第五話「いい加減にしなさいよ!」
昼休みは結局、マティウスと時間ギリギリまで過ごすことになってしまった。
食べさせたり、食べさせられたりという行為は非効率で、その分食べるスピードも遅くなる。
あーんというのは非効率な行為であるとルゼリアは初めて知った。
(さっさと食べ終わって自習したかったのに!)
イライラを募らせながら思う。
午後の授業が終われば放課後があるが、その時もマティウスの所へ行かなくてはならない。
(また何かされるんじゃないでしょうね……?)
戦々恐々としながら、授業時間がずっと続いてほしいと思った。
だが時は待ってくれない。時が止まる魔法が使えればいいと願うがそんな都合のいいものはない。
(さようなら、私の授業時間)
終わりを告げる鐘の音が今は鎮魂曲に聞こえてしまった。
授業終わりの放課後とあって教室を出ていく生徒たちとすれ違いながら、ルゼリアは言われた通りマティウスの教室へ向かった。
「おい、あれってルゼリア嬢じゃないか」
「……俺近くで初めて見たかも」
教室に着くと今度はルゼリアが生徒たちからざわざわされる番だった。
「今度は言いつけ通りに来てくれたんだな」
律儀に教室の入口にやってきたルゼリアに対して、マティウスは人を食ったような笑みを浮かべて出迎えた。実に癪に障る笑みだ。
「……ふん!」
「そんな拗ねんなよ。よしよし」
不服そうなルゼリアを見てか、マティウスが頭に手を伸ばすと、そのままポンポンと優しくなで始めた。
「子供扱いしないで!」
「子供扱いじゃなくて下僕扱いだが? それにしてもお前の髪ふわっふわっだな」
くるくると跳ねている茶色の髪をマティウスの骨ばった手がいじる。
「やめてちょうだい。これ以上触ると流石に容赦しないわよ」
容姿の中で一番のコンプレックスである髪を触られるのは、ルゼリアとしては我慢ならない。
「……わかったから、そんなに睨むなって」
今までと違って一番嫌がっていると感じたのか、マティウスはすぐに手を引っ込めた。
「それで……これからどうするのよ?」
放課後のマティウスが何をしているか、ルゼリアは知りもしなかった。
ルゼリア自身はいつも自習をしていることが多く、図書室や自室などで勉強しているところだ。
「んー……とりあえず昼寝でもするかな」
「……えっ?」
聞き返す間もなくマティウスが歩き始めてしまったので、ルゼリアも慌てて後を付いて歩き出した。
付いていくと校舎の端にある空き教室についた。
マティウスは扉の掛かった鍵を躊躇なく魔法を使ってこじ開けた。
「ちょっと……勝手に入ったら怒られるでしょ!」
「いいだろ別に。誰も使わねぇところを俺が有効活用するところだし」
なんと横暴な男なのか。
マティウスは呆れるルゼリアをよそに、ずかずかと我が物顔で教室へ入っていった。
「さっさと入れよ。じゃないと誰かに見つかるだろ」
仕方なくルゼリアは教室に入り込んだ。
空き教室の中は薄暗く、カーテンも閉められている。
いくつかの机と椅子が雑多に置かれているところを見ると、物置のようにされているのだと分かる。
ホコリっぽいかと思えば掃除はきちんとされているらしく、自分たちの教室と同じくらいには綺麗だった。
「……もう少し、首席としての意識というものがないのかしら?」
今日だけで二つも校則違反をしてしまっている。
優等生の鑑と言えるルゼリアにとっては、校則違反自体は今日が初めてだ。
そして校則違反を堂々と行うのは、三年生の最優秀生なのが信じられない。
「あるさ、それくらい。でも、常にそんなもん意識してるほうが疲れるだろ」
普段のマティウスというのは普通の生徒と変わりないくらいだ。
生徒らしく振る舞っていたし、先生の言うこともきちんと聞き、生徒代表として表舞台に立つ時には立派に役目をこなしていた。
……そう思っていたのだが、どうやら実態は少々違うらしい。学園生活三年目にしての新事実。
マティウスはブランケットとクッションを取り出して、着々と昼寝の準備をしている。
教室に隠して置いてあったところをみるに彼の私物だろう。
どうやらここで昼寝をするのも常習犯らしい。
「このことを先生に言えば、貴方の成績は下がるかしら?」
「別に言ってもいいぞ。それで勝って嬉しいならな」
ふてぶてしい態度が気に入らないが、確かにそれでマティウスの成績が下がって一位を取ったとしても嬉しくはない。
それにこのことを報告したところで、反省文くらいだろう。順位に影響はなさそうだ。
むしろ報告すればルゼリアも一緒だったことがバレるので、二人で何をしていたのかと追求される方が面倒だ。
(ん? ……二人?)
