その婚約破棄喜んで 5,000文字ほど
- その婚約破棄喜んで -
- 1話 卒業パーティー -
ざわざわと貴族達が立ち話をしている。私もその中の1人だ。今話している彼女達を友達と呼んで良いのかはわからないが、ある程度は仲良くさせてもらっている。
ここは卒業パーティーの会場だ。卒業パーティーというのはこの国の高等学園に通う、いや、通っていた私達の卒業を祝うパーティーだ。この国には初等、中等、高等と学園があって、6歳になる歳から通う初等学園までは皆通うことが義務付けられている。それぞれ4年ずつ通うのだが、普通の人は初等、ある程度お金を持っている人は中等、そして私達貴族や王族は高等まで通うのが普通とされている。昨日、私達は高等学園を卒業した。今日はそれを祝うためにたくさんの人が学校にある会場に集められていた。そこにいるのは教師達や生徒だった人達のみだが、学園を卒業した以上、私達も一人前として見られている。言動には気をつけないと。
「そういえば、ソフィア様。ルーカス王子はどうされました。お2人は婚約関係にあるのですから、てっきりソフィア様のエスコートはルーカス様がなされるものかと……」
私を取り囲むうちの1人が首を傾げてそう言った。周りにいた他の令嬢達の表情が固くなる。そう言えば、彼女は空気が読めないと有名だ。
ルーカス王子。彼はこの国の第一王子で、王太子になるとされている人でもある。そして私の婚約者だ。小さい頃から身分上顔を合わせることが多かった私達は初恋の末に婚約した。まあ、婚約といっても2人の間でのみ交わされたただの約束だが。この世界には政略結婚などというものは存在せず、王様であっても相手の身分に関係なく恋愛結婚が認められている。子供を残すために貴族や王族は一夫多妻制ではあるが。今年で17歳になった私達。この国では17歳から結婚が認められていて、私とルーカス様は明日結婚式を挙げることが決まっている。
そんな王子が大切にしているはずの婚約者である私がエスコートもなしに1人きりでいるのにはもちろんわけがある。今は彼女達に話すことはできないが、すぐに彼女達は自身の目で、耳で確認することになるだろう。
一瞬辺りのざわめきが収まったかと思うと、またすぐに小さな声で話す声が聞こえてきた。彼らが来たのだろう。私はそれ合図に時が来たことを察した。皆の目線の先には、もちろん。
- 2話 婚約者様と聖女様 -
自分が高貴な生まれであることを示すかのような綺麗な金の髪。整った顔立ち。世界一愛しいものを手に入れたかのようなその笑顔。そしてその男の横には、茶色みがかった黒の髪を持つ日本人女性。
その男は私の婚約者。けれどその男がエスコートしているのは、婚約者である私ではなかった。彼の隣で嬉しそうに微笑んでいるのは聖女と呼ばれ崇められている1人の少女だ。
彼女の名前はヒカリ。おそらく正しくは光だろう。この国では国に危機が訪れると聖女と呼ばれる存在を召喚する。今回彼女が呼ばれたのは国中に流行っていた疫病を消し去ってしまうため、なのだが。自国から呼ばれることもあれば、他国から呼び出されることもある。そして時には、異世界からも呼び出されることのある聖女。彼女は疫病を滅したいがために呼び出された1人の無力な少女だ。
「やあ、ソフィア。今日はお前に話があってヒカリと共に来たんだ」
会場中の全ての視線がこちらに注がれている。なかなかに緊張するものだ。私と同じ緊張を感じているのか、私の婚約者に守られるようにして立つ彼女も腕をふるわせているように見えた。
「ああ、怯えなくてもいいんだよ、ヒカリ」
ルーカス様がそう言ってヒカリ様の頭を撫でる。その目はかつての私に向けられていたものとそっくりだった。人の心とはこうも簡単に心変わりしてしまうものなのか。いや、この男限定かもしれないが。そもそも私はこの男を好いて婚約したのではない。息子の幸せを願う王様からの圧力が加わって、両親からの命令で婚約させられたのだ。気分が悪くなりながらも2人をしっかりと見つめる。ヒカリ様は嬉しそうに笑っている。ああ、その笑顔。本能でわかる。彼女は怯えてふるえているんじゃない。あれは武者振るいだ。
「ソフィア」
