第九話「どうして一位になりたいんだ?」
今日の授業は運が悪くクラス合同授業だった。
野外の広い運動場には三年生が集められていた。
「おい、ルゼリア」
乱暴に呼び止める声に振り返れば、予想通りの金髪の男子生徒。
昨日ぶりに顔を見るマティウスがいた。
「なんで今朝、電話しなかった。お陰で遅刻するところだったぞ」
「…………」
「ルゼリア、話を――」
「今は授業中よ。その間は貴方の下僕じゃないはずでしょう?」
ルゼリアはマティウスを無視した。
それでもマティウスは話しかけようとしたが、ちょうど授業が始まったので会話は打ち切られた。
(どうして私になんて構うのかしら。どうだっていいはずでしょ……)
ルゼリアは頭からマティウスのことを追い払う。
今は授業中だ、集中しなくては。
「昨今の技術の進歩は目覚しく、魔導電話や魔導列車と言ったものが皆さんの生活にも根付いているでしょう。本日の授業で学ぶ魔導灯もその一つですね」
今日の授業は魔導具の科目だった。複数のグループに分かれて行う作業だった。
「…………はぁ」
今日はとことん運が無いらしい。組分けされた同じグループにはマティウスがいた。
「メイリ、私達は照明部分を作りましょう。回路の設計図はどこかしら」
「こちらにあるわよ、ルゼリア」
「ねぇマティウス様! ルゼリア様たちが照明部分を作ってくださるようので、私たちはこちらを作りましょう? 耐火と硬化の魔術付加を教えてくださらない?」
「……仕方ないな」
不幸中の幸いか、同じグループにはメイリと他の女子がいた。
自分はメイリに話しかけ、そして他の女子がマティウスに話しかけたので作業が分担され、少し距離を置くことができた。
制作しているのは魔導灯だ。
今では街の至るところに設置され、明るく照らしてくれるが修理や管理もしなくてはならない。
その修理などは魔術師の仕事であるため、将来を見越して授業の一部に組み込まれていた。
(一つの物を作るごとに、魔術師の新たな仕事も増えていく。そうやって父は魔術師の新しい生活の仕組みを作っていき、発展を支えていった……)
この魔導灯は、ルゼリアの父親が作り出したものだ。
暗い夜を明るく照らし、新たな魔術の未来を示した父は灯の魔術師と呼ばれていた。
(私は……そんなお父様に……お父様に……)
霞んでいく視界にぐらぐらと頭が痛む。
――組んでいた魔術が歪な式を構成した。
「ルゼリア、ちょっと! 式が違うわ!」
「……え?」
メイリの声にはっとする。手元を見ればぐちゃぐちゃと乱れた魔導式術。
しかも魔力を宿して光り輝いている。
それも膨大な量だ。いつの間にか、流し込みすぎたらしい。
悪いことに組んでいたのは火の魔術だ。
こんなでたらめな火の式術に魔力を流せば――大爆発する。
「メイリ! 逃げて!」
爆発する前にせめて防御魔法を使って周囲への被害を抑えて――。
「どけ!」
後ろに思いっきり引かれ、そのまま尻もちをついた。すれ違いざまに流れるような金が向かっていく。
「――マティウス!」
直後に爆発。
……しかし響いたのは壁を打ち付ける音だけで、衝撃は来なかった。
一瞬だった。あの一瞬で防御魔法を張っただけでなく、爆発の原因となった魔術の式を撃ち消す魔法を放つことで、被害をさらに極小に押さえていた。
ルゼリアが作っていた道具の一部が飛散し、その箇所が燃えているだけ。
「なにやってんだ、お前は!」
炎の光を受けるその横顔はいつになく真剣で、そして怒りを含ませていた。
――届かない光だ。
父の光も。兄たちの光も。あの黄金に輝く光さえ。
「私は…………」
伸ばした手が力なく落ちていく。
光が消えて、視界が黒く染まっていく。
ルゼリアは意識を失った。
***
「あ……」
目を覚ますとルゼリアは真っ白なシーツの上に寝ていた。
周囲を見渡せば保健室のベッドの上だと分かった。
目を覚ましたルゼリアに気づいた先生が言うには、倒れた原因は寝不足からくる疲労だそうだ。
「ルゼリアさんがあのようなミスをするなんて珍しいわね」
「……すみません」
「大丈夫よ。幸いにも怪我人は出ていないし、被害もない。これもマティウスくんのお陰ね」
ルゼリアの容態見て大丈夫だと判断すると、しばらく安静にするように言い残して、先生は用事のために教室を出ていった。
「……なにやってるんだろ」
一人残されたルゼリアはベッドの上で膝を抱えて蹲った。
メイリやあのマティウスにさえ、無理をするなと言われていたというのに。
それでも、焦るあまりにやってしまった。
「……本当、馬鹿みたい」
「あぁ、馬鹿だな。お前は」
「――なっ!?」
驚いて俯いていた顔を上げる。ベッドは窓際に近い場所に置かれていた。
風が入るように開けられた窓。
その窓外から覗き込むようにして、こちらを見るマティウスの姿あった。
「なんであんたがここに……今授業中はずじゃ――」
「サボって来たに決まってるだろ」
マティウスは平然とそう言って、窓から室内に入り込んでくる。
「授業をサボるなんて、何してんのよ」
「お前が心配だったから来たんだが?」
授業をサボってまで、自分が心配で見に来てくれた?
