第29話 ブレインイーター
すみません、体調を崩し遅れました。
生い茂る木々で沈みゆく夕日の光が隠れ、暗闇を作り出す森の中をミィエルとともにゆっくりと進む。予定ではもうじきウルコットが言っていた開けた場所に出るはずだ。恐らくそこでヴァシト、バファト、そしてリルの姿を見ることができるだろう。
改めて俺自身を含めてミィエルのステータスも確認する。HPもMPも完全回復してあるし、STMも問題ない。俺自身には念のため〈ディー・スタック〉による二重偽造ステータスも被せてある。本当は直前に可能な限り補助魔法を掛けたいところだが、TRPG時代と違って会敵後の会話で効果時間を消費しないと言うご都合空間が創られることはないだろうから、その辺りが悔やまれるところか。こういう時だけ魔法の効果時間を延長できるアビリティ〈エクステンション〉が欲しくなる。ゲーム時代じゃそこまで効果時間を延ばさなきゃならないほど戦闘が激化することはなかったから、覚える選択肢に入ることはなかったが。
ミィエルには後備えとリルの安全確保を行うよう頼んである。ミィエルとしては俺とともに前線に立ちたいと言っていたが、優先事項はリルの安全確保だ。彼女を助けに来たのに殺されるどころか、悪魔の生贄にされれば蘇生すらできない。それだけは防がなければならないのだ。
それにミィエルだからこそ信頼して任せられる、と告げれば渋々ながら了承してくれた。
「じゃあ頼むな」
「むぅ~……わかりました。終わった後に~、聞くことが増えました~」
まぁ俺に答えられる限りは応えようじゃないか。“ジェーン”については俺も知らんがな。
「それと~、終わったら打ち上げしましょ~」
「打ち上げかぁ。それなら俺の分の報酬金額内で出来る限りでミィエルが作ってくれないか?」
「そこは~、雰囲気の良いレストランとかに~、連れて行ってくれるところじゃないんですか~?」
「それでもいいけど、俺はミィエルの料理が食いたいんだよ。こっちに来てからの初任務、初達成だからな」
「~っ! そ、そ~いうことなら~、いいですよ~」
一応本心を口にしたとは言え、頬を染めて嬉しそうにはにかむミィエルはとても可愛らしいが、ちょろすぎてオジサンはとても心配になるよ。
「じゃあ~、腕によりをかけますね~!」
「おう! 頼むぜ」
にっと笑いかければ頼りになる笑顔を浮かべるミィエル。頷いて彼女と俺に〈プロテクションⅡ〉と〈ヘイスト〉を掛けておく。魔法を受け取ったミィエルは俺と別れ、気配を限りなく抑えながら音もなく森を駆け抜けていく。
魔法の効果時間は3分。マナポーションでMPを再度回復しながら、切れてしまったら仕方がないと割り切ることにする。
ミィエルが十分離れたことを確認し、俺は普段胸ポケットにしまってある『見通しのモノクル』を左目に着用する。俺が装備する装飾品の中で唯一戦闘に直接関係ないアイテムではあるが、俺がここに飛ばされる前のセッションに引き続き、今回のようなケースにはお誂え向きの効果を持っている。さて、では親玉のご尊顔でも拝ませてもらおうか。
ウルコットに聞いていた通り、森を強引になぎ倒して広場にした空間が視界に入る。沈みゆく夕日の光が朱色に染めるその光景は、戦争後の血染めの荒野を彷彿とさせる。
朱色の明かりを全身に受けながら広場に身を躍らせれば、俺を出迎えるように佇む3つの影。1つは純白の神官服を夕焼けによって赤く染め、エルフ特有の整った顔を一度驚きの表情を浮かべるも、すぐに醜悪な笑みで歪めるエルフの男。この顔がリルの婚約者の顔なのだろう。
2つ目は地面に死んだように横たわるバファト村長。最後に3mほどの杭に縄で縛られたリル。リルも気を失っているのか、ぐったりと首を垂れている。俺はしっかりと3人の姿を視認し、唯一俺に視線を向けるヴァシトに言葉を投げる。