ヒカリ様を後ろに庇いながら私をしっかりと睨むルーカス様。いつのまにか私の周りにいたはずの令嬢達はいなくなっていた。空気を読んだのか、怖くなってしまったのか、巻き込まれたくなかったのか。私にはこんな事態にそばにいてくれる友人もいなかったのか。今となってはどうでも良いことだか。
自分の顔に世間一般では綺麗と言われる笑顔を浮かべる。自慢ではないが私の容姿は悪い方ではない。
「なんでしょう」
笑って返事をしただけなのに彼はさらに力強い目で私を睨みつける。
「お前との婚約を破棄させてもらう」
私に憎しみの目を向ける彼の後ろで、ヒカリ様は勝ち誇ったような、歪んだ笑みを浮かべていた。
- 3話 喜んでお受けいたしますわ -
辺りは静まりかえっていて私たちしかいないのではないかと錯覚させられるほどだ。驚きのあまり声が出ないのだろう。いや、噂で知っていた人もいたはずだ。友人としてはあまりに近いその距離。そしてその友人と私に対する態度の差。こうなることを予想していた人が全くいなかったとは言い切れないだろう。
「俺は知っている。お前……ヒカリのことをいじめていたな」
虐めていた。ありもしない現実を突きつけられながら私は驚くこともなく彼らを見つめていた。驚けるわけがない。私は知っていたのだから。こうなることを。こうやって婚約破棄を言い渡されることを。
何も話さない私を図星だったと勘違いしたのか、ルーカス様は続けて話した。
私は知っていた。あの日あの場所で2人が私が虐めをしていると話すのを。私は聞いていた。扉の前から静かに聞いていた。
その時は私も流石に驚いた。私はあのキャラクターとは違う行動をとっていたのに、何故かはわからないが物語通りにことが進もうとしていることに。けれどそれは私を幸運へと導く。私はその可能性に賭けていたからこそ、あの日、あの場所へ盗み聞きをするために行ったのだ。そして私はあることに気がついた。ヒカリ様の正体だ。
2人の話では、私は。
「お前は影で友人を使って暴力を振るい、暴言を吐いた」
ということになっているらしい。あのバカ王子はそれが嘘か真かということを判断することさえできなくなってしまったようだ。
「俺はそんなお前と国を守っていけるとは思えない」
さあ、早く言ってくれ。私を断罪してくれ。早く私を切り捨てろ。
「俺は、お前との……」
彼の目に迷いはない。私にだって迷いはない。早く言ってしまえ。私達の幸せのために。
「婚約を破棄する」
その言葉を、待っていた……。
嬉しくて嬉しくて笑みを隠せない。その言葉に対する私の返事なんて、とっくに前から決まっている。
「その婚約破棄……喜んでお受けいたしますわ」
驚いたような目で人々が私を見つめる。ただ、私の目の前に立つ2人だけは私のその態度を怪しんでいるようだった。私は2人の望み通りに婚約破棄に同意してやったのに、一体何が不満だというのだろうか。けれど、私が待っていた言葉はそれだけではないのだ。ねえ、あるでしょう。あなた達が私に言わなければいけない命令が、断罪が、判決が、もう一言。
- 4話 幸せ -
私はにっこりと笑って2人を見る。待っているのだ。予定通りに彼が私に言い放つその言葉を。
「そんなに罰が欲しいのであればくれてやる」
悔しいのだろうか。そんな顔をしている。何が悔しいの。全ては貴方と私の望み通りに動くというのに。
「国外追放、だ」
待っていた。その言葉、とっても嬉しい。
「はい」
私は満面の笑みでそれに応えた。彼は国王様の許可を取って私を追放するわけではない。王様にバレる前にさっさと逃げないと。王様の許可を取らずに侯爵家の娘を国外追放にした罪は重いだろうが、もう何の関係もない彼の処罰など知ったことではない。
私はくるりと後ろを向いて足速にその場をさった。最後に一言、言葉を残して。
「さようなら、皆様。今までお世話になりました。ああ、それと、ヒカリ様。全てがあのゲームのようにうまくいくとは限りませんよ」
会場を出て、校舎を出て、門を潜って。たったの一度も振り返らずに。その先に愛しい彼はいた。私のためだけに御者になってくれる、私の愛するただ1人の人。馬車を用意してくれた彼は御者に扮していたとしてもやっぱり素敵だ。
私を待っていたのは中等まで一緒に学園に通っていた商人の彼。たった今恋人を作ることを許された私の彼。私は彼の隣に腰掛ける。
「冷えるので中におられては」
私を気遣うその声に、私は幸せあふれる声で答えた。