信じられない思いでマティウスを見ていれば、彼は手を伸ばしてルゼリアの顎を持ち上げた。
「……やっぱ顔色が悪いな。威力的に多量の魔力を流し込んでいたから当然か」
「放して」
「――ルゼリア、聞け」
有無を言わさない、低い声。
眼光の鋭い、赤い瞳。
逆光に照らされた、金髪。
圧倒的な王者を思わせる獅子のような姿で、逃げようとするルゼリアを威圧する。
「お前がやったミスは相当にでかかったぞ。火の魔術に大量の魔力を流していた。あの場にいた全員を巻き込む程の大規模な爆発になるかもしれなかった」
「そんな、まさか……」
「それとも、あの場にいる全員を殺すつもりだったか?」
「するわけないじゃない! そんな……こと……」
だがもしも、マティウスが止めていなかったら、そうなっていたかもしれない。
マティウスが嘘を吐いているようには見えない。
現にルゼリアの体内に残る魔力は少ない。
殆どをあの作りかけの魔導具に持っていかれたのだろう。
残量から計算してその魔力量なら、マティウスの言う通り大規模な爆発を起こすくらいだ。
血の気が引いていく。あと一歩で自分は殺人を犯すところだったのだから。
「優秀な魔術師ほど、生み出す魔法の威力は高くなる。その分、ミスした時の被害は尋常じゃない。だからこそ無闇矢鱈に魔法を使うことは禁止されている、違うか?」
「……違わない」
「故にそういったミスを起こさないように、細心の注意を常に払うことが本当に優秀な魔術師に求められる能力だ」
能力以前の問題だ、魔術師が持つべき基本的な知識と言っていい。
魔法とは偉大で便利だが、扱いを間違えば危険な力だ。
特に力を持つ魔術師にそれは求められる。
人でありながら爆弾になりうる燃料と力を常に持ち歩いているのが、魔術師というものなのだから。
「……お前ならそういうのは、分かっていると思っていたんだが」
ルゼリアだって分かっているはずだった。そんなこと今更言われなくても。
だけど、色々と焦るあまり見えなくなっていた。
体調管理もそういったミスを防ぐことに大切なものだったのに。
無理をして勉強して、寝不足になって、注意散漫になる状態で魔法を使うなど、普通の魔術師とも言えない。
挙げ句に大爆発を引き起こそうとして、多数の人を危険に晒すなど魔術師失格だ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめん、なさい……」
情けなくて、悔しくて、申し訳なくて。
それらの気持ちが涙となって溢れ出した。
「……気づいていながら、お前なら大丈夫だろうと思って放置した俺にも責任はある。だから泣くな」
マティウスは泣くルゼリアを引き寄せた。
腕の中に包み込んで、手は慰めるように背を撫でる。
「それに俺が止めてやったんだから被害は出てなかっただろうが。先生にもこのことはバレてねぇよ」
そういえば、危うく全員を巻き込みそうなほどの事故だったのに先生は何も言っていない。
小さなボヤ騒ぎをした程度の対応で、次からは気をつけるようにと言われた程度だ。
「封じ込めるのはちょっと難しかったんだぞ。お前の魔法。あんなにでたらめなのに純粋に機能してるもんだから――」
「……でたらめなのに、あの一瞬で撃ち消す魔法を組んだ貴方は凄いわね」
ルゼリアは防御魔法を使おうとするだけで手一杯だったというのに。
「なんで先生に言わずに隠したのよ。こんなミスをする私は魔術師に相応しくないのに……あんたにも勝てないくらいの私は――」
「――魔術師として必要ないって?」
その言葉に息を詰まらせ、身体が震えだした。
震えを止まらせるように、抱きしめる力が強くなった。
「ルゼリア、どうしてお前はそんなに必死になって勉強する? どうして一位になりたいんだ?」
陽だまりのような暖かな温もりに包まれながら、ルゼリアは考える。
いつだったか。幼い頃に兄たちに教わって小さな魔法を使ったことがある。
それを父親に見つかった時、怒られたのだ。
