第六話「貴方にも不得意なものがあるのね」
「あいつ……人を苛つかせることも天才なんじゃないかしら!」
ルゼリアはイライラとしつつ、ぐさりと夕食の肉にフォークを突き刺した。
結局あの後はマティウスの側に居る気もなくて、女子寮まで戻って自習をしていた。
「マティウス様はずいぶんと強引な方なのね」
「何が強引よ、最低なだけじゃない!」
メイリ相手に愚痴を零しながら、料理を食べていく。
女子寮の食堂なのでマティウスに聞かれることもないので言いたい放題だ。
「それにしても不思議ですね。確かに最初はルゼリアが言い出したこととはいえ、ちゃんと下僕扱いしてくれるだなんて。下手をすればあちらにも良からぬ噂が立ちそうなものですのに」
「まぁ……そうなのよね」
クロウリア家とレイナール家はどちらも魔術師の名家としてこの国では有名だ。
たびたび衝突することはあったが、表立って大きく事を荒立てたことはない。
それは両家ともに魔術師として優秀なものばかりであったことで、下手に喧嘩をすれば国を揺るがすほどに影響を与えかねない恐れがあったからだ。
なので、必要以上に干渉しないのが両家の暗黙の了解と言ってよかった。
(それを私は崩してしまったのよね……)
今までマティウスとは必要以上に関わらなかった。
せいぜい、テスト結果の時に一言二言交わす程度のもの。
マティウス自身もそれに対して『せいぜい頑張れよ』とか、『大口を叩くじゃねえか。なら、次を楽しみにしておいてやるよ』と煽るようなことは言われたが、その程度の返事で終わっており、必要以上に関わってくることはなかった。
今日一日だけで去年の一年分もマティウスと会話をしたような気さえするほどだ。
下僕になると言ったのはルゼリアだったが、マティウスはそれを拒否することもできただろう。
下手に両家の間に問題を起こしてしまう可能性があるならば、拒否するべきだった。
「やっぱりマティウス様はルゼリアのことが好きだったのよ……。遠くで見ていたあの子に一目惚れ……でも相手は家同士の宿敵たるクロウリア家の令嬢! 結ばれるはずもない相手で――」
「ないないない! ありえないわ!」
ルゼリアはメイリの末恐ろしい妄想を全力で否定する。
どんな思考回路をしていればそうなるのか。
そうだったなら、ルゼリアに優しいはずだ。
あんな命令したり、犬扱いしたりと意地悪なことはしないだろう。
「あら、ルゼリア。もう夕飯食べ終わったの?」
「ええ。今日はマティウスのせいで全然自習ができなかったから。これから夜まで缶詰よ」
いつものルゼリアなら、朝早く登校した後は授業が始まる前まで自習し、昼休みになればさっさと昼食を食べて残り時間は自習し、放課後ももちろん自習だ。
少しでも空いている時間があれば自習するほどに勉強に打ち込んでいた。
(それでもあの男に勝てないのが納得いかないけど……!)
一日の半分をマティウスと過ごしていたが彼は自習をしているようには思えなかった。
それでいて成績トップなのだから、その才能が妬ましく思ってしまう。
「先に部屋に戻るわね、メイリ」
「ええ。あまり無理しないでね、ルゼリア」
空となった食器を持って、ルゼリアは席を立った。
「さてと……」
翌日。朝の清々しい光が入り込むルゼリアの寮室。
彼女の几帳面な性格を表すかのように、部屋の中は整理整頓されており、掃除も行き届いている。
ルゼリアは今、部屋に設置された魔導電話を前に腕を組んで立っていた。
魔導具の一種で遠く離れた場所の人と会話ができる優れものだ。
受話器を片手に数字を入力すれば、魔法を用いた時に発するノイズ音が響き始める。
この学園は全寮制だ。しかも一人ひとりに一部屋が与えられている。
部屋の各所にはきちんと魔導電話が配備されているので、他の生徒と連絡が取りたい場合によく使われていた。
数分後、プツリとノイズ音が響かなくなり、かわりに寝起きの声が聞こえた。
『誰だ、こんな朝から電話なんてかけてきやがったのは……!』
「おはよう、マティウス。昨日は良く眠れたかしら?」
『あぁ……? その声、ルゼリアか……?』
まさかルゼリアから電話が来るとは思わなかったのだろう。
電話の声のマティウスは驚いた様子で、寝ぼけていた声を徐々にはっきりとさせていった。
『なんで電話なんて……』
「昨日の朝、遅刻しかかっていたじゃない。今日もそうなるのは嫌だから、あなたを起こすために電話したのよ」
『え、それってお前……』
