Point1-11「攻略開始」
眠っていたジェイドが、唐突に跳ね起きた。
「うわっ!? 何!? いきなり……」
何の前触れもなく起き上がったジェイドに、愛用の斧槍を磨いていたルカは変な悲鳴を上げた。表情を強張らせているジェイドは、じぃっと何もない空間を睨んでいる。
「そろそろ時間ですか?」
焚火の傍で本を読んでいたロディルトが慣れた様子でジェイドに問いかける。
「ああ、においが濃くなった」
ジェイドの言葉に、ロディルトも読んでいた本にしおりを挟んで荷物の中に仕舞い込んだ。
「ダンジョンがまもなく出現します。戦闘準備をお願いします」
「とうとう来るのね!」
ルカは嬉々として磨いていた武器を傍らに、手入れ道具を仕舞う。
ジェイドやロディルトも各々の装備を整え、最終確認を行なっていた。
「ダンジョンに潜ったら、まずは地下を目指す」
支度を整えたルカとロディルトを前に、ジェイドがダンジョン内での段取りを伝えた。
「基本は三人で行動するが、悪魔による策略ないし罠などが理由で俺たちが意図せず分散した場合……負傷時を除いて最深部を目指すこと。場所が迷宮になっている場合は精霊術の効力が弱まる場所を探せ」
ジェイドはルカへ顔を向ける。
「ダンジョンでは撤退や待機している方が危険に陥ることが多い。下級悪魔たちは知能が低くとも、相手の不利を察知する能力はある。元来た道を辿る連中や同じ場所に留まり続ける奴を見つけるや、相手が何らかの理由で弱っていると下級悪魔たちが認識し、攻勢を強めてくるんだ」
「なるほど……肉食獣並みの知能はあるのね」
ルカは顎に手を当てると、どこか感心した様子で呟く。
「ルカさん、これを」
ロディルトが劣化結晶のはめ込まれた装身具を差し出してきた。
「負傷し、どうしても移動が困難な時に使ってください。治癒と目くらましの精霊術を施してあります。下級悪魔相手であれば、奴らの目をごまかすことができるでしょう」
ルカは礼とともにロディルトから装身具を受け取る。それを羽織ったローブの首元に装着した。
「それと、一つ忠告だ。仲間とはぐれた上で人間に近い容姿の悪魔に遭遇した場合は、即刻逃げろ」
ジェイドの険しい表情に、ルカも小さく頷く。
「そいつが大将首ね?」
「いや……人間の容姿を持った悪魔の中には、肉体を失うと己を殺した相手に憑依し、肉体を奪う悪魔もいるんだ。そういう悪魔への対処方法はロディルトを含めたミルネフォルンの精霊術師たちが知っている」
「残念ながら、その精霊術を扱える人材はそれほど多くないのですけれど……」
期待に満ちたルカの視線を前に、ロディルトが困った顔で笑う。
「とにかく、ロディルトが傍にいない場合はできる限り人型の悪魔との戦闘は避けるんだ」
「了解。悪魔って厄介な奴しかいないわけね」
ルカも苦い顔で呟く。
「そろそろだな。構えろ」
ジェイドが腰のベルトに吊るした鞘から剣を引き抜く。ルカは斧槍を手に構え、ロディルトも左腕に劣化結晶のはめ込まれた法具を装着した。
ロディルトの法具は籠手に小さな円盤が埋め込まれたもので、精霊都市ミルネフォルンの精霊術師に支給される精霊武器の一種である。
己の扱う属性以外の精霊術を行使する際、この法具にあらかじめ該当の元素の力を宿した劣化結晶を埋め込んでおくことで別元素の精霊術を使うものだ。
ルカも知識としては知っていたが、実際に目にするのは初めてだった。
三人が武器を構えた瞬間、周囲の空気が変わった。
草木の香りが一斉に遠のき、肌寒さと光を失った世界が再びルカの前に現れる。頭上に広がる夜空と、地表を覆い尽くす巨大な木々と青く光る燐光をまき散らす花々が広がった。
「行くぞ!」