兄たちは些細な魔法でも一つ覚えるたびに褒められていたのに。
『ルゼリアが覚える必要はない。お前は魔術師にはならないのだから』
幼い頃から分からなかった。どうして自分だけはダメなのか。
――なぜ、ルゼリアだけは褒めてくれないのか。
「私は……お父様に魔術師として認められたかった。私だってお兄様たちと同じ、優秀な魔術師になれるんだって……だから……」
「お前は今でも優秀な魔術師だと、俺は思うけどな」
「……嘘つかないで。私のことライバルとも思ってないくせに」
「思ってるよ。そうじゃなきゃ、下僕にしてなかったし」
「どういうことよ?」
「お前はいつも俺の一位の座を脅かす存在だった。お前にいつ抜かされてもおかしくなかったから、気を抜けなかった。テストのたびに一位の名前が変わっていたらどうしようと思っていたさ」
「あんたがそんなこと……思うわけが――」
「――だから、下僕になるって聞いて思ったんだよ。散々下僕扱いして嫌がらせれば、流石に自尊心が傷ついて諦めて、学園を去ってくれるんじゃねぇかなぁ……って。そしたら俺の地位を脅かすやつがいなくなるから」
「……はぁ!?」
驚いて顔を上げてマティウスを見ると、赤い瞳と目があった。
真っ赤な宝石みたいな瞳はしっかりとルゼリアを映している。
「なのにお前は諦めもせずに律儀に世話を焼いてくれる……とことん諦めの悪いやつだった」
マティウスは困ったように笑って、ルゼリアの頭をぽんぽんとなでた。
褒められているような感じがして気恥ずかしくなる。
それにこのマティウスの笑みは嫌いではない。
「前に自習なんてしてないだろって言ったな? 俺だってやってるよ、そうしなきゃお前に抜かれそうだったから」
「……本当に?」
「夜中にやっている。夜のほうが俺はやりやすくてな。その分、昼間に眠くならないように、朝ギリギリまで寝たり、放課後寝たりして睡眠時間を確保してたんだよ」
「そう、なんだ」
確かにマティウスは遅刻ギリギリまで寝ているし、放課後もいつも寝ていた。
ただ眠いだけで寝ているのだろうと思ったら、ちゃんと理由があったようだ。
「ルゼリア、お前にはちゃんと魔術師としての才能がある。その力なら、お前の親父だって認めてくれるはずだ。必要とされないはずがない」
「そうかしら……」
「あぁ。だいたい、この学園で二位を入学以来取ってるだろうが。魔術師としての才能は十分といっていい。それに……」
「それに?」
「俺にはモーニングコールをしてくれるやつが必要だ」
ルゼリアの残っていた涙を指で拭き取って、マティウスは抱きしめた腕を放した。
いつの間にか泣き止んでいたようだ。
その時に授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
「そろそろ先生が戻ってくるし、見つかるのは面倒だから戻る。今日はそのまま帰ってちゃんと寝るんだぞ、ルゼリア」
「待って、マティウス!」
窓から出ていこうとする彼を呼び止める。
ルゼリアにはどうしても、言わなければいけないことが一つあった。
「あの……今日はその…………ありがとう」
「どういたしまして」
笑顔を残して、マティウスは保健室から出ていった。
マティウスはルゼリアのことを認めてくれていた。最初から脅威だと思うほどに。
他でもないあのマティウスからそう見られていたのだと思うと、嬉しかった。
自分はちゃんと見られていた。魔術師として。
「でも……」
だが、父は違うだろう。
マティウスは認めてくれるはずだと言ってくれたがそれはない。
普通の魔術師ではいけない。
優秀で、立派で、最良な、一番の魔術師でなければ。
父に認めてもらうためにはやはり首席で卒業をしなくてはならない。
元々そういう約束なのだから。
そのためにはマティウスを抑えて首席を取らなくては。
そうしなければ魔術師の道を諦めて、父親が決めた相手と結婚だ。
「…………」
軽くなったはずの心が僅かに軋む。
ルゼリアは残った温もりをかき集めるように、シーツを引き寄せ眠った。