聞を覗き込んだ。
そこには写真機によって映し出された教皇の写真が掲載されていた。一週間前に発行されたものには、額に何やら印のようなものを刻まれた教皇の写真が大きく映し出されている。
「こいつ……ジェイドと同じ……」
「……」
ルカは黙り込むジェイドを振り向いた。
ジェイドは教皇の額に刻まれた紋章を凝視している。
「二つの正方形と円を重ね合わせた紋章……」
初めて見る紋章だった。
「悪魔たちの紋章じゃないわよね?」
「ああ。悪魔は三重の円にそれぞれの称号をあしらったものを入れている」
「だからこそ、サユンさまは教皇の背後にいるのが『天界側』だと判断したのですね」
ロディルトの言葉に、サユンは即座に頷いた。
「魔界側の勢力はダンジョン内に迷い込み、生きていた人間の魂に刻印を記し、斥候のような形で中間世界へ積極的に放逐している」
六百年前は、この手法がそれなりに功を奏していた。ゆえに、アルトナが魔界側への防衛策として人々の魂に精霊核を宿し、精霊術を扱えるようにしたのである。
「精霊術の行使は悪魔への対抗手段としてはもちろん、悪魔が人間に刻印を記すことができないようにする目的があった。アルトナの偉業の中でも、ことこの一点に置いては精霊教会側もアルトナを高く評価している。しかし、いかなる組織においても、逆行したがる連中とは一定数いるものだ」
「……つまり、魔界も天界も、人間に刻印を刻むことができるのは魂に『精霊核』を宿していない子どもに限られるわけか」
サユンの補足に、ミザールが唸った。
十年前、ダンジョンに巻き込まれたジェイドは精霊核を宿す前だった。だからこそ、悪魔・ヘルヴェムはジェイドに刻印を刻むことができたわけだ。
「じゃあ、天界にも魔界十三魔将みたいな存在がいるの!?」
「さすがに、手がかりがこの紋章一つだけではわからないですけど……可能性はありますね」
天界側は、自分たちの存在以外を「不浄」のものと見なす傾向があった。
それは天界側のダンジョンがダンジョンブレイクを引き起こした際、あらゆる生命を浄化させてしまう点から精霊術師たちが導き出した仮説だった。その根拠とされたのが、魔界側が人間を積極的に利用するのに反し、天界側は今まで人間も悪魔もすべて自分たちの力でねじ伏せてきた経緯があったためだ。
「そういう意味では、悪魔は人間をよく研究している。我々の行動原理や文化を蒐集し、ダンジョン構築にも利用しているくらいだからな。だからこそ、我々は魔界の悪魔とは言葉が通じるわけだ。嫌な表現になるが、悪魔側の方がまだ人間に対して寛容だというわけだ」
「そっか……だからリュサ・アンタレスの都の跡地にあった、封印されたダンジョンの連中とは会話ができなかったわけね」
背に翼を有した天界の戦士たちは、聞き慣れない言語をしきりに叫んでいた。
その時はそれをひどく奇妙に感じたが、今思えば異世界の住人同士が平然と言葉を交わせること自体がおかしなことである。
「一つ確認していいかい? 精霊教会の教皇が刻印を刻まれたということは、精霊核を宿していなかったということだね。その理由は、やはりアルトナ絡みの理由かい?」
「貴殿の見解で相違ない。精霊教会は長らく、魂へ精霊核を宿す行為を忌避していた。ただ、ダンジョンへの対抗策で精霊術の有用性が認められるにつれ、精霊教会側も取り入れるようになった。ただ……教皇を始めとする教会の上層部は未だに精霊核を宿すことを禁じている」
精霊教会の教皇並びに枢機卿の地位まで登り詰めるには、魂に精霊核を宿さずに生きなければならない。精霊核を魂に宿した者は「守護者」と呼ばれ、教皇や枢機卿たちの示す聖霊の意思の代行者として線引きされてしまうためだ。
「何よ、その選民意識……『私たちを狙ってください』と言わんばかりね」
ルカの皮肉に、サユンも「まったくだ」とため息をついた。
「……印が刻まれたということは、リュサ・ノーレンにダンジョンが出現したということ。俺たちはそれを踏破すればいいんだな?」
ジェイドはサユンに確認する。サユンの顔に満足そうな笑みが浮かんだ。
「そういうことだ。精霊教会側も、自分たちの総本山にダンジョンが現れたとなれば、少しは精霊都市側の主張に耳を傾けることもあるだろう。……多少の荒療治でなければ、あの頑固者どもは動かぬ」
サユンはどこか楽しんでいる様子だった。
「リュサ・ノーレン国への渡航手段は整えてある。さすがに、貴殿の船では目立ちすぎるゆえな」
「その点は任せるよ。とはいえ、信頼がおける連中なんだろうね?」
サユンの言葉に、ミザールも異論はないようだった。ただ、船を操舵する船員の力量については確認せずにはいられない様子だった。
「問題ない。余が直々に厳選した者たちだ。ユン、アルト。お前たちもジェイドたちの旅に同行し、ダンジョンの脅威を取り除く手伝いをしろ」
「御意」
「おう! おいらたちに任せてくれ!」
「なら、急ごう」
ジェイドは踵を返すと、そそくさと扉へと向かった。
「これ以上余計なことをされないうちに、さっさと片を付ける」
「ちょっとジェイド、待って!」
ルカとミザール、ユン、アルトがジェイドの後を追う。
「では、我々はこれで――」
「ローゼンの愛弟子」
一礼してその場を辞そうとしたロディルトをサユンが呼び止めた。
「はい」
ロディルトは素直にサユンへ向き直る。
「過去の因縁に、我を忘れてはならんぞ」
「無論、心得ております。精霊都市を代表する精霊術師として、感情に任せた対応は――」
そうではない、とサユンはロディルトの言葉を遮った。
「ゲルダとお主個人の因縁。余が知らぬわけではない」
「……」
サユンの淡々とした言葉に、ロディルトは口を閉ざした。その鳶色の双眸に、暗い炎が灯ったのを、サユンは見逃さなかった。
「ゆめ、忘れるな。どれほど憎かろうが、相手は教会の頂点。私憤で奴を手にかけるようなことはするなよ」
サユンの警告に、ロディルトはただ黙して聞いていた。やがてサユンに一礼すると、ジェイドたちを追って謁見の間を後にした。
走り去ったロディルトの背を、サユンは警戒の眼差しで見送っていた。
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