「ご招待に預かり来てやったぜ、推定ヴァシトさん」
「えぇ、お待ちしておりましたよカイル・ランツェーベル。随分とお早いご到着ですね。正直、後4日は待つことになると思っていたのですが、果たしてどのように嗅ぎつけられたのですか?」
「待っていたという割には随分な言われようだな、おい」
後4日待つと思っていた、ねぇ。随分と引っかかる物言いだが、今は取り合えず置いておこう。俺は後ろ手に白と赤属性の特級魔石を砕き、一瞬引きつりそうになる表情を隠しながら話を続ける。
「知ってたから熱烈な歓迎を寄越してくれたんだと思ってたんだがなぁ」
「お気に召しませんでしたか?」
「いや? 喜び勇んで全て灰にしちまうくらいには嬉しかったぜ?」
「そこまで喜んでいただけて光栄です。何でしたら今すぐ再召喚いたしましょうか?」
「悪くないね。だったらもうちょい手応えのあるやつを頼むわ。例えば――」
彼我の距離は20m程。俺は一呼吸で〈スピード・ブースト〉〈ソニックムーブ〉〈ストレングス・ブースト〉〈ハイパワー・ブースト〉〈ホークアイ〉〈ドラゴンセンス〉を起動。AGI、STR、DEXのステータスを多重上昇させ、戦闘態勢に入ることなく佇むヴァシトとの間合いを、ゼロへ。
「――“ダブル”とかな」
「は――」
相手に手番をくれてやるつもりはない。
“ダブル”の能力的特色は『他者の情報を読み取り、例え知人ですらも気づけぬ分身となる』能力だ。身長、容姿、声色は勿論のこと性格や考え方全てを学習しステータスや習得技能さえ再現する変身能力は、たとえ血の繋がった家族すらも騙すことができるとされる。まさに最高の成りすまし能力だ。
だがそれゆえに弱点がある。本来Lv12の魔神である“ダブル”はレベルに応じたステータスを保有している。しかし変身した対象のすべてを再現する能力故に変身を解かない限り、本体のステータスよりも対象のステータスに引きずられてしまうのだ。それはHPとて例外ではない。
つまり今この場で相対しているのはLv12の魔神などではなく、Lv7の神官エルフでしかないのだ。
鞘から解き放たれたルナライトソードが〈魔力攻撃Ⅰ〉と〈マナブレイド〉の効果を受けて淡い光の軌跡を残しながらヴァシトの顔をした“ダブル”の首を刎ねる。間抜けな表情のまま宙を舞う生首は徐々に黒い靄へと変化し、俺の瞳に映るステータス表示が『ヴァシト HP:-23』からノイズが走り『ダブル HP:-23』へと切り替わる。
「それと、見えてるぜ。お前の姿も」
消滅させた魔神などすでにどうでもいい。俺の目にはもう一つ、バファトの振りをし、“ダブル”が斬り捨てられたことによって正体を露にした“名前持ちの悪魔”――“バフォメット・ヴァシトLv10”を視界に収める。
魔法で擬態したであろうエルフの肉体から本来の山羊頭へと変貌し、俺を噛み砕こうとその牙を向ける。だが遅い。
態勢を低くし、“バフォメット”より疾く踏み込み、両手持ちからの一閃。斬撃を受けても止まることなく、懐にいる俺をその剛腕でベアハッグしようとする左脇を搔い潜る。魔力の茨とマジックベルトでダメージを与えながら切り上げた刃で右腕を切断。返す刃で袈裟懸けに剣を奔らせることで無防備な胴体を両断。“ヴァシト”の名を冠した悪魔はそのHPを失い、灰となってその場に崩れ落ちた。
「まったく、良い趣味してるぜ」
たった今灰になった“バフォメット”を召喚する素材としてヴァシトの遺体を使ったのだろう。だから“ヴァシト”の名を冠したと。本当にいい趣味をしている。
俺は敵2体を迅速に屠ると杭に縛り付けられたリルへと剣先を向ける。なんせ俺の右目ではリル・フールーと言う『種族:エルフ』の女性の姿を映し出しているのだが、モノクル越しの左目には『種族:魔神』と表記されたエルフの姿をした何かが映し出されているのだから。