ジェイドの掛け声とともに、ルカたちは走り出した。
遠くで鋭い威嚇の声が上がっている。それに呼応するように、鬨の声と角笛の音が響いた。
「正規軍側も悪魔たちとの戦闘を開始したようです」
ロディルトはジェイドの後に続き、ポツリとこぼした。ルカも無言で頷く。
崩れた遺跡の壁や石畳の道が眼前に見える。ジェイドが懐から短剣を取り出すと、石畳に向けて放った。ジェイドの放った短剣は石畳の上に深々と突き刺さる。しかし、何も起こる様子がない。
「罠はないのね」
ルカはホッと安堵の息を吐くと、ジェイドの後に続いて石畳の道をひた走る。やがて森が途切れるとすぐさま、都市の遺跡群が見えてきた。
頭上から甲高い咆哮がジェイドたちに降り注ぐ。
「下級悪魔の群れ!?」
「領空警邏していたんだろ、突っ切る!」
ジェイドが降下して襲い掛かってきた一匹をあっさりと両断する。
「〝炎の断罪〟」
ロディルトの突き出した左手の先に、炎の精霊を象った紋章が浮かび上がる。そこから放たれた無数の火炎球が、滞空していた下級悪魔たちを飲み込み、大量の仲間を巻き込んで爆ぜた。
「〝重力荷重〟」
ルカの振りかざした斧槍に埋め込まれた精霊核が、強い光を放つ。普段より出力を上げるよう意識し、上空を飛び交う下級悪魔たちに向けて斬撃を飛ばした。
浮力を失い、重力に肉体を引っ張られた下級悪魔たちが地面に激突した。下級悪魔たちの全身にかかった圧力が、そのまま肉体を潰す。
「お見事」
「ロディルトもやるじゃない!」
ロディルトとルカが目配せすると笑った。
ジェイドがタンッと地を蹴った。壁を蹴って虚空に躍り出る。手にした短剣を、時差を付けて三か所に投擲する。一本目は開けた場所に突き立った。その短剣を、地面の両脇から生えた牙が飲み込む。そこへジェイドが放った残り二本の短剣が、手近の跳ね橋の鎖を破壊した。長い年月の経過のために劣化していたようだ。落ちてきた橋が、地面から覗いた巨大な口の上を覆う。
地面に降り立ったジェイドは即座に橋上を疾駆する。ロディルトとルカもそんな彼に続いた。三人が渡り終えると、背後で橋が砕かれる音が響いた。
「さすが翡翠眼の渡り鳥!」
「……俺の名前はジェイドだ。俺だけその異名で呼ぶなよ」
ルカの賛辞に、ジェイドは前を向いたまま何故か面白くないと言わんばかりに低い声で言った。
「おやおや、妬きましたか」
「断じてそれはない」
「え、じゃあ自分だけ仲間外れみたいで寂しかっ――」
「それはもっとあり得ない」
「本当に、素直じゃないわね!」
ルカは手の中で回した斧槍を大きく振った。斧頭がジェイドの背に迫る。ジェイドは咄嗟に地面へ体をこすりつけて滑り込んだ。ジェイドの頭上を斧頭が通り過ぎ、横合いから奇襲してきた人面植物の頭部を飛ばした。
「〝炎の弾丸〟」
ロディルトが即座に小さな火の弾を放った。火の弾は石壁の隙間から四方八方へと飛び散り、人面植物の眉間を打ち抜いた。断末魔の叫びと、植物でありながらまるで肉を焼いているような臭いが三人の鼻孔を突いた。
「本当、一瞬でも気が抜けないわね」
「だから言っただろ」
ルカの呟きに、前を走るジェイドが目を細めた。
「最下層に近くなればなるほど、悪魔たちの階級も罠の難易度も上がっていく」
走り続ける三人の前方に、巨大な縦穴が現れた。最下層に続く入り口だろう。
「上等っ!」
ルカの気合のこもった声に、ジェイドは口元に薄っすらと笑みを浮かべた。
「こんなふざけた世界、さっさと潰すぞ!」
三人は足を止めることなく、闇がわだかまる奈落へ躊躇なく身を躍らせたのだった。
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