「とにかく、起きたならさっさと着替えて出てきなさいよね。外で待ってるから」
ガシャンと受話器をおいて通話を切る。
ルゼリアはすでに着替えを済ませていた。
姿見には黒のローブとワンピースを着た茶髪の少女の姿。
長い髪はルゼリアの意志の強さを表すように、くるくると強く跳ねている。
「セットしなくていいのは楽なのだけど……」
カールする髪をいじりながらつい昨日のことを思い出してしまう。
「あんなやつに言われても……嬉しくなんかない」
嫌いな相手に褒められても嬉しくないし、犬と同じに例えられるもの嫌だった。
ふるふると首を振って、気持ちを切り替える。
男子寮まで歩く必要があるのだ。さっさと行かないとマティウスを待たせてしまう。
校舎の方角へ向かう生徒たちとすれ違いながら、ルゼリアは男子寮へ向かった。
昨日と引き続き、やはり注目を集めてしまう。
「あら、ちゃんと言い付け通り起きてくれたのね」
男子寮の入口にはすでにマティウスが立っていた。
整えていなさそうなのに、サラサラと流れる金の髪が朝日を受けて輝いている。
それに対して表情は晴れやかでなく、気まずそうであった。
「……昨日のあれがあってもまだ来てくれるんだな」
「来たのは下僕として仕方なくよ。昨日のあれは許してはいないから。……というか顔が腫れてるじゃない。どうしたのよ、それ」
「……お前が昨日ぶっ叩いたやつに決まってるだろ」
マティウスの整った顔は真っ赤に腫れて崩れていた。
ルゼリアが昨日二回も力強く叩いたせいだろう。
「知ってるわよ。そうじゃなくて、そんなの治療魔法でさっさと治せばいいじゃない」
「……治療魔法は得意じゃねぇんだよ」
「えっ?」
治療魔法は難しいが、この天才なら難なく扱えるものだろうと思っていた。
だが、どうやらそうではないらしい。
「……貴方にも不得意なものがあるのね」
「あるに決まってるだろ。……いつつ」
喋っていると痛みが走るのだろう。痛そうに表情を歪めた。
「クソ……もうちょっと手加減しろっての」
「元はと言えばあんたが悪いでしょ。それに拳じゃなかっただけマシだと思いなさい。……ちょっとじっとして、治してあげるから」
ルゼリアは杖を手に持つと、患部に当てて治療魔法を唱えた。
ルゼリアの瞳の色と同じ緑色をした魔力の光が、優しく傷を癒やしていき、徐々に腫れが引いていく。
「へぇ、うまいじゃねえか」
「治療魔法は一番得意なのよ。……がさつな貴方なら得意じゃないのも納得ね」
「細々としたのは苦手なんだよ……」
治療魔法は魔法の中で一二を争うほどに、難しいものとされている。
相手の体質や体調に合わせて、魔力を微調整し、治療を施す。
繊細さを要求される魔法なのだ。
「はい、これでどうかしら?」
「ん、完全に痛くねぇ。ありがとな」
腫れが引いた顔はやっぱり恐ろしいくらいに整っていた。
切れ長の目は嬉しそうに細められている。
金髪だけでも眩しいのに、笑顔もまた眩しいと感じさせるほどだ。
「それから、昨日は悪かったな」
笑みを引っ込ませて真面目な表情をする。
マティウスが真面目な表情をするのは珍しい。
それだけ昨日のことは彼も悪かったと思っているのだろう。
普段のふざけたような笑顔とはまた違う、きりりとした表情も魅力的で、なんだか直視できなくてルゼリアは目を逸らした。
「……謝罪の言葉だけで私が許すと思ってるの?」
「だと思った……。どうしたら許してくれるんだ?」
「じゃあ、ロイヤルプリンを買ってきてくれたら許すわ」
ロイヤルプリン。それは学食で非常に人気の高いスイーツだ。
魔物のコカトリスから採れる貴重な卵から作られた最高級のプリンである。
数量限定のため、いつも争奪戦争が起こっており滅多に食べられるものではない。
ルゼリアも入学してからチャレンジしているものの、食べる機会に恵まれたことがなかった。
できれば卒業前に、一度でいいから食べてみたいと思っていたのだ。
「そんなんでいいのかよ」
「言っとくけど他人に頼むのはなしよ。分かったわね?」
「あぁ、了解了解」
あっさりと二つ返事で返したマティウスの余裕な態度を不審に思いながらも、学園へ登校した。
その日の昼食のデザートはロイヤルプリンだった。
どうして簡単に手に入れられたのかと問えば、
『魔法を使っちゃいけねぇとは言われなかったからな?』
と自信満々に言われてしまった。
彼には見えなかったのだろうか、『廊下では走らない。魔法を使わない』という張り紙が。
とりあえず、ロイヤルプリンの味は最高だったので良しとした。