「他人の趣味にとやかく口出しするつもりはねぇんだけどよ。しっかり見えてるぜ? “簒奪者キャラハン”さんよ」
「……くく。くくくくくくくっ! さすがはカイル・ランツェーベル! 私が認めた最高の食材よ!」
俺の言葉に気を失ったようにうつむいていたリルの顔が持ち上がり、狂気を纏った嗤い声をあげる。狂喜に満ちた表情は俺の知るリルの笑顔を歪め、貶めるには十分な嫌悪感を醸し出す。しかしそれ以上に俺の目には嫌悪感などまるで無視できるほど、解析判定成功によって齎された情報が目の前の存在がどれほどヤバいかを思い知らせてくれている。
名:簒奪者キャラハン(グランドブレインイーター) 種族:魔神族 Lv18
HIT:18 ATK:17 DEF:15 AVD:20 HP:192/192 MP:210/210
MOV:20 LRES:22 RES:24
行動:中立または敵対的 知覚:五感(暗視) 弱点:命中+1
【特殊能力】
〈異界魔法〉Lv15(MATK:22)
〈真語・空間魔法〉Lv15(MATK:22)
〈状態異常耐性〉:病気・毒・精神属性の効果を受けない。
〈魔法適性A〉:〈マナコントロール〉〈マルチターゲット〉〈エクステンション〉〈ファストスペル〉〈マルチキャスト〉〈ルーンマスター〉〈マルチパーセプション〉〈バイオレンススペル〉を習得しています。
〈劣悪召喚〉:このキャラクターは全ての能力に-4の修正を受けます。他一部能力は封印されており、使用することができません。
【特殊行動】
〈脳喰らい〉:対象の脳を喰らうことで対象が習得したスキルやアビリティ、記憶を取得します。この効果によって死亡したキャラクターは蘇生できません。
〈二重詠唱〉:このキャラクターは一度に2つの魔法を詠唱・展開できます。
非合法物品リストを見た時から、喉に小骨が引っかかっていたような違和感がなくなり、思い出せなかった記憶を思い出せてスッキリはしている。しかしおかげで状況は大変よろしくない。
非合法物品リストに載っていた違法素材から召喚できる最上位魔神――Lv15“ブレインイーター”。
設計コンセプトは“黒幕”と称された『魔神』であり、他者の脳を食べることこそ最大の楽しみとしている。その喜びを満たすためならばあらゆる手段・策謀を巡らせ、『魔神』や『悪魔』のみならず『蛮族』果ては『人族』をも操る姿はまさに“黒幕”として設計されるに相応しく、LOF公式のキャンペーンシナリオではこの魔神をラスボスとしたものも公開されている。
ちなみに外見は2mほどの身長にしわがれたタコみたいな頭部で、首から下はほぼ人間とほぼ同じ。言うなればタコ頭人間とも言えるが、食事の時は頭部が左右に分かれてそこから牙やら口吻やらが姿を現し、対象を頭から喰らって脳を啜る食事をするというもの。食事風景を目撃してしまったら間違いなく正気度が削られることだろう。
またレベルだけ見ればこのキャラクターより上の魔神はいくつも存在するが、公式シナリオでの動きや設定からLOFプレイヤーの中でも高い人気を誇る悪役であり、俺個人としても気に入っている魔神の1体である。ただしそれはTRPGの中だけの話だ。現実となった今では正直敵として出会いたくはなかった。
しかも“ネームドモンスター”でレベルが18だって? しかも“グランドブレインイーター”だって? ゲーム時代には設定すら存在しない魔神将クラスの化け物じゃねぇか。こいつ1体で国1つが亡ぶどころじゃねぇぞ。大陸中の国と言う国が滅ぼされてもおかしくないぞ。唯一の救いとしては、召喚が不完全だったために能力が低下していることだろうか。
……待てよ? 能力が低下している?