なんだか引っかかるものをルゼリアは感じた。
今更ながら今の状況を改めて考えて。
「俺は寝るけどお前はどうする? 一緒に寝るか?」
「は……はああああ!? だ、誰がそんなこと!!」
「ははは。冗談に決まってるだろ」
驚くルゼリアの前に、いつの間にかマティウスが近づいていた。
「なっ……ちょっと……」
逃げようと後ろに下がったところで背に壁が当たった。
横へ逃げようにもマティウスの片手が壁を付き、逃げ道を塞いでしまう。
「なぁ、ルゼリア。そんなに髪を触られるのが嫌か?」
マティウスはルゼリアの長い髪を手に取れば、それを指に絡めていじり始めた。
ルゼリアを覗き込む精悍な顔が近い。緋色の瞳が薄暗いこの場所でも輝くように綺麗だった。
「だって……まっすぐじゃないせいで、いつも寝癖みたいに跳ねて見えるし……地味な色だし……貴方には分からないでしょうね」
思わぬ状況に混乱して、つい理由を言ってしまった。
マティウスの髪はルゼリアと正反対だった。
サラサラと指通りの良さそうな髪質で、華やかな金色。
それが近くにあるのだから、余計に劣等感を感じてしまう。
「まぁそうだな。でも俺は好きだけどな、ルゼリアの髪。落ち着く色合いで、ふわふわとしてる。……ずっと触っていたいくらいに」
その言葉通りか、マティウスの手はルゼリアの髪を触ってばかりだ。
髪を指に絡めたりしたかと思えば、今度は優しい手付きで頭を撫でてくる。
まるで恋人にするかのような愛しさが込められていて、いたたまれない。
「マティウス……あの――」
「――やっぱり犬の毛触っているみたいでいいな、これ」
「………………は?」
――犬。犬といったかこいつは。
あぁ、なるほど。犬なのか。
確かに犬の毛を撫でているかと思えば、優しい手付きにもなるし、愛しさだって出てくるだろう。ペットを可愛がるような、それと同じだ。
「…………れが」
「ん?」
「誰が、犬ですって!!」
バシンッと大きな乾いた音が鳴り響いた。
ルゼリアが思いっきりマティウスの頬を叩いたからだ。
「――ぃてっ!! なにすんだ! 褒めてやっただろうが!」
「それはこっちのセリフよ! 犬みたいって褒められたって、私が喜ぶわけないでしょ!」
ルゼリアは大貴族の令嬢。それを犬畜生と同じにしてもらっては名誉毀損もいいところだ。
他の女性はそれでも喜ぶものなのかもしれないし、例えた犬が可愛らしいものだったとしても、犬扱いされているようでルゼリアにとっては侮辱に等しい。
「おい、ルゼリア。お前、立場分かってんのか?」
「えっちょっと……ッ!?」
今までになく低い声が聞こえたかと思えば、手首を強く掴まれて壁に押し当てられる。
「下僕が主人に歯向かうなよ。躾けをしてやろうか?」
赤くて綺麗なはずなのに、今はひやりと冷たく鋭い瞳がルゼリアを映し込んでいる。
教室の中は二人きりだし、校舎の隅っこのここは人通りが少なく、助けを呼んでも来るかわからない。
(もしかして、かなりマズイ状況なのでは……?)
今更ながら自分が置かれた状況に気づいてしまった。
別に危機感がなかったわけではないが、万が一の時は魔法でなんとかすればいいという考えがあった。
だがしかし、魔法を使おうにも、杖は両手が塞がれていて持つことができない。
杖を手に持たなければ魔法は使えないのが魔術師の弱点。
魔法が使えないというのがルゼリアの恐怖を一番駆り立てていた。
「……離しなさい、マティウス。確かに私は、今は貴方の下僕よ。でも流石にやっていいことと悪いことがあるわ。私は下僕以前にクロウリア家の令嬢。手を出すって言うなら、相応の覚悟をすることね」
それでも持ち前の気丈さは保ったまま、ルゼリアは負けじとマティウスを睨みつけた。
「貴方が分別もできないほどだったとは残念ね……そこまで愚かだとは思わなかったわ」
「……ほんとにやるわけねぇだろ」
手をぱっと離すと、マティウスはあっさりと身を引いた。
「冗談にもほどがあるわよ」
「冗談と分かっていた割には真に受けていたようじゃねぇか。ぷるぷる震えて涙をためて、なかなか可愛いな」
「……誰の話よ」
「お前。なぁ、あんなに怖そうにして一体何を想像してたんだ? うん?」
にやにやとした笑みを浮かべるマティウスに、ルゼリアは近づいた。
「あんたねぇ……いい加減にしなさいよ!」
そしてバシンと大きな音が一つ。
さっきよりも強烈な一撃がマティウスの頬に当てられたのだった。