「あら、それでは貴方の顔を見ながらお話できないわ」
私達は今、互いに愛を囁くこと、許された。
誰かに揺さぶられて目を覚ます。ゆっくり目を開けると、そこには愛しい私の旦那様がいた。
「ねえ、聞いて。ルーカス王子、王位継承権を剥奪されたらしいよ。ヒカリ様との婚約も認められかったって」
それは当然の話だ。研究者達や大商人の息子であった旦那様と協力し、疫病の治療薬を作った私。その私を貶めた聖女様とそれを助けた王子様。どちらが大切かなんて分かりきったことだ。あの国には確か王子は2人いるから、弟の方にかけることにしたのだろう。
「馬鹿な話だよね。治療薬開発のために毎日奮闘していた君に、ヒカリ様をいじめる時間なんてあるわけないのに」
それに気づいていた人はあの会場の中に何人いただろうか。きっと、気づかなかった人を数える方が早いだろう。
「それにしても、まだ信じられないや。この世界がゲームの中の世界だなんて」
ヒカリ様、聖女様が私と同じ日本人だったのは間違い無いだろう。そしてゲームのプレイヤーだったということも。違和感はあった。見知った名前に見知った容姿。私がプレイしていたゲームの世界に転生したと気づくまでに大した時間は掛からなかった。ヒカリ様もゲームの世界だと気づいたからこそ、あんな言葉が口癖になってしまっていたのだろう。
「そういえば、ヒカリ様よくおっしゃっていたね。この世界の主人公は私だって」
愛しい人は私の頭をゆっくりと撫でながら私を愛おしそうに見ている。
「ねえ、ソフィは幸せになれたの。僕といて、幸せかな」
私は今、外国で彼と隠れて暮らしている。あの国の王様が私を必死になって探しているからだ。もちろん、彼は仕事があるからずっと一緒にいられるわけではないけれど、それでもやっぱり、私は。
「幸せよ、ノア」
〜王子の愛〜
広い部屋の中に怒声が響く。
「この馬鹿者」
父上の声だ。父上は穏やかな人なのにこんな時に限ってどうしてこんなに怒るのか。俺は幸せになろうとしているのに。たとえそれが誰かを不幸にする者だったとしても、俺は幸せになろうとしているのに。
心が沸々と煮立って行く。なぜ父上は俺を睨みつける。なぜ母上は泣いている。
「お前は……お前というやつは、彼女の価値をわかっていないのか」
価値。そんなものない。俺とヒカリの邪魔をする悪者、だろう。
「彼女はこの国を救った張本人だぞ。いや、そうでなくても、お前が愛した女性だったはずだ。それをどうして……」
父上が嘆くように頭を押さえる。愛した、あいした、アイシタ……。確かに愛していた。けれどあいつは段々構ってくれなくなった。……他に好きなやつでもできたと思ったんだ。だけど、何かがおかしくないか。本当に愛していたならどうして構ってくれなかったのか確かめようとしなかったんだ、俺は。いや、それ以前に俺は知っていたはずだ。あいつは、ソフィアはこの国を救うために日々薬の研究を……。あ、れ。俺は一体いつから間違っていた。いったいいつから忘れていたんだ。俺は、ソフィアを、ソフィを……。
〜聖女の目論見〜
どうして、どうしてよ。どうしてこうもうまくいかないのよ。
私は聖女としてゲームの世界に転生した。元々、このゲームが大好きだった私はものすごく喜んだわ。だってあの王子様と結ばれる運命にあるのだもの。
でも、いざ召喚されてみれば現実は違った。あいつ、あの女は薬の研究なんかやり始めたのよ。それに愛しの王子様はあの女に夢中だった。あの女、もしかしたら私と同じ転生者かも。そう気づくのに大した時間はかからなかった。
聖女は国の危機を救うために召喚される。けれど聖女自体が何か特別な力を持っているわけではない。神様が聖女の願いを叶えるのだ。
私は願ってしまった。王子が私のことを愛してくれる未来を。願ってしまった。願ってしまったのだ。
本当に私の願いは叶ったの。王子様には、ルーカス様には愛された。でも、もう他の人からは愛してもらえない。嘘つきの略奪者としかみてもらえない。ルーカス様からの偽物の愛しかもらえない。……偽物の、愛。
もういいや。解いてしまおう。こんな魔法、解いてしまおう。神様、ありがとう。もういいよ。王子様、ありがとう。もういいよ。夢を見せてくれてありがとう。もう、いいよ。
さよなら、私の愛しい人。さようなら、私の幸せ。