そこでふと俺は思い出す。〈デーモンサモナー〉と言う技能におけるリスクのことを。
〈デーモンサモナー〉は人間の死体や生きている人間そのものを生贄にすることで、悪魔や魔神を使役獣として扱える魔法技能職だ。召喚し契約を施すことにより、使役獣の中でも最高クラスの性能を持つこれらを扱える。半面、犯罪行為に手を染めなければならないリスクを負う。だがそんなものより大きなリスクが存在する。それは悪魔や魔神の使役に失敗した場合、術者が殺されると言うリスクだ。
悪魔や魔神は善意で召喚者に従うわけではない。召喚者の魔力によって契約を結び、結果この世界に姿を留めることができる存在だ。契約がなければ人間の世界に残りたくても残れないため、暴れるだけ暴れて魔界へと帰っていくはずだ。
つまり完全召喚でないと言うことは、こいつを召喚した馬鹿はほぼ間違いなく死んでいるはず。しかしこうしてこの世界に残っていると言うことは、召喚者とは別にキャラハンと契約を交わした存在がいる、と言うことか。だとすれば……
俺の視線の先、キャラハンは自らの身体を縛る縄を引きちぎり、滑るように大地へ降り立つ。首を左右に振り、肩に手を当てて回す様は予想以上に人間臭い。
「しかし慧眼であるな。ダブルの変身どころか私すら見抜くとは……いや、そのモノクルか」
「さて、な」
俺は肩を軽くすくめて答えるが、内心では「ご明察だぜ“グランドブレインイーター”」と呟く。
キャラハンの言う通り、この『見通しのモノクル』はマジックアイテムであり、効果は「視認できる生物の種族を見破る」と言うものだ。あくまで「種族を見破れる」のであって、同種族間での変装等にはへの役にも立たないのだが、こと人間に化ける魔物に関しては無類の強さを発揮する。
このマジックアイテムのおかげで俺は目に見えるリルが偽物であると確信することができたのだ。最もヴァシトとバファトに関してはとっくに死んでいると思っていたので、このアイテムを使う必要は全くなかったのだが。
まぁ正直そんなことはどうでもいい。俺は改めて剣先を向け問う。
「悪いが先に答えてもらおうか。お前が似せているエルフの女性はどうした?」
「ふむ。随分とせっかちなのだなカイル・ランツェーベル。聞いた話ではもう少しゆとりを持ち、冷静に事に当たる人物だと思っていたのだが」
「……随分と俺にのことに詳しそうだな?」
「それは当然であろう。私は魔界でもグルメで通っているのだ。最高級の食材のことは調べられる限り調べているとも。“幸運の蒼き小鳥亭”所属“の冒険者であり、クリアノーラ・L・ドラクリオに仕える護衛騎士。今はまだ父君が彼女の側近ではあるが、近々君が右腕となる予定であるのだろう?」
「くくくく」と肩を揺らしながら舌なめずりをするキャラハン。やつの瞳に映る俺はたいそう旨そうな食材に見えるのだろう。
「よく調べてるもんだ。で、リルはどこへやった?」
「この顔のエルフの女かね? 喰ったよ」
「へぇ」
ニタァッと口を歪め、目を弓張りに形どるキャラハン。見るものが見れば恐怖を煽られるだろうし、彼女を知る人間であれば怒りを覚えたことだろう。しかし十中八九喰われてないと予想した俺からすると、美人の顔でもここまで嫌悪感を前面に出すことができるんだな、と思わず感心が先に立ってしまう。
「実に良い顔だなキャラハン。で、どこに隠した?」
「…………」
「とぼけなくてもいいぜ? お前さんと契約を交わした奴から、リルを“マイルラートの巫女”に仕立て上げるよう依頼されてんだろ?」
わざわざ喰ったエルフのマイルラート神官の関係者を1人だけ拉致したってことは、奴隷として売りさばく予定の村人とは違う使い道があったと言うことだ。ただ食料にするために攫って喰った、なんて低俗なことを彼の“ブレインイーター”がするはずがない。
「くくく……成程」とキャラハンは呟き、右手を眼前に挙げて言葉を続ける。
「これは調査をした人間を褒めるべきか、それとも存外に彼奴の頭が回っていなかっただけなのか。だがまぁよい。どちらの結果にしろ、私は感謝している。故に――」
眼前に掲げた右手をパチンと鳴らすと、杭が打ち込んである10m先の景色が揺らぎ、光を通さないほどの暗闇の檻が顔を出す。傍には1体の影のような悪魔が寄り添い、そして檻の中には本物のリル・フールーが意識なく横たわっていた。遠目にも胸が上下しており、生きているのが分かる。
「――私は君の問いに明確なヴィジョンをもって答えようと思う」
「そいつはどうも。ならついでに契約者のことと、謀すべてを吐露してくれると助かるんだけどな」
「君の脳と交換であれば承ろう」
「残念ながらお断りだ」
チラリと影の悪魔を解析すれば”シャドウ・デーモン”Lv9だとわかる。ミィエルなら問題ないだろう。だからこそ俺がすべきはただ一つ。目の前の化け物をこの世界からとっとと送還すること。その一点のみだ。
俺は向けていた剣先を一度下ろし、TRPG時代の黒幕の代名詞とも呼べる魔神へ改めてまっすぐに言葉を送る。
「んじゃ最後に、お前さんの本当の姿を見せてくれよ。仮初の姿ではなく、“簒奪者キャラハン”としての姿を」
俺の申し出にキャラハンは「よかろう」と笑みを浮かべ、次の瞬間にはエルフの姿が内側から一気に膨れ上がった。
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